第10話 王国騎士団長の特訓

 医療室。

 その名の通り、医療に関する設備や薬が取り揃えられた場所である。

 主に勤務中に何らかの理由で負傷した兵士が傷の治療のために利用する部屋ではあるが、それ以外にも腹痛や発熱といった簡単な病状に効果がある煎じ薬を調合してもらったり、訓練などで筋肉痛となった体の痛みを和らげてくれるマッサージなんかの簡易治療を受けることもできるようになっている。此処には複数人の薬師と呼ばれる医者のような役割を担った人間が交代で常駐しているので、二十四時間いつでも安心して利用することができるのだ。

 僕とムツキが部屋に入ると、そこには先客がいた。


「……どなたかと思ったらゴルド大臣ではありませんか」

「おや、レン様と勇者様。これはお恥ずかしいところを」


 部屋の隅に並べられた患者用のベッドのひとつに、ゴルド大臣がうつ伏せの格好で横たわっていた。

 履いているズボンを尻が半分ほど見えるくらいの位置にまで下げて、腰に木片を粉にして固めたようなものを二つ並べて載せている。山の形になったその先端には火が点けられて、そこから糸のように細い白い煙が昇っていた。

 あれは、筋肉の痛みを和らげる時に使われている薬香だ。日本で言うお灸のようなものらしいが、本当に痛みを和らげる効果があるのかどうかは実際に使ったことはないので謎である。


「腰を痛められたのですか?」

「先程、階段で足を滑らせて落ちてしまいまして……その時に、少々……あいたた、全く、歳は取りたくないものですな」


 まるで六十過ぎの老人の台詞である。

 あんた、まだ四十代前半でしょうが。そんな体型してるから骨に負担がかかるんだよ……少しは運動しなさいよ。

 胸中で突っ込みつつ、僕はお大事にとだけ告げた。


「此処が医療室ですか……何か、処方箋受付してる薬局って感じの部屋ですね」


 ムツキは室内を興味津々と見回している。

 ああ、薬局ね……確かに、日本人であるムツキからしたら、此処はそれっぽく見えるかもしれない。壁一面に棚が並んで薬とか小物が所狭しと並んでるこの場景は。


「此処でHPを回復できるんですよね? レンさん」

「…………ええ、そうです。基本的な怪我の治療をしたい時や簡単な病気に効く薬が欲しい時は此処に来て下さい。常駐してる薬師さんに御相談すれば、必要な治療をして下さいますから」

「HP回復だけではなく、状態異常の治療までしてくれるんですか! それは便利ですね!」

「……そうですね。冒険序盤ですから、冒険の難易度が高くならないように色々助けになる設備が用意されているんですよ」


 僕はムツキの発言を訂正しようとして、諦めた。

 六年という長い間ゲーム以外のものに一切触れずに育て上げられた彼の超ピーマン頭を矯正することは、もはや不可能に近いことなんだと思う。例えるならば、中身がみっちり果肉で詰まった新種のピーマンを作り出すようなものだ。それくらいの難題なのだ。

 それだったら、いっそのこと僕の方が最初から彼の方に発言レベルを合わせた方が、結果的に僕が食らう精神的ダメージは少なくて済むんじゃなかろうかと思うのだ。


「HP? 相変わらず勇者様のお言葉は、我々一般人には理解が及びませんな。流石は選ばれし者です」

「……そうですね。僕もそう思います、ゴルド大臣」


 ゴルド大臣の奇妙な感心を、僕は右から左へと受け流した。

 もう、気にしたら負けだ。突っ込まれない限り、生温かくスルーすることにする。そう決めた。


「では、訓練場の方に移動しましょうか勇者さん」

「分かりました」

「では、ゴルド大臣、僕たちはこれで……ああそうだ、忘れるところでした。ひとつだけお願いしても宜しいでしょうか」

「何ですかな?」


 下敷きになった腹が苦しいのだろう、体を左右に揺すりながらゴルド大臣が問い返してくる。

 微妙に陸に上がったアザラシみたく見えたのは……僕の気のせいだろう。多分。


「ジョブチェッカーを借りてきて頂けないでしょうか。勇者殿の職業を調べたいので」


 ジョブチェッカーというのは、対象者が持っている能力を調べてその者に最も適性がある冒険者としての職業を割り出すことができる魔法の道具マジックアイテムである。血を一滴垂らして、そこからその人間の体に秘められている魔力や習得している能力などといったありとあらゆる情報を読み取るのだ。

 もちろん、召喚勇者だけが持っている固有能力もこれを使えば分かる。僕の持つ召喚勇者としての固有能力が『実体化ライズ』であることも、ジョブチェッカーで調べた結果判明した情報なのだ。


