第15話
「すべてこのお、谷万太郎のぉ、不徳の致すところでございますぅ」
と、めちゃくちゃ態度悪くお辞儀をしてやった。惨めだった。
するとその時、今まで物音ひとつ立てていなかった兄がふと立ち上がり、私の前へ躍り出た。その姿だけでも意外だったが、兄の口から出たのはもっと意外だった。
「副長。それは通らぬ理屈では」
生涯、兄が目上の人間に逆らう姿を見たのはこれが最初で最後だった。
「我らに責などない。我らはただ、民を護らんと奔走したまで。士道不覚悟と嘲られるは見当違いと存じまする」
いつも喋らない兄上の言葉なだけあって、皆が閉口した。
「人を斬れなかった者全てを、士道不覚悟で切腹とするならば」
兄が私を守ろうとしている。その姿が、ぜんざい屋で昌武に大利の説得を任せた自分と重なったような気がした。そう考えた時、私は兄の事を見謝っていたのではないか、ということが頭に浮かぶ。
「池田屋にて到着の遅れた副長、及び留守居役を命じられていた総長と他の方々にも」
ぜんざい屋に少数で出動したのも、大利を突如斬ったのも、私が後々に新選組での立場を危うくさせないように計らったのではないだろうか。今まで二人を守ろうとばかり考えていた私には盲点であった。私は今更、谷三十郎の仁に気付いた。
部屋の中に、兄上渾身の、それでいて起伏の無い声が響いた。
「等しく切腹をしてもらわんとおえまーが」
ん、今兄上。
「何で我らが責を負わんとおえんのなら」
「ぼっふ」
変な声が漏れた。いつも無表情で淡々と話す兄上の言葉に突然故郷の方言が出てくるだなんて、笑わない方がおかしい。いや、しかし土方さんは無表情で兄上の訴えを聞いている。まずい、笑ってはいけない雰囲気だ。兄上は自分に訛りが出た事すら気づいていないらしく、真剣に副長の方を向いたまま口を回している。
「そねーに隊士を斬るばーしょーても、ろくなことがねかろーが」
隣の昌武が「うぇっぐ」と妙な声を漏らした。向こうも笑いをこらえるのに必死らしい。そしてなまじ真面目な話をしているのが困る、笑ってはいけないと思う程に、波が押してくる。
沖田さんが丸まって小刻みに震えている。明らかに笑いをこらえているらしい。そんな沖田さんを見て、兄上が言った。
「ちばけな」
沖田さんがとうとう声を出して笑った。腹を抱えたまま、板間に背を点けてごろごろと回転しながら、文字通り笑い転げている。土方さんも流石に怒ったらしく、沖田さんの胸ぐらを掴み「ええ加減にしねえか、切腹さすべ」と叫んだ。慌てて無表情を取り繕った私だったが、沖田さんの甲高い笑い声は止まらない。
「だあって、だあって土方さん、あれ見て下さいよ」
彼が指さしたのは、兄上の顔。彼は石のように動かず正座したままである。私と昌武が兄上の顔を見るべく床板をそうっと滑ると、土方さんを睨んだまま、兄の端正な鼻筋から鼻血が一閃垂れていた。もしもここにいるのが永倉さんなら、決死の覚悟による鼻血だと皆が感服するだろう。だが顔に全く力が入っているように見えない兄がそれをやったので、何か不器用な可愛らしさというか、可笑しさが噴き上がってきたのだ。
それからしばらく、土方さんと兄上がにらみ合った。まるで蛇と鬼の睨み合いだ。私はこの睨み合いを祈るような気持ちで見ていた。が、その意地の張り合いは土方さんが負けた。目は厳しいままで口だけが「へ」と白い歯を見せたことで終戦を迎えたのである。
「えぇわかった、わかった。おめぁらに罪はねえよ。よくやった」
副長は肩を拳で叩きながら、それだけ言い残して部屋を出ようとした。終始ぼんやりとして笑わなかった斎藤さんもこれに続く。
「総司、後任すべ」
「がってんでぃ、トシさん」
沖田さんがそう言った途端、副長は何かハッとして、少し咳をした。そして襖を閉める直前にこちらを振り向き
「万太郎君、兄貴によく礼を言っときな」
と告げて、去っていった。
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