第20話 交錯するやる気
「はあ~~」
俺はバタンとベッドに倒れ込んだ。なんて長い一日だったんだ。いろんなことがありすぎて俺の頭の中はまだ沸騰しまくっていて、今夜は眠れそうにもない。美波の家は金持ちだと聞いてはいたが、俺の想像を絶するブルジョアぶりだった。それに何よりも、あの高飛車な花園恭太郎の糞ヤロー、超胸糞悪い。あいつが美波の元カレだなんて…。イケメンだしテニス上手いし金持ちそうだし、どこかに留学するとか言ってたな。クッソー、俺だって、俺だって勉強すれば留学とか…勉強すればなんとか……。
――えっ、勉強!?
俺の沸騰していた頭は急に冷却された。やっべ、来週から期末テストじゃん。すっかり忘れてた。 全然テスト勉強してない。マジヤバしっ!!
******
地獄の期末テストさえ乗り越えれば、サマーホリデイ、夏休み。今年の夏休みは美波たちとブルジョアテニス練習だっ!そんな思いだけで地獄の期末テストを乗り切った。まあ、結果はもっと地獄だったわけだが…。とりあえず夏休みに入った。花園恭太郎に触発されて、俺はテニスに燃えている。練習ガンガンしてやるぜ。練習はきついだろうけど美波たちと一緒に楽しい、エキサイテイングな夏休みになるはず。
が、現実は、テストがはじまると美波たちはピタリと部活をストップして勉学に励み、そして、テスト休みになると、お金持ちの彼女たちはさくさくと家族旅行、たぶん海外に出掛けて行き、テニスコートはネットもポールも片付けられてがらんとしている。
「家族旅行から帰ってきたらテニスの練習しましょうね。それまで自主トレ頑張って。カーディオテニス。あっ、これ、テニスルールの本、読んでおいてね。シーユー、ガイズ、バアーイ」
テスト最終日、俺の両手にテニスのルール本をずしりと何冊か残して、美波たちはそう言ってにこやかに去っていった。
現実なんてこんなものだ。「やってやるぜっ」とカッコよくやる気になってもシュチュエーションがそれを殺す。取り残された俺のやる気、萎む。夏休みに入ったが、だらだらとした時間を過ごす退屈な毎日。今日も昼近くまでベッドに寝転んでテニスルールの本をぱらぱらと見たが、日本語なのに説明の意味が解らない。マジやる気萎える。あの日の美波の家でパーティーで起きたことは夢だったのかな。とさえ思えてきて、テニスウエアの一式をタンスの引き出しから出して確認したりした。
カンちゃんからラインがきた。
"今から俺んちバンド練習どう?"
ベースを担いで自転車に乗り、商店街の神田青果店に向かった。途中でミッチーと合流。
「ようっ、悪がきども、ノブは裏の車庫で太鼓やってらあ。ゆっくりしていきな」
八百屋の店先に立つ、だみ声のカンちゃんの親父さんはいつも威勢がいい。裏の車庫からは和太鼓の音がドンドコ響き渡っている。
「なんだよ。バンドのドラム練習じゃなくて和太鼓かよ」
「ウイース」
シャッターを開けると、上半身はだかでカンちゃんが和太鼓の乱れ打ちをしていた。商店街の夏祭りのメイン太鼓の練習らしい。商店街あげてのイベントなので騒音は近所の了解を得ているから、ついでにバンドの練習もやっちゃえという魂胆だ。
ガランとした車庫の床には、キャベツやミカンなど野菜くずがころがっていた。
「キャベツかなんかわからんけど、青臭いのなんとかならねーか、よくこんな所でやってるよな」
「すぐに慣れるっすよ」
「あれ、今日、オギーは?」
「聞いてないんすか?家族旅行っすよ」
「ハワイやて」
「やっぱ、あいつもか…」
「あいつら金持ちはお盆休みとか帰省ラッシュとか絶対知らんやろうな。そやけど、美波の家すごかったな。あんな豪邸の家の子やってんな」
「うちの父ちゃん、知ってたっすよ、五条寺さんのこと。だからうちはセレブの一員ってことっす。で、俺はセレブの息子っすよ」
俺は倉庫を見回して
「お前の言うセレブ、これ?」
床に転がっている茶色くなったいびつなキャベツをカンちゃんに向かって蹴った。
「ハハハ、ここでサッカーもできるっすよ。セレブだからねー。ミッチー、パス」
ミッチーは足できゃべつを止めて、二、三度リフティングをして
「しょっぼ。まあ、俺らの現実はこれや。ほら、ヒロ、パス」
三人でパスを回しているうちに、キャベツの葉っぱが剥がれてバラバラになって最後は二つに割れて入り口辺りに転がっていった。
「それはそうと、女子のみなさんは旅行でいないからテニス練習はしばらくないけど、カーディオテニスで自主トレしろって言ってたよな。どうする?」
「………」
「………」
美波たちがいないとテニスの練習とかやる気が起こらないのは俺だけかと思って気まずかったが、返事がないので、やっぱり俺たちみんなテニスは不純な動機だということがわかった。
「まあ、その間、バンドの練習充実させようぜ。レパートリーも増やそう。本来のターゲットは学祭デビューだからな」
「そうっすよ、真の目標は学祭デビュー」
