第14話 筋肉の悲鳴が聞こえる
その日から、テニスの特訓が始まった。バンドとテニス、二足の草鞋ということだ。
テニスについては、ラケットで黄色いボールを打つって事と、女子のテニスウエアは最高っ!て事以外、何も知らない俺だが、美波と一緒にテニスの練習ができるということで、放課後になるのが楽しみで仕方がない。そして、この前の妄想がいつか現実に起こることをひそかに期待していた。
が、
現実はそんなに甘くはなく、テニスの練習は思ったよりきつく、ソバカス洋子の言った言葉にうそはなかった。
ラケットなど持っていない俺たちに親切にも予備のラケットを女子たちが貸してくれて、まずは基礎体力をつけるために、『カーディオテニス』というエスササイズをするという。
ラケットでボールを正確に打つのは二の次で、とりあえずはラケットを持ってコートの回りを走り、ボールを打ってまた走り、反復横跳びしたり、ネットまで走り込みボールを打ってまた走る。みたいな、かっこいい今どきのBGMを流しながらテニスの要素を取り入れて、基本、楽しく有酸素運動をするアメリカあたりじゃちょっと流行りのエクササイズらしい。
そのBGMの選曲を誰がするか、じゃんけんで決めることになった。なんと勝ったのはオギーで、
「僕、流行りの曲とか知らないのですけど」
と困っていたが、
「流行りじゃなくてもいいのよ。こう、何ていうのかな、ファイトっ!て、やる気の出る、エネルギッシュな曲、何か選らんで」
しばらく考えた末のオギーのリクエストは、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』だった。美波は音楽アプリをタップして、スピーカーのソケットにいれた。
題名を言われもピンとこなかったが、曲を聴けば絶対わかる有名な曲だ。
……これ、テニスに合わなくね? テニスってもっと軽やかなBGMじゃね。
と思いながら俺はラケットを持ってテニスコートを走った。ただでさえキツいこのエクササイズにこの重い旋律。まあ、確かにファイトと言うか、戦い感はみなぎってるけど。重い。ヘヴィーだ。何だこの迫り来る何か。この曲のおかげで疲労感五倍。曲を選ぶ俺の番が来たら、もっと軽やかなかっこいい曲を選んでやるぜ、と考えていた。
次は、カンちゃんがじゃんけんに勝って、彼が選らんだのは『みちのく一人旅』という演歌だった。じゃんけんに勝たなければいけないという、選曲の権利が俺の番に来る前に、女子たちが曲を選ぶようになった。まあ、当然だろう。
そんなこんなで、左ほっぺたの痛みが完全になくなった頃には、それと交換をするように身体中の筋肉が悲鳴をあげていた。テニスの練習の後にバンドの練習をするのだが、体が痛すぎて、練習にならない。メンバーがヘトヘトな中、カンちゃんだけは和太鼓で鍛えただけあって、わりと平気なようだ。洋子に「あなた、なかなかタフだわ」と褒められて「そっすかあ?」とデレデレしていた。
俺の人生の中でこんなに激しく運動したことが今まであっただろうか。家に帰っても、ご飯食べて風呂に入ってゲームもせずにすぐ爆睡するほど、俺はエネルギーを消耗していたし、普通の生活、例えばトイレに行って便座に座るだけでも筋肉がちぎれそうだけれど、この疲労感が妙に心地よい。
それから俺達は、ラケットの握り方とフォアハンドのスウィングを教えてもらった。
「じゃ、まずラケットのグリップね。ラケットを地面に置いて、水平に握って。それが基本的な握り方、オールドスクールタイプのイースタングリップ。もうちょい厚めに握るとセミウエスタン、そしてもっと厚めはウエスタンといろいろあるけど、最近ではセミウエスタンが主流よ。で、サーヴやボレーをするときはチョッパーグリップっていって、ナイフを持つように握るの。コンチネンタルとも言うわ。それからフォームね。左手をまえにだしボールを見定め、ラケットを後ろにアルファベットのDのシェイプをイメージして振りかぶり、打つ。スイングしたラケットは左の肩の上に納まるイメージでね」
