7月 ①

「あ、田波じゃん」

改札を出たところで、西出口の方から声がした。

僕のことを苗字で呼ぶのは、バイト先の先輩くらいなので少し驚いた。

呼ばれた方を見てみると、いかにも女子校という感じの清楚な制服に袖を通した、僕と同い年くらいの女の子が、こちらに向かって手を振っていた。

薄く化粧をしてるからか、誰だか分からなかった。

「久しぶり、中学に上がる前みんなで遊んだ以来だよね?」

「そうだね。高校も女子校にしたんだ」

小学生だった頃の記憶の中の思い出にこの子の顔があった、そして、共学で市立の中学校ではなく、お受験をして女子中学校へ進学したことも思い出した。

「お嬢様な私にはいい響きでしょ、女子校って。まぁ、男前の同級生ができないことが難点なんだけどね」

「それは気の毒だね」

「田波、絶対思ってないでしょ」

彼女には悪いが、少し距離感が掴めないので、愛想笑いでやりすごした。

「そこに通ってる子達って、どうやって恋人を作るの?」

「それはもう、他校の文化祭に行きまくるの。その時の女子校生の執念はすごいよ、ほんとに」

僕は困っていた。

こうして話しているうちにいつか思い出すと思っていた、この子の名前が全く出てこないのだ。

必ず知っているはずなのだ、彼女と同じ学校に通い、休み時間や放課後に遊んでいた記憶はあるのだから。

とても歯がゆい、漢字テストで部首は覚えているのに、残りの部分が思い出せないようだ。



「そういえば、あんた今でも梅田と会ってるの?」

「ハルなら今も同じ学校に通ってるよ」

「ほんとに?あんた達、ずっと仲よかったもんね」

思い出話をしながら歩いていると、駐輪場の前まで来てしまった。

「自転車で来てる?」

「ううん、私さ駅まで歩いてるの。ダイエットってやつ」

「そうなんだ、頑張って」

「うん、またね」

去り際に、彼女は少し悲しそうな顔をしたような気がして、呼び止めようとしたがやめておいた。

やはり、あれだけ会話をしていて、名前を出さないのは不自然だったか。

もしかしたら、あの子は僕が名前を知らないことを察したのかもしれない。

あの子はいったい誰だったのだろう……


夕食後、眠くはないが勉強机にうつ伏せになりたい気分だった。

体調を崩したわけではないのだが、気だるさの塊がのしかかってくるような感覚がした。

駅で会ったあの子の名前は、卒業アルバムの類のものを見れば、すぐに知ることができるのだが、そうはしないと決めた。

自分の力で思い出したいと思う気持ちもあるが、何より、そんなことをすれば、あの子や過去の自分に失礼だと思ったのだ。

ふいに上体を起こして目を開くと、教科書の束の隅にぽつんと置かれた文庫が目に入った。

それは、僕が二週間前にシンプルなタイトルと作者の名前に惹かれて購入したものだが、いざ中身を読んでみると、老人が海に出るまで持たずに、全く読み進めていない。

僕はその文庫を、ズタズタに引き裂いてやりたい衝動に駆られた。

が、またうつ伏せになり、目を閉じた。






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