第3話 武具を買う前にすべきこと

 ムツキの所持品は王様から旅支度の費用として受け取った五千リドルだけだった。どうやら彼は財布も持っていなかったらしく金貨の状態で返却されたので、僕は小さな革袋を調達してきてそれに金貨を詰め込んだ。彼はこんなかさばる状態のままどうやってこれを持ち運んでいたのだろうか……少しだけそれが気になった。

 因みに、リドルというのはこの世界で一般的に使用されている通貨の呼称だ。金貨、銀貨、銅貨の三種類があり、一リドルで銅貨一枚、銅貨十枚で銀貨一枚となり、銀貨十枚で金貨一枚となる。

 余談だが、レートは日本円に換算すると一リドルはほぼ百円に相当するらしい。要はアメリカドルのレートとほぼ同じというわけだ。これは勇者時代にあちこちで野菜なんかの食品を購入しているうちに自然と気付いたことで、正直に言って日々の暮らしには何の役にも立たないトリビアではあるのだが、国から給料を支給された時にそのことをふと思い出して「ああ、今僕は日本でこれくらいのお金を稼いだんだな……」と実感して微笑ましく思うことがある。僕は既に身も心もこの世界に住む人間として順応したつもりではあるが、かつて日本人だったという誇りは忘れないようにしたいものだ。

 僕は正式な手続きを取ってムツキを牢屋から連れ出して、彼の身支度を整えるために城を出て二人で城下町へと向かった。

 五千リドルもあれば、それなりの武器を調達することができるだろう。防具も手に入れられればなお良い。

 僕の先導で、僕たちは城下町で唯一の武具専門店に到着した。

 此処は、駆け出しの冒険者が扱うような初心者向けの武器からベテラン冒険者が扱う特別製の業物まで幅広く取り扱っているそれなりの大店だ。僕はムツキがどういう戦闘技術を持っていてどういう武具を好むのかを知らないが、此処ならば彼にも扱える武具が必ずあるはずである。


「此処で、貴方が使う武器と防具を揃えましょう」

「あ、待って下さい、レンさん。店に入る前にちょっとだけ確認させてもらってもいいですか?」


 早速入店しようとした僕を、ムツキが呼び止めた。

 僕は足を止めて振り返った。


「確認? 何を?」


 問うと、ムツキは僕から離れてすたすたと通りの反対側に歩いて行った。

 そこは、酒場だ。比較的安い値段で美味しい酒やちょっとした料理を提供している人気店である。経営者が元冒険者だった経歴を生かしてちょっとした情報屋のようなことをしているということもあって、特に冒険者たちの利用客を多く見かける店なのだ。

 旅に関する基礎知識なら僕でも十分に教えられることなのに、何か他に知りたいことでもあるのだろうか。

 僕が見つめている中、ムツキは酒場の入口にはまるで目もくれず、その横に置いてある酒樽へと一直線に向かっていった。

 そして何を思ったのか酒樽を唸り声を上げながら担ぎ上げると、通りに向かって力一杯投げつけた!


 がごん! ごろごろごろ……


 酒樽は派手な音を立てて地面にぶつかり、転がっていった。

 物音にびっくりしたのか、周囲の通行人たちがぎょっとして酒樽とムツキを交互に見ている。

 僕は慌ててムツキへと駆け寄り、彼の両肩を掴んだ。


「ちょっと! いきなり何やってるんですか!」

「ほら、壺とか樽って時々アイテムとか武器が隠されてたりするじゃないですか。俺、前に全財産をはたいて買った武器と同じものを武器屋の近くにあった壺から手に入れた経験があるんで、もしも店で買い物をした後に同じものを手に入れることになったら嫌だなって思って……だからあの日以来、新しい街に来たら買い物をする前に街中の壺や樽を調べることにしてるんですよね」

「何の話をしてるんですか! 確かに壺に何かをしまう人もいますけど、だからって見境なく見つけた壺や樽を破壊しようとしないで下さい! 器物破損に窃盗の罪で牢屋に入れられたいんですか貴方は!」