「ジョブチェッカーですな。分かりました、もう少しで治療が済みますから、それが終わり次第お届けしましょう。訓練場の方で宜しいのですかな?」

「ええ。宜しくお願いします」


 僕はゴルド大臣に一礼をして、ムツキを連れて医療室を後にした。


 訓練場。

 大勢の兵士が早朝から夕方まで鍛錬に励み汗を流しているこの場所は、圧倒されるほどの活気に満ち溢れている。

 僕は基本的にこの場所に来ることはない。そういう機会があるのは、こうして新たな召喚勇者を此処に案内してくる時くらいのものだ。

 三十メートル四方くらいの広さの空間内に並べられた弓術訓練用の的。近接武器を練習するための木の人形。対人訓練用に設けられた、舞台のような円形の試合場。そこかしこで訓練用の武器を手に、体を動かしている兵士たち。

 そしてその様子を腕を組みながら見つめている、他の兵士たちよりも一回り大きな騎士が一人。

 僕はその騎士の元に、ムツキを連れて近付いていった。


「アグリス騎士団長。少々お時間宜しいでしょうか」

「……ん?」


 騎士が僕たちの方を向いた。

 身長は百九十センチ近い。坊主に近いレベルに刈った短い金髪は、左の耳の上に稲妻のような形の剃り込みがある。肌は浅黒く、顔は四角く一言で例えるならば闘牛のような雰囲気がある厳つい男だ。白銀に輝く甲冑で顔以外の部分を覆っているため体格は外側からは見えないが、まるで筋肉の塊のような体をしていることを僕は知っている。

 彼は、アグリス騎士団長。王国騎士団を統括している人物で、召喚勇者を除けば国内最強であるとまで言われている男である。


「誰かと思ったらレンじゃないか。そうか、遂に私と共に体を鍛える決意をしてくれたのか! 良い働きをする脳は、良き筋肉があって初めて作られるものだからな! さあ、私と共に熱い汗を流し合おうではないか!」

「そ、それはまた別の機会に」


 とても笑いそうには見えない厳つさからは想像も付かないほどに爽やかな笑顔を浮かべて両手を広げてこちらに突進してくる彼を、僕は慌てて避けた。

 アグリス騎士団長は……武術の腕は一流だし兵士たちを鍛える指導教官としての腕前も確かなのだが、人が体を鍛えている様子を見て暑苦しいくらいに興奮する奇妙な性癖があるというか、少々頭のネジが飛んでしまっている困った部分がある。決して悪い人物ではないのだが、僕はどうも、彼のこのノリは苦手だった。


「今日こちらにお伺いしたのは、新しく召喚された勇者殿の訓練をお願いしたいと思いまして……勇者殿が一人前の冒険者として旅立てるように、武器の扱い方や体力作りなど、此処で兵士たちに教えている基本的なことを彼にも教えてあげて頂きたいのです」


 訓練している兵士たちの様子が気になっているのかしきりにきょろきょろしているムツキをずいっと背中から押し出して、アグリス騎士団長の正面に立たせる。

 アグリス騎士団長の笑顔が、一瞬で指導教官の顔へと変化した。

 彼はムツキを頭のてっぺんから足の先まで見つめて、ふうむと唸った。


「ふむ……確かに、基本が出来上がっていない体だな。これでは外を徘徊している弱い魔物どころか、此処にいる私の部下たちにすら勝てぬだろうな」


 流石は騎士団長。一目見ただけでムツキの状態をあっさりと見抜くとは。

 アグリス騎士団長は壁際に行くと、そこから訓練用の木刀を二本持って戻ってきた。

 一方をムツキに渡して、彼を試合場へと連れて行き、そこに立たせる。

 少し離れた位置で立ち止まり、木刀を片手で構えると、ムツキに言った。


「どれ……勇者殿。貴君に相応しい訓練メニューを作るために、まずは貴君がどの程度動けるのかを私自身が知っておく必要がある。遠慮なくかかってきたまえ」

「成程……対戦形式のチュートリアルですか。これで敵への攻撃の仕方や避け方を学べってことですね」


 ムツキはやる気満々のようだ。何処か楽しそうにすら見える。


「何をやっても構わないんですよね? 直接攻撃だけじゃなくて、魔法攻撃とかアビリティの使用とか」

「アビリティというのが何かは分からんが……私は強いぞ。そう簡単にやられはせん。貴君の持つ全ての能力をフルに駆使して向かってくるといい!」

「良かった、アビリティの使い方は早いうちに知っておきたかったからな。それじゃあ、遠慮なくやらせてもらいます。勇者の力、お見せしましょう!」


 ムツキが木刀を頭上に掲げ、叫ぶ。


「宿れ、炎獄の力! 魔法剣──ファイアソード!」


 眩い茜色の光が、ムツキの持つ木刀を包み込む。

 次の瞬間──彼の掲げた木刀は、紅蓮の炎を纏った剣へと変貌を遂げていた。

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