第9話 勇者は意外と大人だった
魔物を撃退したことによって更に勇者としての自信が付いたのか、不気味に思えるくらいにニコニコしているムツキと共に、僕は城に帰還した。
まあ……撃退したといっても単に畑から追い払っただけなのだが。
因みに城に戻る前に畑の所有者の家を訪問して、無断で(ムツキが)畑の小麦を刈り取ってしまったことを丁寧に謝罪した。
何故畑の所有者の住所が分かるのかって? それは、ムツキが畑の案山子を破壊した時に畑の主によって憲兵に通報されているのだが、その時の召集記録が城に残っているからである。ゴルド大臣が僕の執務室に書類を持ってきたので、それに目を通していたから畑の所有者の住所を知っていたというわけだ。
畑の所有者はムツキの顔を見るなり「またこいつか」とでも言いたげな顔をしていたが、ムツキが畑に魔物が潜んでいたことを告げると、態度が一変して畑から魔物を追い払ったことをしきりに感謝してきた。ムツキが刈ってしまった小麦のことも、あのまま魔物を放置していたら今頃畑は丸坊主になっていただろうから、その程度で畑が守れたのなら安いものだとあっさり許してくれた。
ムツキは「人々を助けるのは勇者にとって当然のことですから」と誇らしげに胸を張っていたが、そもそも人々のためになることを常に考えていると言うのなら、無断で畑の作物を刈ったり壺を壊そうとしたりは普通はしないものだと思う。
この男の考えていることは未だによく分からない……と、僕は内心力の抜けた溜め息をつきながら、ムツキを城内にある各施設へと連れて行った。
食堂。
二十四時間体勢で開いているこの施設は、常に何人かの料理人が交代で隣に併設されている厨房に入っており、訪れる者たちに温かい料理を提供している。
訪れる者は大半が城勤めの兵士だが、たまに城下にある孤児院から連れて来られた子供たちがいることもある。孤児院は基本的に少ない資金で運営しているため日に一度の食事すら満足に用意できないこともあるので、その際には国が無償で食事を提供しているのだ。
現在は、食事の時間帯からは少しずれているということもあって、食堂を利用している人の姿は少ない。
近くの席に座っている兵士が、黙々と黒パンをスープに浸して食べている……今日のメニューは黒兎のトマト煮込みか。なかなか美味しそうだ。
「何だか、中学の学生食堂を思い出しますね。テーブルと椅子以外何もない殺風景な感じが凄くよく似てます」
食堂全体を見回しながら、ムツキが懐かしそうに言っている。
中学って……ムツキは今何歳なんだろうか。
「あの、失礼ですが勇者さん、お幾つなんですか?」
「俺ですか? 二十一ですけど」
え、まさかの成人済?
二十一ってことは……僕より五つ年下か。
高校生くらいかなって思ってたけど、結構童顔なんだな……
まあ、童顔なのは別に悪いことではない。中身さえしっかりしていれば、別に見た目が小学生同然でも全然構わないと思う。中身さえしっかりしていれば。重要だから二度言った。
「そうでしたか。見た目がお若いから高校生かと思ってましたよ」
「あ、俺高校行ったことないんで。高校生ってのはありえないですよ」
「……え」
けろっと返されたムツキの言葉に、僕は思わず口を閉ざしてしまった。
高校に行ってない……って、ひょっとしてムツキは物凄い貧乏な家庭で育ってきて、高校に進学するための費用が工面できなくて仕方なく働く道を選んだとか、そういう身の上の人間なのだろうか。
あの『変態参上!』と書かれたTシャツを平気な顔をして着てるのも、それ以外に着る服をろくに持っていないからだとしたら……
そうだとしたら、僕は無神経なことを言ってしまったかもしれない。中卒で働いていた過去のことなど他人に明かしたいものではないだろう。
僕は頭を下げて謝罪した。
「それは……すみません。何だか訊いてはいけないことを訊いてしまったようで」
「いや? 別に構わないですよ? 俺が高校に行かなかったのって、単に入試に落ちたから行けなかったってだけですから」
「……はい?」
思わずムツキを見つめる僕。
ムツキは後頭部を掻きながらあっけらかんと笑っている。
「俺、偏差値物凄い低くて、受験受けられる高校が一箇所しかなくって。そこを落ちたら他に入れる高校なんて見つけられるわけないじゃないですか」
……複雑な家庭の事情とかではなく、単に桜が散っただけだったらしい。
「そんな感じで中学卒業した後はずっと自宅警備員の仕事を片手間にやりながら世界各地を冒険してました。その時に『希望の戦士』の称号を手に入れたんですよ。大勢の仲間もできましたし、みんなとの冒険生活は大変でしたけど充実してましたね!」
自宅警備員って……要はニートのことだよな?