「壊した壺なんてどうせエリアチェンジすれば元に戻るじゃないですか」

「しませんから! 何ですかエリアチェンジって! そんな奇跡みたいな現象なんて起こりませんよ! とにかく壺や樽を投げない! 壊さない! いいですね!」

「えー、でも中にメダルとかがあったら……壊したりしませんから、中を調べるくらいはいいですよね?」

「駄目です! 勇者ともあろう人が堂々と泥棒宣言なんてしないで下さい!」


 僕は残念そうにしているムツキを叱って、今投げた樽を元の場所へと戻させた。

 幸い今回は樽が壊れなかったから良かったようなものの……これで壊れていたら更に面倒なことになっていただろう。

 早いところ用事を済ませよう。

 僕はムツキの手を引いて、武具専門店の入口をくぐった。


「いらっしゃい」


 壁に掛けられている斧の手入れをしていた男性がこちらに振り向いてくる。

 がっちりとした体格で顔も強面だが、短く角刈りにした灰色の髪のお陰かさっぱりとした印象を受ける人物だ。

 彼はこの店の主人で、名をブルーノという。この店には城勤めの騎士たちも世話になっているので、僕も彼とはそれなりに面識があった。

 ブルーノさんは僕の顔を見るなり破顔した。


「おう、誰かと思ったらレンじゃないか。お前さんの方からこの店に来るのは初めてなんじゃないか?」

「こんにちは、ブルーノさん。そうですね、いつもは城の方でお会いしてますしね」

「そっちの連れは見たことのない顔だな。新しく入った騎士か?」


 ムツキに目を向けるブルーノさん。

 ムツキはというと、子供のように顔を輝かせて、店内に並べられた武具を興味津々と見つめている。


「いえ、彼はこの度新たに召喚された勇者殿でして……現在、旅に出るための身支度を整えながら色々とこの世界についてのことをお教えしている最中なんですよ」

「ほう、新しい勇者様か。お前さんも毎度毎度苦労してるな。一から全部を教えるのは大変だろうに」

「ええ、まあ……でも、これは僕が好きでやっていることですので」


 この言葉は嘘ではない。ある意味果てしない根気を必要とする召喚勇者育成の仕事は、半端な気持ちでは務まらないのだ。

 僕は、今のこの仕事が好きだ。それは掛け値なしにそう思っている。

 そうか、とブルーノさんは笑顔で僕の肩をぽんと叩いた。


「ま、勇者様が何事もなく世界で活躍できるのはお前さんの教えがあってこそだろうと俺は思ってるぞ。色々あるだろうが、頑張ってくれよ」

「はい。ありがとうございます」

「……で、此処にはその勇者様が使うための武具を買いに来たってわけか」

「そんなところです。武器に関しては僕はあまり詳しくはないので、ブルーノさんの方から彼に良さそうな品を見繕ってあげて下さいませんか?」

「おう、構わんぞ。──それじゃあ勇者様、まずはお前さんがどういう武器を扱うのが得意なのかを参考として聞きたいんだが」


 ムツキの反応はない。彼は僕たちの存在などすっかり忘れた様子で、壁に立て掛けられている巨大な槍を指先でつんつんとつついている。

 あれは、ヘヴィランスと呼ばれている槍だ。長く引き伸ばした円錐のような形状をしており普通の槍よりも高い貫通力を誇る刺突に特化した槍だが、見た目から分かるように遥かに重いため使いこなすには相当の腕力を必要とするものである。

 ああいうヘビーな武器が好みなんだろうか、彼は。


「勇者さん。呼ばれてますよ」

「……あ、すみません」


 僕が声を掛けると、彼はぱっとこちらに振り向いてきた。


「いや、これだけ色々な武具が並んでると年甲斐にもなくわくわくしちゃいますね。ほら、専用デザインの武器とか、使いもしないのについコレクションしたくなりませんか?」

「オーダーメイドの武具を収集? そんな金のかかる趣味を持ってるのか、お前さん。そんなことをしてるのは金のある貴族とか王族くらいのもんだぞ」

「そんな、素材があれば自分で作れるのに買うわけないじゃないですか。魔物から素材を剥いで集めて武器や鎧を作るのは勇者の基本でしょう?」

「魔物の素材を集めて自分で作る!? ま、まあ勇者ともなると素材を集めるのは簡単なことなのかもしれないが……流石に武具を自作する冒険者なんてのはいないぞ。鍛冶なんてのは旅の片手間に身に付けられるような技術じゃないからな」


