第8話 勇者、力を見せる
グリーンロウカストゥ。『緑のイナゴ』の名が示す通り、巨大化したイナゴの魔物である。
実物を見たことはないが、世界各地に亜種がいて、生息している土地の環境に合わせて姿や習性が変わるらしい。
体長はおよそ一メートル半。イナゴらしい脚力を持ち、羽を使って空を飛ぶこともできる。
と、こう言うと単に大きいだけの虫じゃないかと思えるだろうが、こいつの恐ろしいところはその異常とも言える旺盛な食欲にある。
こいつは悪食な魔物として有名で、目の前にあるものを手当たり次第に食べてしまうのだ。植物だろうが動物だろうが関係なく、その強靭な顎で硬い骨や身に着けている金属製の武具まで残らず噛み砕いてしまうという。こいつに襲われたら最後、後には何も残らないらしい。
昔、大量発生したこいつが群れを成してひとつの村を襲ったという記録が残っているのだが……その時は、群れに全てを食い尽くされて建物すら残らぬ更地と化したという。
それ以来こいつは『悪食の悪魔』と呼ばれて恐れられるようになり、大繁殖しないように見かけたら率先して駆除するようにとの通達が冒険者たちに言い渡されるようになった。
比較的何処にでもいる魔物なので、こうして町の中で出くわすことは珍しいことではない。大方小麦の匂いに誘われて、町の外から飛んできたのだろう。
魔物としての脅威は、顎にさえ注意すれば他は大したことがないのでそこまで大きいものではない。駆け出しの冒険者でも十分に狩ることができる魔物だ。
しかし、ムツキはまだ戦うための訓練を何ひとつ受けていない、ただ召喚勇者としての能力を持っているだけの人間でしかない。僕でも抑えられる程度の腕力しかない彼の身体能力で、こいつを撃退できるとはどうしても思えなかった。
「こいつは……随分大きいバッタですね。この世界では、これが一般的なバッタなんですか?」
ムツキはこれが魔物だという発想がないのか、暢気にグリーンロウカストゥを観察している。
いや、バッタじゃなくてイナゴだから、そいつ。似てるけど全然別物だから!
僕は彼を無理矢理後方に押しやって、声を張り上げた。
「バッタじゃなくてイナゴです勇者さん! グリーンロウカストゥという名前の魔物ですっ! 咬みつかれたら人間の腕なんて簡単に持って行かれてしまいますから、絶対に咬まれないようにして下さい!」
「あー、イナゴなんですか。バッタの魔物っていうとアバドンとかアポルオンが有名ですけど、イナゴっていうのは初めてですね。ふむ……」
しばし考え込んだ後、笑いながら手にした剣を体の前で構えた。
「イナゴって確か食べられますよね。脚とか剥ぎ取って店に持って行ったら、食材として買い取ってもらえますかね?」
「だから魔物を平然と食べようとしないで下さいってさっき教えたばかりでしょうが! ちゃんと聞いてたんですか、僕の話!」
この世界にも、一応昆虫を食材として扱う文化が存在する。辺境地域にある村などでは、郷土料理として一部の種類の昆虫を焼いてスパイスで味付けをしたものが普通に食べられているらしい。
しかし、それはあくまで『普通の』昆虫を食材にする文化であって、流石に昆虫系の魔物を食べる風習はない。
ついでに言うと、都会には昆虫を食べる習慣はないので、辺境地域と同じ感覚で昆虫を人前で食べたりすると変な目で見られることになるので注意されたし。
「とにかくっ……これが人通りの多い場所に飛んで行ったら大変なことになりますから、この場で駆除しますよ! 僕が何とかしますから、勇者さんは下がっていて下さい!」
「何言ってるんですかレンさん。此処は俺が戦うべきでしょう。俺は勇者なんですよ? 俺が身を張ってレンさんを守らなくてどうするんですか」
ムツキは剣を構えたまま、少しずつグリーンロウカストゥとの距離を詰めていく。
魔物相手にも全く臆することなく堂々としていて、構えも一見決まっているように思えるが、剣の軸が微妙にぶれていたりと色々な部分で基本がなっていない。多分これは彼が今までに見てきたゲームのキャラクターが武器を構えている姿を真似たものなのだろうが、ゲームの中でキャラクターがやっている無茶苦茶な武器の扱い方はゲームの世界だから通用しているものであって、現実で同じことをやろうものなら逆に自分が怪我をするだけだということを教えてやらなければ。
「無茶ですよ勇者さん! 貴方にはまだ魔物と戦える力は……」
「心配はいりませんって。俺の希望の戦士としての力、お見せしましょう」
ムツキはすうっと息を深く吸って、表情を引き締めた。
グリーンロウカストゥをじっと見据えて、落ち着いた声で何かの呪文のようなものを唱え始める。
「我が体内に宿る炎獄の魔神よ……今こそ此処に姿を現せ。我が命に従い、眼前の災禍を炎獄の烈火で焼き尽くせ! 出でよ、イフリート!」
ボウッ! とムツキの前に、直径三メートルほどの炎で模られた円が出現する。
そしてその円の中央から、茜色に光り輝く何かが勢い良く飛び出して、ムツキの前に降り立った!
身の丈は三メートルほど。筋骨隆々の体つきをしているが、下半身は純粋な人間のものとは異なり若干牛の後肢に似た特徴を備えており、爪先は蹄の形をしている。尻からは長い尻尾が生え、頭には真っ黒な二本の立派な角がある。顔つきは、牛と獅子の中間といった感じの獣っぽい厳つい顔だ。背中まで伸びた鬣のような髪は燃え盛る炎で、ゆらゆらと独自の意思を持っているかのように揺れ動いていた。
「……!?」
突然目の前に出現した謎の存在に、僕は絶句してその場に立ち尽くす。
これは……召喚魔法、か?
召喚魔法、とは、その名の通り異世界から特別な力を持った神獣と呼ばれる獣を呼び出して従えることができる魔法だ。特別な才能がなければ使いこなすことができない『古代魔法』に区分される特殊な魔法の一種で、この魔法を自在に操ることができる人間はほんの一握りしか存在しないと聞いている。
まさか、これがムツキに秘められた固有能力なのか?
ムツキはグリーンロウカストゥにびっと剣先を突きつけると、彼がイフリートと呼ぶそれに向かって命令した。
「行け、イフリート! あの魔物を倒せ!」
ムツキの声に応じて、ずん、とイフリートが一歩前に出る。
牙の間から、炎の欠片のようなものが見える……ひょっとして、火を吐くのか? こいつ。
こんな場所で火を放つなんて、そんなことをしたら魔物だけじゃなくて畑まで燃えるじゃないか!
ハッと我に返った僕は、慌ててムツキを制止した。
「待って下さい勇者さん! 畑の傍で火なんか使ったら、作物が燃え……」
それと同時だった。今までこちらのことをじっと観察しているだけだったグリーンロウカストゥが、明確な反応を見せたのは。
奴はキチキチキチッと鳴き声を発すると、急に羽を広げて飛び立った!
バッタやイナゴのような姿をした魔物は、意外に思えるかもしれないが、基本的に脚で歩くよりも飛んで移動することの方が多い。その方が素早く動くことができるからだ。
イフリートがどの程度奴の飛行速度に付いていけるかは分からない。もしもイフリートの隙を狙われて、奴が僕やムツキに狙いを定めてきたら──
そう懸念した時、グリーンロウカストゥが大きな羽音を立てながら僕たちから距離を置いた。
そしてそのまま、背を向けて空の彼方へと飛び去っていったのだった。
「……え……?」
奴の予想外の行動に、僕は目を瞬かせてぱかっと口を開いた。
魔物も、一応生き物なので本能に基づいた基本的な感情が備わっていると言われている。が……
今のは……イフリートを恐れたのか? 敵わない相手と判断して、逃げたのか?
確かに、昆虫系の魔物は火を嫌う。イフリートが炎を吐いてくると本能で察して逃げた可能性は十分に考えられる。
……まさか、ムツキはそれを見越した上でわざと火を操るイフリートを……?
「何だ、逃げちゃったか……空を飛ばれたらマーキングしてない限り追うのは難しいしなぁ。まあ、仕方ないか。戻れ、イフリート」
ムツキは残念そうに魔物が逃げていった空を見つめながら、イフリートに命令を下す。
イフリートは無言のまますっと陽炎のようにその場から音も立てずに消え去った。
「レンさん、怪我はありませんか? ……レンさん?」
「…………」
何事もなかったかのように平然とこちらに振り向いてくるムツキを、僕は口を開きっぱなしにしたまま見つめていた。
ひょっとして、この男……僕が思っているよりも、遥かにとんでもない能力を持っているのかもしれない。
これなら、本当に、魔王を倒せるほどの勇者に成長するのでは……!
闇の中に差し込んだ一筋の光を見たような気持ちになり、僕はムツキの両手を手に取った。
「勇者さん……必ず、魔王を倒しましょう! 貴方ならきっとできます! 頑張りましょうね!」
「急にどうしたんですかレンさん。そんなの当たり前じゃないですか。俺は希望の戦士なんですから。必ず、魔王を倒してこの世界を平和にしてみせますよ」
今までにも散々聞いてきた彼の謎の自信に満ち溢れた言葉が、この時は本当に夢を現実に変えてくれる力を秘めた特別なもののように聞こえたのだった。
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