第10話  オール・オア・ナッシング②

 「じゃ、始めるわ」

 サーブ位地に立った美波はボールをポン、ポン、ポン、とゆっくり三回バウンドさせ、対角にあるの向こう側のコートの空き缶を睨んだ。辺りがシーンと静まりかえる。そしてまた、ポン、ポン、ポン、と三回ボールをバウンドさせ、少し前かがみになりボールとラケットの面を体の前で合わせ、もう一度ターゲットである空き缶を睨む。張り詰める緊張感。そして体をしならせ左手でボールを高くトスし、ラケットを持った右手は後ろに振りかぶった。


 ――あっ、蝶のようだ。


 と思った次の瞬間、「ハッ!!」という声と共にラケットが黄色いボールを打った。俺たち四人と美波を見守るテニス部女子三人の頭がボールを追って一斉に右から左へ動く。ボールは少しインにカーブを描きながらノーバウンドで空き缶に命中し、そしてそれはカランカランと乾いた音を立てて転がった。

「ナイッサーッ!」

「キャー、美波スゴいっ」

 テニス女子たちから黄色い声援と拍手が起きた。


 ――当たった……。

「め、命中したっす」「ヤバイ」「当たりましたね」


「まず、一本命中ね」

 美波はにやりとした。

「ふん、まぐれだろ、どうせ。まだ一発目だし」

「じゃ、次いきますけど、このままデユース側でいいかしら、それともアドバンテージ側?」

「ふあ? あ、あ…ア、アドバンテージガワだ」

 五条寺美波が言った言葉がちんぷんかんぷんで意味不明だったが、俺はとりあえずそう言っておいた。

「OK、試合さながらって言うわけね。じゃ、マキ、空き缶をアドバン側のサービスコートのインコーナーに置いてくれるかな」

「OK」

 マキは小走りで駆けて空き缶を置いた。


「サンキュー、マキ。じゃ、二本目いくわよ」


 五条寺美波はサーブの立ち位地をセンターの印より右側から左側に場所を移動し、肩の力を抜くように、二、三回軽くジャンプをしてスウッと深い深呼吸をした。そしてさっきと全く同じ動作をして、再び蝶のような形になり、「ハッ!!」と声を発しラケットを振り落とした。俺たちの頭がまた一斉に右から左へと動く。黄色いボールは、アウトライン側に弧を描いて、またもや空き缶に命中した。

「ナイッサーヴ!」

「さすが、美波っ、二本目も命中よ!」

 女子たちが跳びはねてキャーキャー言っている。


 …ウソだ…。

「まじっすか」

「また当てましたね」

「ヤバい。ヒロ、こういうときは相手のリズムを崩して動揺させやなあかん」

「ど、どうやって?」

「なんでもええねん、とりあえず中断させるんや」

「ミッチー、テニスやったことあんの? やけに詳しいじゃん」

「あるわけないやん、テニスとか。ただ、昔、まだ大阪におった時、おかんがテニス習ってて、テレビで試合とかよう観とったから。何となく覚えてる」

「へえ、そうなんだ」

「……ほんで…」

「それで?」

「…ほんで、おかんはそのテニスクラブのコーチと駆け落ちしたわけやけど。家族全員リズム崩れて動揺したわ」


「――――っ!?」


どうリアクションしろってんだ!! ミッチー。んでもって、どうしてくれるんだ、このビミョーな空気感。 つか、その情報、今いる?? この張り詰めた緊張の中、それ、いる?


「そこ、静かにしてくれるかしら。最後の一本、これで決まるわ」


「ちょ、ちょっと待った!」

 俺はとりあえずミッチーの助言通り美波のサーブを中断させた。そしていいことを思い付いた。


「最後の空き缶は俺が置く」


「――!!」

「そんなの聞いてないわ。ずるいわ!!」

 ソバカス女子が美波より先に食ってかかってきたけれども、美波は少し考えてから

「いいわ。どうぞ、お好きなところに」

と涼しげに言った。

「ちょっと、美波、大丈夫?」「聞くことないわよ、そんなの」

とざわつくテニス女子たちに「大丈夫だから」と落ち着き払って言った。


 俺は、足に履いているブルーのビニール袋をガサガサいわせながらコートを歩き、空き缶を一番外側のラインのコーナーに置いた。相手の調子を崩し意表を突く作戦だ。これならワンチャンおおいに有だ。

「最後はこれを倒してもらう」

「ベースラインのコーナー上に置くのね。それじゃあ、サーヴの意味がないんだけど、しかもダブルスコート。まあいいわ。ターゲットがどこであろうと、それを狙い倒すのみよ。私の要求、なんでも聞く用意はできているかしら?」

「そ、そっちこそ廃部になって、あとで泣きついて文句いうなよ」


 俺の言ったことには取り合わずにすっと流し、美波はサーブの位地についた。美波の顔が違って見えた。近寄りがたいオーラを発しているようだ。完全に勝ちに行ってる。ゾーンに入るとはこのことなのか。


 美波は二、三回軽くジャンプをし、集中を高めているのか、さっきよりテニスボールをポンポンとバウンドさせる回数が多いように思う。当然ながらふざけたりできる雰囲気ではない。マキシマムに張り詰めた緊張の中、美波は三度みたび美しい蝶になり「ハッ!!」という声と共にラケットを振り落とした。高い位地から一直線に空き缶めがけて飛んでワンバウンドをしたボールは缶をかすめた。空き缶がフラフラフラと揺らぐ。


――倒れるのか?倒れないのか?


俺は、持ちこたえろ。ふんばれっ。倒れるな! お願いしまーーーす!と祈った。けれども、それは無情にもカランと乾いた音をたてて転がった。


「ノオーーーーーーォォォ!!!!」


 俺たち四人は、ムンクの叫びのような形相になっていたに違いない。それとは対照的にテニス女子たちは満面の笑顔で


「キャーーーーーーア ア ア!!!!」


 と黄色い声を発し

「ナイッスマッシュ! 美波っ」「すごいわー!」「さすがキャプテン!!」

 と口々に言い美波に駆け寄り回りを囲んだ。


「マジか。本当に三回続けて空き缶倒したやん、ヒロ。どうすんねん」

「すごいっす。敵ながらあっぱれっす。ヒロちゃん、俺たちどうなるっすか?」

「してやられましたね。ヒロさん、どうしますか?」


 俺はがっくしと肩を落とした。賭けに負けたことも悔しいが、それよりも、美波のテニスに対しての自信、気迫みたいなものをまざまざと見せつけられて自分がちっぽけに感じた。完敗だ。

「クッソーッ……」


「じゃ、約束通り、何でも言うこと聞いてもらうわね」


 美波が俺に妖精の微笑みをかけた。その余裕ブッかましている優しい微笑みが敗者の俺には余計に苦痛だ。


 美波の要求どんなことなのか、いろんなことが頭に浮かんだ。まさか裸で校庭十周とかじゃないだろうな。いや、そのまさかだったら…、いやありえない。考えられるのは、俺たちのスタジオ兼部室の撤去だろう。

 さっき美波が命中させたテニスボールの空き缶が風に吹かれて転がる。そしてそれは、まるで俺たちをあざ笑うかのようにカラカラと音を立てた。




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