第五週「一期は夢よ」
「なあ、刑事さんは輪廻転生を信じるか」アイバは言った。「仏教の概念だ。わかるだろう。人は死ぬ度に生まれ変わり、この世での生を繰り返すという」
アイバは
「俺は敬虔なキリスト教徒だったつもりだ。それがどうだ。あのくそったれな前世の記憶のせいで俺の信仰は一瞬のうちに崩れ去ったんだ。千年王国なんてものはない。俺たちはただ娑婆の苦しみを永遠に繰り返すだけだ」
殺人者は焦らすように、ゆっくりと近づいてきた。干し草を踏む音が神経に障る。すぐ傍らに倒れた
「それとも……やっぱり千年王国はあるんだろうか? ただ、俺たちのように仏教徒の血を引く者だけが娑婆苦を繰り返すんだろうか? そうも考えた。まあ、どっちでもいいよな。どのみち、俺の定めは変わらないんだ」
アイバはしゃがみ込んだ。椅子に縛り付けられたわたしと目線の高さを合わせるようにして言う。
「なあ、あんたならわかるだろう。刑事さん」
そして、殺人者は古い日本の小歌を口ずさみはじめた。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
その歌をはじめて目にしたのはクリスマスを控えた年の暮れだった。
「現場に残されていたのか?」叔父さんの問いかけに僕はうなずいた。
現場となったのはとある日系人夫婦の家だった。ある日の昼下がり、夫婦の知人が彼らを訪ねると、そこは血の海になっていた。夫婦は後にマチェーテとわかる凶器でずたずたに切り裂かれ、腹の中にあったものをぶちまけながら横たわっていた。腰を抜かした知人が通報し、わたしたちが事件の担当となった。
例の歌は現場となった寝室の壁に、夫婦の血で書かれていた。日系人のわたしにはそれがすぐに日本語の歌だとわかった。
「被害者と担当刑事も日系人なら、犯人も日系人、あるいは日本人というわけか」叔父さんは笑った。
結果的には叔父さんの言う通りだったが、当時のわたしはまだ決まったわけではないと慎重に言い、それより歌について教えてほしいと乞うた。
「自分で調べ来るくらいできるだろうに」叔父さんは不機嫌そうに言いながらも、解説しはじめた。
『閑吟集』という、室町時代に編まれた歌集に収められた歌らしい。遊女が歌ったものと思われ、その歌意は、人生を一瞬の夢とし、ただ狂うがいいと焚きつける内容になっているそうだ。
「サイコ野郎が現場に残すにはふさわしい歌というわけだ」叔父さんは最後にもう一度からからと笑った。
その夜、わたしは夢を見た。人を殺す夢を。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
そこは畳敷きの部屋だった。わたしは鉈を何度も振り下ろした。畳が血を吸って真っ黒になるまで、飽きることなく破壊と解体を繰り返した。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
哀れな被害者はもはや原形を留めていない。血に汚れ、男か女かの区別もつかなかった。ただ、体の大きさから、まだ子供であることが察せられた。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
どこからともなく、その歌が聞こえてくる。はらわたを引きずり出し終えてはじめて、それが自分の声であることに気づいた。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
得も言われぬ使命感にかられたわたしは襖に指を這わせた。字がかすれる度に血を拭って補充する。そして、あの歌を書き終えた。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
「一目見てすぐわかったぜ。あんたが夢に出てきたくそ野郎だってことはな」アイバはわめいた。「前世で俺を殺したくそ野郎」
遠くでサイレンが聞こえた。応援が来たのだろう。わたしはアイバにのしかかったまま、その音が近づくのを待った。
おそらく、納屋にあったロープをそのまま使ったのだろう。わたしを縛っていたロープは古くなっており、そう時間をかけずに隠し持っていたナイフで切ることができた。
「殺せよ」アイバが言う。「同じ夢を見たあんたならわかるだろう。前世からは逃れられない。この血からは。業からは。輪廻からは逃れられない。アメリカだろうが日本だろうが同じさ。俺たちの定めは変えられない。この煮えたぎるような憎悪がその証拠だ」
やがてパトカーが到着し、アイバは殺人の現行犯で逮捕された。後に夫婦の殺害容疑で再逮捕されるが、その頃にはもうアイバは精神の均衡を失っていた。いまは精神病院に収容されているという。病室の前を通ると、絶えずあの歌が聞こえるとのことだ。
「人生は夢のようなもの」叔父さんは言った。「そう考えでもしなければやってられないこともあるんだろうな」
わたしはうなずいた。その日は父の四九日法要だった。墓の前で、焼香の煙が昇るのを見ながら、わたしは静かにあの歌を繰り返した。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
三題噺マラソン 戸松秋茄子 @Tomatsu_A_Tick
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます