第12話

「万太郎。政右衛門は」

 汗一つかいていない兄上の淡々とした言葉に応えるべく、私は戦を終えた武士の如く正座して、兄に一礼した。

「不肖の弟、谷万太郎。あろうことか商人如きを仕留め損ねました」

 一切の返答はなく、兄はただうなずきながら、血を拭われて鈍い光を放つ刀身を鞘へとしまい込んだ。肩で息をしながら兄上を見る昌武の袴は、ぐっしょりと濡れていた。

「城代と町奉行の連中には私から伝えておく」

 着物や袴についた血痕を気にも留めず、兄はそう言って去っていった。昌武は全身の力が入らない様子だったので、手を差し伸べて起こした。その袴はぐっしょりと濡れていた。昌武はいつも以上に真っ青な顔をして黙りこんだままだ。「そりゃあ、子どもの説得に応じるはずがないな」という言葉を口にとどめると、珍しく昌武が私に声をかけた。

「三十郎兄上が」

「うん。兄上は神道無念流の達人だからね。無事で良かったよ」

「三十郎兄上が部屋へ入って来て、大利さんに斬りかかりました。大利さんは説得に応じてくれていたのに」

 驚いて無言になる私に、昌武は更に続けた。あの時部屋に入った昌武は刀を畳の上へ抛り、彼らと話し合いの場を設けることに成功した。田中、大橋、池田の三名は説得に応じて逃げ出したが、大利は昌武に興味を持ったらしく、しばし語らっていたそうだ。すると襖が開き兄上が足を踏み入れた。昌武が事情を説明しようとする間もなく兄は抜刀し、大利に斬りかかった。

「……私たちの企みがばれたか」

「そして三十郎兄上はこれでまた、新選組での発言力を強めることになります」

 己が箔のために人を斬るとは、兄上は鬼畜生と化してしまったらしい。いや、物欲に走り敵を見逃した私も同じ狢だ。兄を恨み憎むのは筋違いというもの。しかし、弟の無念な黒装束は見られたものではなかった。

「万太郎兄上、私は決めました」

 畳に落ちた自身の刀を腰に差し、昌武は袖で涙とその他を拭った。

「私はやめます」

「なにを? 新選組はやめておきなさい、切腹だから」

「はい、切腹だから新選組は止めません。近藤局長との養子縁組を止めさせていただきます」

「ささやかにすぎるけど良いと思うよ、お前らしくて」

 彼の養子縁組をまとめたのは、近藤さんに嫡男がいないと知った兄上だった。つまり養子のとりやめは、弟にとっての小さな、兄の箔への抵抗なのだろう。

 大坂の日は沈み、肌寒さが宵と共に襲ってきた。

「スエが風邪をひくと行けない。急いで帰ろう」

 ぜんざい屋を出ると、旗を玄関に立てておいたからか「新選組が来とる」と人だかりは更に増していた。誰かが「幕府に会津在り、会津に新選組在り」と言ったのが耳に入り、上機嫌になる幹部の皆様の顔が浮かぶ。しかし私は然程、明るくはなれなかった。それは弟も同じだろう。一方兄は、一足先に、一人で帰っていた。

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