第17話
しばらく経って、昌武が大坂の屯所を訪れた。当然、自慢の西洋部屋で応対した。昌武は私を見るなり土下座して、北風にも負けない声で「申し訳ございません」と言う。
「土方先生らを前に怯えてしまいました」
「今更だよ。見ろ、私は生きているじゃないか」
そうして私は両腕を伸ばした。この動作には、この日着ていた洋服を弟に見せびらかす意志もあったのだが、弟は「そうですね」と茶碗に口をつけるばかりで一向にこちらを見る気配が無い。どうやら弟に舶来は馴染まなかったらしい。これに関心を示しているのは弟よりも正木君だった。すっかり袴嫌いになってしまった彼は、西洋のズボンに興味を示すようになり、私と同じく西洋の蒐集品を揃えるようになっていった。不思議なことに、正木君が西洋趣味に没頭すればするほど、私の憧れは薄れていく。かつてはこの屯所すら、西洋風に造り替えてやろうとすら思っていたが、今ではそれが無粋に思えてならない。
そしてそれに代わって、新たな趣味が私の心に宿った。
「とはいえ、私もこの西洋趣味を少し自重しようと思うんだ。それよりも、西洋と日本とが一緒くたになった世を、私は見てみたい」
「洋と和の合体ですか」と昌武が手にする美濃焼茶碗の中には、西洋人が好んで飲む「かひ」が入っていた。茶と違って苦いばかりなので最初は顔が歪んでいたが、近頃はどうにか慣れてきて、この味に奥深さを見出そうとするばかり。一方昌武は顔色一つ変えずに飲んだ。
「そんな不思議なことができるのですか」
「わからない。が、そんな景色を見てみたいんだよ」
すると昌武の顔色がふと変わり、手元で波紋をつくるかひに顔を突っ込むのではないかという程凝視した。
「万太郎兄上、私たち新選組は上様のために働いているわけですよね」
「そうだね」
「そして長州の浪士たちは、幕府ではなく天子様の御為に悪巧みをしているわけですね」
昌武はかひを喉に通すと、西洋の香りのする息を吐いた。
「上様と天子様、お二人が手を取り合えば、世は乱れずに済むのでは。公家と武家の合体こそ、我らが目指す世ではありませんか」
こいつはどれだけ言うことがコロコロ変わるんだ。と呆れた後に、兄上の鼻血面にも似た笑いが込み上げてしまった。つくづく、この小男が西洋趣味に目覚めなかったことが残念でならない。
「君は本当に染まりやすいというか、なんというか」
しかし谷家の血族たる者、これで良いのだ。
あの鼻血面を見てから思う。私はなんて傲慢だったことだろう。あの兄とこの弟には自分がいなければならないと勝手に思っていた。それがどうしたことか、私とてこの二人がいなければまるで駄目じゃないか。そう思いながらかひを飲もうとしたが、兄のことを思い出すたびにあの鼻血面を思い出してしまい「ふへへ」とまともに口に運べない。間が持たないので弟と、久しく世間話でもしようという気になった。
「京で、兄上は元気にしているかな。以前の西洋茶碗を一つ、送って差し上げたいんだが」
昌武はまるでかひを飲んだ私のように顔を歪めた。
「嫌われております」
まあ、そうだと思った。
「近頃は、万太郎兄上がお傍にいてくれれば、と思うばかりです。最では、嫌われ者は谷、武田、と言われるようになりました」
あの観柳に並ぶなんてよっぽどらしい。兄上を嫌っている皆にもあの顔を見せてやりたいものだ。そうすれば少しは変わるだろうに。
と、そこでもう一つ可笑しな話を思い出した。
「あの後、沖田さんに意趣返しを食らってね」
「意趣返し」と聞き返す昌武に、私はその時のことを全て話した。昌武は眉をハの字に傾けて、茶碗を机に置く。その様子は笑おうとしているものではなかった。
「だとしたら、兄上の身の上が危のうございます」
「さて、どうだろう。あの沖田さんの言うことだから」
しかし、沖田総司という男の妖のようなあの雰囲気は、ただ冗談を言っているようにも思えないのは事実。そう思うと、先程以上にかひが喉を通らなくなった。
「スエ、文を書く。支度をしてくれ」
私はかひの入った茶碗をスエに下げさせて、その場で兄に宛てた書を綴った。
兄上、こちらへ来てからあまり便りを送っていなかったので、書きます。大坂ですが、あれから隊士は増えたものの、私一人ではまとめることができません。正木直太郎も療養中で今はおりませんし、できれば兄上、先日のようにお手伝いに来てください。
私は至急、この文を西洋茶碗と共に兄へ送った。
返書は、一ヶ月後にやってきた。送り返された西洋茶碗の箱を包んだ草色の風呂敷には、文が一通入っており、兄の字では無かった。
谷三十郎が、祇園社で死んだという報せであった。
西洋茶碗は使われた様子もなく、清純なままだった
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