その冒険生活って、多分パソコン用のオンラインゲームとか、そういうやつだよな?
中学を卒業してから、ってことは、十五の時から二十一の今日まで、働きもしないでずっと家に引き篭もってゲーム三昧の生活をしてたのか?
駄目じゃん! こいつ、筋金入りのゲーム廃人だった!
そりゃ六年もゲームしかしてなかったら思考回路が残念な成長を遂げもするよ! ピーマン男じゃなくて超ピーマン男に格上げだよ!
こいつの周囲には、こいつを更生させようって考えた奴はいなかったのか!?
「こっちの世界に来て、みんなとは離れ離れになっちゃったけど……俺、一人でも立派に希望の戦士として魔王と戦いますから! ……どうしたんですか、レンさん。何気なく飲んだカルピスが実は塩素系漂白剤だったって分かった時みたいな顔して」
それ、飲む前に絶対臭いで気付くと思うんだけど。
そう突っ込み返す気力もなかった僕は、額に手を当てて俯いてゆるゆるとかぶりを振りながら、何でもないとだけ返したのだった。
宿舎。
基本的に、城勤めの兵士たちが寝る時にしか利用することがない部屋である。
その雰囲気は、例えるならば野戦病院という言葉が相応しい。やや広めの部屋に、ひたすらベッドのみが等間隔に設置されただけの空間だ。
此処にあるベッドは特別製で、兵士が脱いだ鎧などを置くスペースをベッドの下に確保するために脚がやや長めに作られているのが特徴なのだが、毎日のようにベッドから転げ落ちて打ち身が絶えない兵士も中にはいるらしい。ベッドを特注品にするならせめて囲いくらい付けてあげるべきだったんじゃないだろうかと、此処にあるベッドを目にする度に僕はそのようなことを思っている。
「此処が宿舎です。基本的に空いているベッドでしたらどれを使っても大丈夫ですよ」
「成程。此処で減ったHPを回復できるというわけですか」
「……HPという概念はいい加減に捨てて下さい勇者さん。此処はゲームの世界じゃありません、現実なんです、げ・ん・じ・つ!」
疲れた体を休める場所という意味ではムツキの認識は決して間違ってはいないのだが、HPとかステータスとかシステムといったゲーム的感覚はこの現実世界では通用しないということをそろそろ理解してほしいものである。
ムツキはこの世界をヴァーチャルリアリティか何かだとでも思っているのだろうか?
「此処は二十四時間常に解放されていますので、横になりたいと思った時はいつでも此処で休んで下さい」
「はい。……因みに、HPを全快させるためにはやはり一晩ゆっくり休む必要がありますよね?」
「だから、HPと言うのは……はぁ、もういいです。お休みの時間は自分で好きなように決めて構いませんが、やはり人間の体というものは昼間動かして夜にゆっくり休めるものですからね。勇者さんがそれを最良だと思われるのでしたら、そうされるべきだと僕は思います」
寝不足は思考力を鈍らせる。それは冒険者にとっては時に命を脅かす危険を招く要因にもなりうる。
HP云々のくだりは置いておくにして、ムツキが今言っていたことはあながち間違いというわけではない。
過去には寝不足が原因で魔物の猛攻を捌ききれずに食い殺されてしまった召喚勇者もいた。それと比較したら、ムツキは割と慎重な方であると言えるだろう。
「冒険序盤は回復アイテムを頻繁に買えるだけのお金もないし、怪我をしたらなるべく此処に戻って来てHPを回復させるようにします。大金を作る秘訣はどんなに小さいと思える出費もとにかくケチることですからね!」
「一晩寝ただけで怪我が治るわけないでしょう! 此処はそんなに清潔な環境じゃありませんから、そんなことをしたら傷口に雑菌が入って状態がかえって悪化しますよ! 怪我をしたら素直に傷薬で治療して下さい! どうしても傷薬を使いたくないのだったら此処ではなく医療室の方に行って下さい!」
因みに、傷薬はあまり大きすぎる裂傷なんかには使っても殆ど意味はない。無意味というわけでもないが、そこまでの大怪我だと患部の消毒云々以前に止血することの方が重要になってくるからである。
