第8話

 支度はすぐに整った。羽織りを着て南門へ向かうと、旗を手にする昌武と柱に寄りかかる兄上の姿がある。兄上は私ら一門の格好をみるなり、目を細めた。

「何故それを着ている」

 このダンダラ羽織りのことを言っているらしい。何故もなにも、新選組の隊服ではないか。そう首を傾げる私に、昌武が持ちなれない旗によたよたと振り回されながら口を開いた。

「池田屋の後、その羽織りでは目立ってしまうと武田さんが仰いまして、これからは全身黒で統一することになりました」

 思えば二人の格好は黒一色。いつも地味で暗い色の着物しか着ないから、たいして気にしていなかった。どうりでスエが二人の姿を見た時、葬式帰りかと思ったわけだ。

「すぐに着替えて来い。我らのバラバラな着物を見られて、新選組の結束を疑われては敵わん」

 そんなもん、いやよそう。我ら三人は飛んで屯所へ入り、慌てて黒い着物を探した。そもそもこんな大事な時に、羽織りや着物の色なんか気にしている場合か。

「スエ、スエ。黒い着物と袴は無いか、これからはそれを着なければならないらしい」

 スエが「まあ」と口を開いた。

「お前様が嫌がるから一つもございませんよ」

 そういえば以前スエに「黒は味気が無いから嫌いだ」という話をしたような気がする。それから律義に黒い着物を買うのを避けていたというのか、なんと献身的な……いや、今はよそう。

「では喪服でも良い。とにかく黒ければ良いんだ」

「喪服で人を斬るのですか?」

「……やっぱり、まずいかな」

「バチあたりですよ」

すると廊下を袴が擦れる音がして、すでに真っ黒な装束に着替えた正木君が走って来た。

「先生、お急ぎください。風が強くなってまいりました、いつ炎があがるかわかりません」

「スエ、黒なら何でもよい。何かないか」

 スエは「ううん」と顔をしかめた後、パッと目を開いて「一着だけ、ございました」と叫び、私の手を引いてすぐに部屋を移動し、着替えを済ませた。

 正木君とスエを連れて門の前へ行くと、私の姿を見て阿部君はもちろん、兄と弟も「んが」と口を大きく開いた。

「お待たせしました、兄上。参りましょう」

「どうした、その格好は」

「我が唯一の黒備えです」

 先日取り寄せた西洋服しか、黒いものは無かったのだ。スエが隣で「良くお似合いですよ」と囁いてくれたので気分は良いが、兄弟や弟子の面妖なものを見る目は少々恥ずかしい。だが私の西洋趣味を広める良い機会と思えば、顔の緊張が解れた。

「お前様、行ってらっしゃいませ」

 そう言われるとますます解れる。

 かくして大坂新選組の初仕事はいささか珍妙な形で始まりを迎えた。旗持ちの昌武を戦闘に、兄上と私、そして阿部君と正木君が並び行進したが、あいにくの寒さで往来に見物人はいなかった。野良犬が怯えて吠える程度である。

「先生、手柄を上げれば“大坂の池田屋騒動”として我らの名は皆の知るところとなりましょう」

 阿部君はよほど目立ちたいらしい。こういう若者は調子に乗って早死にしそうだから心配で仕方がない。しかし私とて、決して目立ちたくはないが、これで兄上や阿部君を抜く手柄を立てれば、組内での私と西洋文化への偏見も少しはましになるだろう、と考えていたので、槍を肩から括りつける牛革の紐を締め、緊張やら不安やらを一息に吐き出した。

「よし、いざ石蔵屋」

「先生、石蔵屋というのはどこでしょう」

「知らんが、とにかくあのあたりで唯一ぜんざいを売っている店らしい。行けばわかるだろう」

「わかりました、ではいざぜんざい屋」

「ああ、そっちの方が分かりやすいかな」

 あれ、ということは、後々語り草になる時の名前は“ぜんざい屋騒動”ということになるのか。熟年夫婦の痴話喧嘩みたいで格好悪いよ、全く。

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