第5話

「万太郎様が土佐と謀るなどありえません。私は毎日この方の側におるのです、不審な動きあれば、すぐにでも兄様たちにお伝えしております」

「姉上、今は兄上らが真面目な話をしております」

「万太郎様は器の大きなお方です、異国の物であろうとそれが理に敵っているのならば取り入れるのです。だからこのような部屋にしたのです。ね、万太郎様」

「え、うん」と返すのが精いっぱい。別に、単純に雰囲気が好きなだけだけど。

「結局、日本を捨てたのではないか」と兄上が立ち上がる。絨毯の上を転がるようにして、慌てて私はスエの前に立って頭を下げた。

「申し訳ありません兄上、この万太郎の失態でございます。スエを斬るのはどうかご容赦ください」

 スエに「ほら、お前も謝れ」と合図するために後ろを向くと、スエは廊下から螺鈿細工の施された黒漆の盆を取り出した。その上には今朝に辰吉から送られた陶器が三つ置かれていた。

「兄様はその湯呑茶碗より、こちらの方が好まれるのでは」

 柔らかな白い肌に、蔦を絡ませたような金色の文様が浮かんでいる西洋の茶碗。兄が首を傾げた。

「この耳は」

 それを語るにはスエより私だ。つまりこの場で私やスエが助かるかどうかは、ここからの私の口にかかっていると言っても過言ではない。というかそう思わないと自分の立場が全くないみたいで恥ずかしい。誰への言訳なんだろう。

「兄上、西洋ではこの耳の部分を持って茶を飲むのが一般的だそうです。そうすることで、手に熱が伝わるのを避けているのです」

 兄から「ぬ」と妙な声が漏れた。

「兄上みたいな方にはもってこいの茶器ですよ。ほら兄上は熱い茶が好きだけど、熱い湯呑に触るのはお嫌いではないですか」

 兄がいつもより大きく眼を開いて、ぎこちなく首を縦に振った。

「どうです、西洋趣味も捨てた物ではないでしょう? 当然私だって、この日本国を異人が踏み荒らすのは許せません。しかし、その異人を倒すためにこそ、彼らのすぐれた技術を常に吸収しなければならないのです。この部屋はその象徴なのです」

 兄は、眉間に一筋のしわを作って、螺鈿が踊る盆の上で佇む西洋茶碗の耳を凝視していた。昌武はこの場がどうにか収まったことに安堵のため息を漏らし、それは私やスエも同じであった。

 いや助かった。スエという才女がいなければ、私は七日もするうちに切腹が決まっていた事だろう。こんな素敵な女子を私が一人占めして良いのだろうか。いや、良いのだろう、運命なのだから。

「先生」

 それにしても、医者の娘のスエに、あのような武家の血が流れていようとは。凛として強かで、どこか自信に満ちたあの表情は、かつてのお転婆を思わせる。ああ、なんていい女だろう。

「先生、谷先生」

 そんな麗しい彼女に、今の様な木肌の櫛は似合わない。漆で朱く塗られた飾り櫛こそ、彼女に相応しい筈だ。

「万太郎兄上、阿部さんが呼んでおりますが……」

 この色黒短足でこっぱち。いつになれば場の空気を読むことを会得するんだ。しかし身内にだらしない顔を見せるわけにもいかない、慌てて口元を締めて立ち上がった。阿部君は呆れた息を漏らしながら、しかし姿勢をきれいに保ち私に口を開いた。

「先生、またお客様です。辰吉さんですよ」

「辰吉が」

 なんだか、妙に寒気がする。そんでもって私の予感って当たるんだ。

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