要は、車に撥ねられて頭を割ってしまった人間が、割れた頭に軟膏を塗っただけで助かるだろうか? そういうことなのだ。
「とにかく…………あれです。此処はスタミナは回復しますけどHPを回復させる効果はありませんから、HPを回復させたかったら医療室の方を利用して下さい。そういう仕様なんです。分かりましたね?」
「成程……この世界では宿屋はスタミナを回復させる場所で、HPを回復させたかったら医療室に行くと……了解です、覚えました」
この男はゲーム用語で話せば素直に話を理解してくれるのだが、生憎僕はそこまでゲームに関する知識を持っていないので、ひとつものを教えるにも結構な手間がかかる。
昔「オタクの話す言葉は宇宙語だ」と言った人がいたらしいが……まさにその言葉が実体化したものを目の前に出されているような感覚だ。
「ところでレンさん、旅先で医療室がない街を拠点にしている場合は、HPはどうやって回復させればいいんですか?」
「……それは御自分で傷薬を使って治療して下さい。普通はそうするものなんですから」
「うむむむ……スタミナがあるうちはHPは歩いてるうちに自然回復するから、それでやりくりしろってことか……近接職って戦闘力は高いけど、こういうことに関しては弱いよな。やっぱり引き狩りシステムがないのはきついなぁ」
何やらまた謎の理論をぶつぶつと言い始めた。
ムツキが言っている猟犬を使った狩猟方法というものは、実を言うと存在していないわけではない。森や山岳地域に近い場所にある農村なんかでは、兎や鹿を仕留めるために猟犬を使った狩りの仕方が今でも普通に行われている。
しかしこれは、あくまで『動物』を狩るための狩猟方法であって、『魔物』相手には全く通用しないのだ。
魔物は、魔王が世界征服のための尖兵として異界より召喚した生き物であるとも、動物を何らかの方法で変異させた異質の存在であるとも言われている。自然界の食物連鎖のピラミッドを壊す存在、それが魔物なのだ。
普通の動物は、魔物を目の前にすると本能的に恐怖を感じるらしく、それが例え人間の間では最弱と言われる魔物であったとしても、手を出すことは絶対にしない。──つまり、魔物を狩るのに猟犬を用いる方法は使えないのである。犬が魔物に怯えてしまい、狩りどころではなくなってしまうからだ。
魔王に対抗できるのが人間の勇者だけだと信じられている理由も、おそらくその辺りから来ているのだろう。
「勇者さん、誰でも最初は魔物と戦うことに不安を覚えるものです。いきなり完全無欠な戦い方ができる冒険者なんていないんですよ。勇者さんは先程魔物を目の前にした時に、恐れることなく立ち向かって僕を守ろうとして下さったではありませんか。それだけでも勇者さんは凄い人だと、僕は思います。……大丈夫ですよ、勇者さんは間違いなく強くなれます。あんな物凄い力を持った神獣を召喚できるほどの力をお持ちなのですから」
考え込んでいるムツキを、僕は鼓舞した。
世辞抜きに、ムツキが持っている召喚能力は凄いと思う。僕はこれまでに何十人という召喚勇者を間近で見てきたが、これほどまでの能力を持っていた者は今までに一人もいなかった。
訓練場でしっかりと魔物と戦うための訓練を受けて、体を鍛えて体力を付ければ、間違いなく彼は歴史上最強の召喚勇者になれる。僕はそう信じている。
かつて僕が味わってきた辛い思いを、彼にはさせたくない。そのためには、彼からどんなに面倒だと思われても、教えられることは全て教え込むつもりだ。
「さあ、次は医療室へと御案内します。その後訓練場に向かいましょう。そこで、魔物と戦うための基本的な知識をしっかりと学んで下さいね」
「分かりました。いよいよチュートリアルの訓練か……やっぱりミニゲームみたいな感覚なのかな? 楽しみだなぁ」
僕の鼓舞が効果があったのか、それとも単に気持ちの切り替えが早い性質なのか、すっかり普段の調子に戻っているムツキを連れて、僕は医療室へと向かったのだった。
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