「せやせや、オギーはすぐにギターが弾けるから、俺たちがしっかり練習をせんとな」
俺たちはいつもよりまして固く団結した。
「俺、これ気に入ってん。これから俺のマイクはこれやねん。超かっこええやろ」
ミッチーがあの拡声器をおもむろにバッグから出した。
「それカッコいいぜ、超アナーキー。すごくパンキッシュでマジやば」と俺は言って、練習を開始した。けれどギター無しアンプも無しで拡声器のヴォーカル、スネアドラムだけ。そんなのだから途中で何の曲やってるかわからなくなったり、拡声器から聞こえるミッチーのヴォーカルがお経のように聞こえてきたり、果たしてこれで合っているのかもわからなくなってきたが、淡々と黙々と練習をした。
「なあ、俺たち、エッチピストルズのオリジナル作らへん?実は俺、詞書いてん、何個か」
ミッチーがノートを取り出して真顔で言った。
――マジか。ミッチーが詞を書くなんて。やっぱ大阪弁なんだろうか。
「へえ、どんなの?」
「あっ、やっぱりやめる。あかん、なんかハズい」
ささっとノートをポケットに入れた。
「なんだよ、言い出したくせに、見せろって」
「いややって!」
「見せろって!」
「あかんゆーてるがな!」
カンちゃんがミッチーの後ろに回り込みムキムキの筋肉でミッチーを羽交い締めにした。
「ヒロちゃん、今っすよ!」
その隙に俺はミッチーの手からノートをもぎ取る。
「やめろーーー。見るなーーー!!あかんってーーーえええ」
ミッチーの悲壮な訴えを無視し俺はそれを朗読した。
"君の揺れる髪
まるでポニーのシッポ。ゆらゆら、ゆらゆら揺れる。
君の輝く瞳
まるで宇宙の星 キラキラ、キラキラ輝く。
俺はブラックホールに吸い込まれて気を失ったぜ、ベイベー"
「はあ?なんじゃこれ?」
「ラブソングっすか?ポニー?えっ、馬?」
ページをぺらぺらめくってもうひとつ朗読した。
"チョコレートテニス
チョコレートテニス
君たち女の子。
お願いがかなうといいな。
チョコレートテニス"
「えっ、これ盗作じゃね?聞いたことあるフレーズ」
「…つか、ひどいすっね」
「悪いかっ、だからいややってゆーたんや」
ミッチーの顔が真っ赤になっていた。
「別にいいんじゃない。君の創作意欲、感心するよ。ぷぷっ」
「笑ろてるやん、はらたつなー、もうっ」
「ラブソングもいいけど俺たちパンクスだろ?もっと、こう世の中に対して不満をぶちまけるような、例えば、そうだなあ…
"お前は糞ヤロー、お前は糞ヤロー、
ニヤリと笑いやがって、胸くそ悪いぜこのヤロー。
俺の顔面狙いやがってクソヤロー。
アデューとか言うな。ウインクとかするな。ボケ、カス、アンド Fーオフ" っていうのどう?」
「それって花園恭太郎ってやつのことっすか?」
「なんか、私情入ってるな、それ」
「だいたい歌詞ってのは私情が入るものなんだよ。だから人の心に響くんだ。そうだなあ、共感っていうのかな? こう、怒りとか特に」
俺はミュージシャンのよくあるインタビューっぽくそれらしく言ってみた。
「恭太郎のやつ、ヒロを狙って打ってきたもんな。もうちょっとで顔面いくとこやったもんなあ。まあ、気持ちわかるわ……」
「そうとう悔しかったんっすね。この前負けたの。テニスだけじゃなくて、すべてに負けてたっす。うん…」
なんかしんみりした。
――つか、同情? いやいや、同情いらんし、そっち方向じゃないんだけど。アナーキーなんだけど。世の中に対しての不満!!
「まあ、俺はどーでもいいけどよ、あんなやつのこと。それよりさ、なんかこんな感じの不満たらたらの詞だったらいっぱい書けそう。創作意欲が湧いてきた。作詞の神様が降臨なさったぜ。カンちゃんもなんか詞書けよ。一人だけ抜け駆けは許さねーぜ」
「えー、じゃ、そーっすねえ、野菜の歌とかどうっすか?
"キャベツを蹴り倒せ。白菜を蹴り倒せ、オレンジにぶっ刺すぜ。でもそれはミカン~"」
ドラムスティックを床に転がっているミカンに突き刺した。
「いいじゃん、いいじゃん、蹴り倒せとかぶっ刺すっとか、アナーキーだよ」
「おまえら、それマジなん?恥ずかしないん?」
とミッチーが呆れた顔をしたが、俺とカンちゃんは
「別に。なんで?」
と口を揃えて言った。このアナーキーな感覚、ミッチーは解らないのだろうか。
俺たちはカンちゃんちの車庫で練習か遊びか雑談かわからないがよく集まっていた。そんな中でオリジナルも何曲か出来た。後はオギーにギターを入れてもらうだけだ。
そんなある日、オギーからラインが来た。
"みなさん、いかがお過ごしでしょうか?僕は旅行から帰ってきました。美波さんたちも旅行から帰っています。テニスの練習の日を決めましょうと言っていました。バンドの練習もしましょう。お返事よろしくお願いします。 オギーより"
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