――おお、もしかしてあの妄想が現実になる時がきたか、後ろから腕を持たれて……。むふふ。
と期待したが、そんなことは一ミリもなく、ラケットを地面に置いたり、口頭で案外アバウトに教えられ
「じゃ、運動神経、ボディコーディネイションが上手くできているか、とりあえず打っていきましょう」
と、美波はさくさく説明して、すぐさま実践に移った。
「私がボールをかるく投げるから、さっきのフォームをイメージして軽く打ち返して。では、神田くんから」
カンちゃんはラケットをグルグル回しながらコートに立って、突然横向きに構え、まるでバッターボックスのバッターのように、一、二度うでまくりをする真似をし、イチローみたいに構えている。
俺はぷぷっとふいて、ミッチーが「大リーガーか」とぼそっと言った。
「神田くん、それじゃあ、野球の構えだわ。前向いて、前。で、ボールが来たらスウィング」
「え? こうじゃないんすか? ちがうっすか?」
「ちがうわよ。じゃあ、左側にボールが来たらどうやって打つのよ」
「それは、あれっすよ。ワイルドピッチっすよ」
美波たちは呆れて言葉も出ない。カンちゃんは俺以上にテニスを理解していない。
「じゃ、次、まーくん」
オギーがおずおずとコートに立った。美波がオギーに向ってゆるくボール投げる。そのボールをオギーは「うわっ」とか「ひっ」とか弱々しい声を発しながら、ことごとくよけて交わした。
「まーくん、打つの。なんでよけるの?ボールを良く見て。打つのよ。ボール避けちゃだめだって、ドッジボールじゃないんだから!」
「みーちゃん、無理です~~」とオギーは弱音を吐いた。
「次、道端くん」
「おうっしゃ、俺の番や」
ミッチーは軽やかにリズムよく打ち返す。
「あれ、テニスやってた?」
「おかんがテニスやってて、テニスはテレビで観てただけ。けど、イメージトレーニングは出来てんねん。俺はラファや」
「そ、そうなんだ。ナダルね。イメージトレーニングは大切だわ。じゃ、ネット越しに打ち合ってみましょうか」と美波は向こうがわのコートに移動した。
「ボールいきまーす」美波がボールを打った。打ち返すミッチー、なんら普通に二人で打ち合ってる。
「道端くんは飲み込みがはやいわね。センスがいい。トップスピンも何気にかかってるし。筋がいいわ」
「そうね、体重移動もナチュラルにできてる。即戦力だわ」
美波と洋子がミッチーをべた褒めした。
ミッチーの野郎、テニスはトラウマじゃなかったのかよ。蕁麻疹出るとかいってたくせに、結構やるじゃん。クッソー、負けてなるものか。俺も美波に褒められたい。ミッチーがナダルなら、俺は錦織だ。要はイメージトレーニングだ。俺は錦織、ケイ。ケイなのだ。
「じゃ、最後、ヒロくん」
やってやるぜ。ワンバウンドしたボールを見極めたつもりで、思い切りラケットをふったが空振りだ。
「もっと肩の力ぬいて。はい、次いくわよ。ボールを良く見て」
――今だ。
俺は思いっきりラケットを振る。この手応え、ジャストミートッ!!
打球は四十五度の角度、前方一時の方向にどんどんのびて飛んでゆく。そしてテニスコートのフェンスを越えて校舎の二階の窓ガラスに命中。ガッシャーンという派手な音と共に「キャーーーーッ」と悲鳴が遠くできこえた。
――マジか。ヤッベ。
「ヒロちゃん場外ホームランっすね」
「おまえ、ついてないっちゅうか、なんか憑いてるっていうか、お祓い行った方がええんとちゃう?」
「なんか、先が思いやられますね」
とのオギーの声に
俺たち三人は声を揃えて言った。
「「「お前が言うな!!」」」
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