第5話 初練習の行方

 最後の一音のビブラートが完全に消えるまで、オギーは目を閉じて左手の弦を押さえた指を静かに動かしてそして静かに止まったかと思うと目を開けて俺たちを見てニッコリした。


 一瞬の沈黙のあと、俺たちはスゲー、スゲーと口々に言い拍手をした。


「いやー、すばらしい。スタンディングマスターベーションだよ」

かっこよく横文字でオギーを称えた。


「アホか。それだと立ってオナる。この感動の場でオナッてどうすんねん」


「えっ、」


 ミッチーにそう言われて気が付いた。痛恨のミステイク。オベーションをマスターベーションって言ってしまった。顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったが、

「おう、サンキュー突っ込み。さすがミッチー」

と、すばやくボケということにしておいた。お笑いのボケ&ツッコミはこういうときにすこぶる役立つ。


「もう、ふたりともやめてよ。荻窪くんの演奏が台無しっすよ。それよりこの曲、聴いたことのある曲なんだけど」


「あれ、カンちゃんも? そやねん、どっかで聞いたことあんねん。俺も」


「俺もそうなんだ。荻窪くん、これ何て言う曲?」


「え、アナーキー・イン・ザ・UKですよ。練習曲ですよね」

オギーはポロロ~ン、ポロロ~ンとチューニングをしながら言った。


「マジ? 恐るべしクラギによるアレンジ」

「ウソやん。なんや、アレンジはいってぜんぜん違う曲に聞こえるわ」

「ホントにすごいっす。プロみたい」


「そんなことないですよ。僕なんか下手くそで。いつも...、」


「いつも?」

俺は一瞬オギーの顔が曇ったのを見逃さなかった。


「うんん、なんでもない。でも、嬉しいな。みんながすごいって言ってくれて。ありがとう」


「だってホント荻窪くんすごいよ。君が弾くとピストルズもドビッシーに聴こえるよ。なんかこうイギリスの貴族的っぽいなあ」

 俺は音楽室の肖像画の、なんだかその響きから、なにげに覚えていた作曲家の名前を言ってみた。


「ヒロ、ドビッシーって!」

ミッチーが俺に突っ込みをいれると同時にオギーがぐいぐいきた。


「ヒロさん、ドビュッシーはイギリス人ではありませんよ。フランス人です。それにドビッシーではなくドビュッシーですね。音の魔術師という異名をもつ素晴らしいコンポウザーです。現代の音楽にも多大な影響を与えた。僕は彼の有名なピアノ曲『月の光』をギターでたまに弾くんですが、あの転調、たまりませんね。貴族的っていうよりも彼の音楽は当時前衛的だったんですよ。半音階を使ったり、当時の西洋音楽にはなかったスタイル、今までの概念を破ったという意味ではアナーキーですよね。ふふふ...」


 こいつ、笑ってるし...。オギーのスイッチを入れてしまった。こいつの前であやふやなクラシックネタは控えようと思った。


「ところでさ、家の人、大丈夫っすか? パンクロックやることについて」

 カンちゃんがさっきのオギーの曇った顔を知ってか知らずか、ずばっとオギーに聞いた。


「うん。大丈夫。大賛成ですよ。いろんな音楽に触れることは大事だってうちの父も言ってましたし」


「よかった。話のわかるおやっさんじゃねーか。俺たちのロックミュージック部も作ってくれたしよ、そうこなくっちゃね」

俺は素直に安心した。


「実はですね、父がエレキギターを買ってくれたのですけど、今日、配達が間に合わなかったのです」


「ギター買ってくれはったんや。ええなー。お坊っちゃんは」


「ミッチーさん、やめてくださいよ。お坊っちゃんっていうの。で、普通のエレキギターだと間に合ったのだけど、父が楽器にうるさいから、セックスピストルズのギターリスト、スティーヴ・ジョーンズ のギターのレプリカがあってね、それを買ってくれたんです。僕はフツーに日本の楽器屋さんで売っているのでいいって言ったのだけど...」


「えっ、アップルの人、ピストルズのギターやったん?」


「つか、それ、ジョブズだし」


「そ、そんなん、わかってるわ。わざとボケたんや」


「えーっ、ミッチー、なんか怪しいっす。マジで間違えたっすよね」


「ちょ、ちょ、ちょっと待って。ギター、日本のお店から買ったんじゃないの?」


ミッチーとカンちゃんのやり取りに聞く耳持たずに、俺は冷静にオギーに質問した。


「ロンドンから取り寄せているんです」


「ええーっ、ロンドン!!」


 俺たち三人はユニゾンでハモった。


「半端ねえっす」

「ウソやん。ホンマなん? ロンドンって」

「すばらしー。なんか、近づいてね。早くも俺たちピストルズに」

俺は心からこいつをバンドに誘ってよかったと思った。


「だから、今日はクラシックギターですみません」

「いやいや、ぜんぜん、そんなのぜんぜん オーケー、オーケー。なー、みんな。」

「ホンマや。謝らんでもええって。なんなら、俺、もうパンクバンドやめて荻窪くんのジャーマネするわ」


「それより、みなさん、オギーって呼んでくださいよ。僕のこと」


「オーケー、オーケー」


 俺は、返事もそこそこにあまりにもオギーのギターがうまいのでちょっとお願いをしてみた。


「じゃあさ、荻窪くん、AKBとか弾けたりする? ちょっと弾いてよ」


「たのむわー、ヒロ。AKBって。自分パンクスちゃうんかい。俺は、アジカンの曲なんかお願いしようかな。カンちゃんは?」


「じゃ、俺、サブちゃんの『祭』」


「あの~、すみません。どれも知らないです。でも一度曲を聴くと多分弾けるけど」


「えっ、一回聴いただけで弾けるの?」


「あ、はい、大体のポップソングは」


 俺たち三人は顔を見合わせた。驚きの要因がありすぎて、もうどうリアクションしていいかわからなくなった。


「ひええ~。もう言葉でないっす」


「なんか、もう異次元やん」


「荻窪くんすごいよ」


 俺は、荻窪くんは音楽の神なの? と思うくらいに衝撃を受けた。俺と同じ歳なのにこんなにもすごい特技を持っているなんて。軽々しく思い付きでちょっとばかし上から目線でオギーってあだな付けてやるって言った自分を恥ずかしく思った。


けれど、


「だから、あの、オギーって呼んでって――」

「じゃあ、荻窪くん、これこれ、聴いて聴いて。むっちゃええ曲やねん」「俺が先だって。サブちゃんが先っすよ。ねえ荻窪くん」ミッチーとカンちゃんが我先にスマホを出してオギーに曲を聴かせようとしている。

「んもう、オギーって呼んでくれないと演奏しませんよ」


 そんな様子を見て、本人もオギーっていうあだなが気に入っているみたいだからまあいいか。と思い直し、俺もスマホのマイミュージックをタップした。


「オギー、この曲弾いてよ!」



 記念すべき俺たちの第一回目のエッチ・ピストルズの練習はオギーのプチコンサートと化したのであった。







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