第16話

 沖田さんがちゃっかり土方さんの座っていた場所にやってきて、笑いの余韻に浸っている。彼には兄上より、土方さんの方がツボらしい。

「ねえ、さっきの土方さん楽しかったですね。三十郎さんに釣られて、多摩の訛りが出てましたね」

「はあ、気づきませんでした」

「なんで気づかねえんだよドタコ」

 よほど土方さんの訛りが面白かったらしく、沖田さんは小さな声で「任すべ」と土方さんを真似して自分で笑った。

「では沖田さん、私たちはこれからどうすれば」

「あー、うんうん。しばらくはお腹切らなくて大丈夫そうですよ。土方さんの機嫌が良いうちに、早く帰ってくださいね」

「本当ですか? え、本当に良いんですか? だいぶやっちゃう感じの雰囲気でしたけど」

「笑っちゃ負けですよ、あはは」

 あまりの嬉しさに「有難き幸せです」が「あっりゃあきしゃーせれっす」となった。

「兄上、ありがとうございました」

 兄は「ん」とだけ告げると、そそくさと出て行ってしまい、昌武も慌てて兄を追った。気づけば私と沖田さんだけの部屋になってしまった。彼はにこにこと笑ったままこちらから視線を外さない。この視線は一体何を意味するのか、ただ彼の頭が可笑しくて常に笑っているのか、それとも「なぜこの男はせっかく二人でいるのに何も話しかけてくれないのだろう、こうして待っているのに」という顔なのか、はたまた「早く帰んねえかな」という顔なのか。現実的なのは最後の奴なので、私は咳払いして「ではこれにて」と膝を立てた。

 その直後彼は「よかったですね」と笑った、澄んだ目をこちらへ向けて正座している彼に私が首を傾げると、くすりと笑ってこちらへ歩み寄って来た。

「耳、貸して下さい」

「あ、はい」

「あーーーーーーーーーーっ!」

「うおおおおおおおおおおっ!」

 ぐあんぐあんする。水の中みたい。遠くの方で沖田さんの爆笑する声が聞こえる。

「ちょ、やめてくださいよ沖田さん。耳聞こえなくなったらどうしてくれるんですか」

「ごめんなさい、素直に耳を出されたもので、つい」

「悪戯だけなら、私本当に帰りますからね」

「実は今日、三十郎さんに貴方を斬らせるつもりだったのです。この場で」

 周囲の音が消えた。混乱して目を閉じることができない私に、沖田さんは続ける。

「彼は密偵として本当に優秀でしたよ。貴方が隠していたことや隠そうとしたことも全て教えてくれました。その報告を受けて、土方さんどころか山南さんも近藤先生もあなたを殺せと命じたんですよ。しかし突然斬りかかったところで、武に覚えのある貴方のことだから目敏く反応して我らに怪我の一つでも負わせることでしょう。なので貴方が最も警戒を緩くしていた三十郎さんに命じたのです」

 徐々に早口になっていく沖田さんの言葉を全て拾うことはできなかった。そんなことをしている余裕がなかった。

「あ、あの、あの、じゃあなんで私はこうして生きているんでしょう」

「さあ。三十郎さんか、土方さんか、どっちかの気が変わったんじゃないですか、あはは。まあ、さっきまでの話ぜんぶ嘘ですけどね」

 沖田さんは、先程の意趣返しだとばかりに笑い、部屋から飛びだした。私は一人、ぽかんと取り残されてしまった。

「ついていけない」

 そんなことを思いながら、私はその日のうちに、大坂へ帰った。見送りはなく、一人で草履の紐を結んで行った。

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