第3話

 兄弟で喧嘩をしたことは一度も無かった。兄は常に私たち弟など眼中になく、弟は常に私たち兄に怯え、私は常に二人を擁護してきたからだ。そして我々は、そんな自分の役割に対する感情があくる日爆発するような、器用な一族ではなかった。

「昌武、局長の養子として、よくやっているかい」

「頑張っています。だから怒らないでください」

 弟の弱虫で臆病な性格は昔からだった。かつて弟に「いつも笑っているのが怖い」と言われたことがある。誰のおかげだと思ってる。

「お前に茶を出されるのは初めてだが、あまりに酷い」

「そう怒らないでくださいよ、茶の心得なんて無いのですから」

 兄の頑固で不器用な性格も昔からだった。兄が昨日の出来事なんかを話しているだけで、弟は目と鼻から滝を作っていたものだ。喧嘩をしなかったことが足並みが揃っていることになるのかというと、否。正直、この二人を屯所の客間へ呼ぶのは本当に嫌だった。

「味のことじゃない」

「ああ、わかった。茶が熱かったんでしょ、兄上は熱いのがお嫌いだって忘れてました」

 さて、この二人がどうして突然この屯所を訪れたのか。大体の見当はついている、私が新選組から謀反を疑われているのだろう。こっちに来てからただの一度も新選組らしい仕事をしていないのだから、それもうなずける。また私の悪評は阿部君の所為で「仕事に取り組まない怠け者」として京に届いているし、土方さんがこの事を士道不覚悟の法度違反として処理するおつもり、だと踏んでいる。近頃の新選組は平気でこんな事が起こるから、常に野鼠のようにして生きていかなければならない。京にいる隊士たちは、私よりずっと狭苦しく生きているだろう。正直、今の私にとっては大坂城代よりも町奉行所よりも、不意にやってくる新選組の方がよほど嫌な客人なのだ。さてこの二人は敵か味方か。身内すら疑わなければならないなんて、まるで戦国乱世だ。

「今日はまたどうしたんです、文もよこさないで」

「総長から大坂の様子を見てくるように頼まれた」

「山南さんから」

「本来ならば、他の方が伺うことになっていたのですが、山南先生が気を利かせてくださり、それで三十郎兄上と私が」

 腹に置かれた石をどかされたような気分だ。京における新選組の評判の中でも「親切者は山南、松原」という文句はとりわけ有名。彼が私を斬れと命じるとは考えにくい。つまり私はまだ、腹を一文字に裂かなくても良いということだ。

「いや、安心いたしました。私はてっきり」と、そこで私の口は麻痺してしまい、言葉がでなかった。兄上の鋭利な眼光が私の目を捉えていたからだ。まさに、蛇に睨まれた蛙。私って、どうしてこんなに色々と睨まれるんだろう。「なんです」と首を傾げる私に、兄上は一呼吸置いて言い放った。

「万太郎。お前に謀反の疑念が掛けられている」

 再び、どムンと音を立てて腹に石がのっかってきた。山南さんにもきちんと人を疑う心はあったということなのか、それとも仏様にまで疑われるほどに私の罪が重いのか。しかし謀反とはなんの謀反だ。まさか城代や奉行所との内通など言わないだろうね。

「兄上、確かに私はこちらへ来てから、新選組としての役目を何一つ全うしておりません。しかしそれは、大坂城代や町奉行所と軋轢をどうにか取り払おうとするが故なのです。決して、彼らと内通しているわけではありません」

「え、兄上、お仕事やってなかったんですか?」

 おや、墓穴を掘ったかな、掘ったな。それを証拠に兄上の眉がどんどんつり上がっていく。まずい、確実に私の背後から白装束が歩み寄っている。介錯役の兄上の姿までよく見えているぞ。

「いえ、仕事をやっていないというのは、その分稽古に」と、またここで私の言葉は途切れた。兄上の鋭い一閃を食らったから。

「土佐の不逞浪士と内通していると聞いている」

 寝耳に水、寝耳に滝、寝耳に瀬戸内海。

 開いた口がふさがらない、私は土佐藩に一切関わりなど無い、明らかに言いがかりじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る