 この世界には、武具を作るための材料として実に様々なものが使われている。魔物の牙や爪、鱗といったものもそのひとつだ。

 しかし、それらの素材を加工するには専門的な技術と知識が必要になる。それを会得するためには短くても最低十年はプロの職人に弟子入りして技術を学ばなければ身に付かないとまで言われており、修行中は当然だが他のことなどしている暇などない。例え構造が簡単な小さなナイフを一本作るだけでも、この世界においては大変なことなのだ。

 冒険者は魔物の素材を手に入れて職人に売り、職人はその素材を使って作り上げた武具を冒険者に売る。そうして、この世界の武具市場における商売は成り立っている。

 もしも自分で素材を調達して加工して武具を作ることができる冒険者がいたら……間違いなく、その人間は億万長者になっていたことだろう。

 ブルーノさんの言葉を聞いて、ムツキは驚きの声を上げた。


「えっ、この世界には職人ギルドはないんですか!? 木工とか鍛冶とか彫金とか」

「ありませんよ、そんなものは。この世界で職人としての技術を持っているのは長年その道のプロとして修行を積んできた人間だけです。職人は冒険者が副業として片手間にやれるような仕事じゃありませんから」

「それじゃあ自分で作った武器に自分の銘を記念に入れたりとか、そういうこともできないんですか? 競売に出品して売って金策することも?」

「競売なんてシステムはありませんよ。似たようなものにオークションというものはありますが、あれは基本的に貴族や王族だけしか参加できない上流階級限定の道楽のようなものですから」

「えー……」


 ムツキは酷くがっかりした顔になった。


「早いうちに生産系ジョブと採集系ジョブをカンストさせて金策手段を確立させようって思ってたのに、まさか非戦闘職がないなんて……何てことだ! それじゃあゆくゆくはマイハウスを買って家具を自作してハウジングしながらのんびり暮らすっていう夢も叶えられないってことなのか!? そんな!」


 遂には何やらぶつぶつと呟きながら頭を抱え始めてしまう。

 そんな彼を、ブルーノさんは何やら不思議なものを見るような目で見つめている。


「……何か、意味不明なことを言いながら悩み始めたが……大丈夫なのか? この人」

「…………いつものことなので。放っておいて大丈夫です」


 僕はムツキの将来設計の悩みに関してはスルーすることにした。

 自分の家が欲しいなら、頑張ってお金を稼いで買えばいいと思う。それから職人に転職して技術を身に付けて家具を自作するなり改築するなり好きにすればいいんじゃないかな。

 早いところ一人前の勇者になって魔王を倒して世界を救ってくれさえすれば、それ以降は何処で何をしようが僕は止めないよ。基本的に。

 でも、今は夢について悩む以前にすべきことがあるでしょう。貴方には。


「勇者さん、貴方の将来設計に関しては魔王を倒してから幾らでも考えて下さい。今の貴方がすべきことは魔王を倒す勇者として一日も早く力を身に付けて、旅立つことなんです。そのためのお手伝いでしたら僕を初めとするこの町の人間が幾らでもしますから。貴方は世界に選ばれしたった一人の勇者……神様の加護を授かった希望の戦士なのでしょう?」

「!」


 僕の言葉に、彼はハッとして頭を抱えるのをやめて前を向いた。


「……そうだ。俺は希望の戦士……こんな小さなことで悩んでいる場合じゃなかった。こうしている間にも、この世界の何処かには俺の助けを求めている人たちが大勢いるというのに!」


 きりっと引き締まった面持ちで、僕たちの方を向き、言う。


「あまりのショックで大事なことを忘れるところでした。ありがとうございますレンさん、俺、一刻も早く世界最強の勇者として旅に出て、魔王を倒して世界を救ってみせます!」

「その意気です、勇者さん。それでは早速貴方に相応しい武器選びを始めましょう」


 成程。こうやってコントロールすればいいのかこの男は。

 ゲーム脳人間って、案外単純な人種なのかもしれない。

 僕はムツキをブルーノさんの前に立たせて、改めて彼に相応しい武具を選ぶための相談を開始した。

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