第3話
どんな事象にも必ず例外というものが存在し、誰もそれを想定していない時にこそ発生する、厄介なものである。現に、想定外なことが発生し、マルデルクは焦っていた。
「遅い……」
彼が待っているのは、一人勝手に戦場で単独行動を取り、マンハントを楽しんでいるはずのジルバード。しかし、あの日から既に十日が経過していた。食料事情も考えると、十日も戦場を練り歩いているとは考えにくい。となれば、必然的にジルバードの死が頭の中に浮かび上がる。
ジルバードの単独行動は、軍隊に入隊してから繰り返されてきた。始めは単独行動をとったことに対して厳罰が与えられていたのだが、帰ってくるたびに目覚しい戦果を挙げることでいつからか罰を与えられることはなくなっていた。そして、長くても必ず三日で国に戻ってきていたのだ。銃弾を軽く弾く鎧に問題がなければ、ジルバードが戦死したとは考えにくい。そうなると、餓死や不慮の事故、病によるものとなる。しかしどれも考えにくい。
「…まさか、な」
マルデルクは司令部より配布された作戦指令書の最後のページを破り取り、『上記の人物に出会った場合、退避を最優先せよ』という文章を睨みつけた。そこに刻まれている名前は、
『ダルス帝国第一王女 フィリアンヌ・アルト・レヴァリアス』
描かれている真紅の髪は、炎のようにマルデルクの目に焼きついた。
☆
「おい聞いたか? 第三歩兵部隊の副隊長のこと」
「ああ。いつも通りの単独行動で、まだ戻ってきてないんだろ?」
クレイオルト共和国軍の兵舎では、ジルバードの話題で持ちきりになっている。
ジルバードといえば、単独行動をしながらも軍内でトップレベルの戦果を挙げることで有名だった。また、全身を覆う白銀の鎧の姿のこともあり、学校の七不思議ならぬ『兵舎の七不思議』として有る事無い事を言われていた。
そんなジルバードに憧れる酔狂な者もいるのだが、大半の者は『団体行動ひとつもまともにできない問題児』と認識していた。指定された時間に間に合うことは少なく、行軍の際も一人で勝手に走り出し、敵の戦線に突っ込んでいく。軍人としては反面教師もいいところである。
「まぁ、勝手に一人で突っ込んだんだ。いつか死ぬだろ。てかもう死んでるんじゃねーか?」
「あ、じゃあ俺生きてるに100レクタル」
「なら死んでるに500レクタル賭けるぜ」
人の生き死にを賭けの対象にし始める兵たち。その騒ぎは段々と大きくなり始め、やがてジルバードが『生きている』派と『死んでる』派に分かれての大議論となった。
「そんなもん十日も戻らないんなら死んだも同然だろ!」
「はっ! レイフォンス少尉の鎧は銃も効かねえんだぞ!」
「だったら生きてるって保証はあんのかよ!!」
「そっちだって死んでるって証明してみろ!!」
始めは単なる噂話のように語られていた内容が、およそ三十名の兵を巻き込んでの怒鳴り合いに発展した。ジルバードの存在は、良くも悪くも軍内での影響が大きいことが見て取れる。
「みんなバカじゃないの?」
そんな騒ぎを遠目に眺めているのは、艶やかな黒髪を肩口で切りそろえた碧眼の少女。彼女は軍属ではないのだが、兵舎での雑務担当の一人であった。
「少尉のことを好き勝手言って……」
彼女は、やれ生きてるだのやれ死んでるだのと怒鳴りあっている兵たちに対して、怒りを募らせていた。もちろん、そんな話をしている時点で彼女からの印象は良くない。そして、話の中心となっているのがジルバードというのが、彼女の怒りに触れてしまった。
「こらこら、カレットちゃん。顔に出てるわよ」
カレットと呼ばれた少女が声のした方向を見ると、兵舎での炊事を任されている女性が苦笑していた。カレットはすぐに自分の顔を手で揉み解すと、小さく溜息を吐いた。
「ま、気持ちはわからなくもないけどね。良くも悪くも、みんなに慕われてるって思えばいいじゃないさ」
「そんな簡単にできるなら苦労しません。ただでさえ戦況は悪化。軍の食料もだいぶ切り詰めてるって話じゃないですか。それに、貴重な戦力を失ってた可能性だって否定できないのに、能天気なものです」
「不機嫌の理由は、それだけじゃないでしょ」
「ほっといてください」
ジルバードは特筆するほど見た目が良いわけでも、人心掌握に長けているわけでもない。しかし、このご時世、しかも軍人であるにもかかわらず、自由に生きようとするその姿に心惹かれる者もいる。カレットも類に漏れず、ジルバードに対して尊敬の念を抱いているのである。
ジルバードの単独行動は有名だが、いつも必ず帰ってきた。決して少なくはない戦果を手土産として。兵士の中には、初めての前線で死ぬ者も少なくはない。単独行動をしている者は余計に、だ。それでもここ三年間必ず帰ってきたということは、それだけの実力があるということ。『帰るべき場所に帰ってくる』日々誰かが命を散らしていく中では異例であるのだが、それ故にジルバードが死ぬということが信じられなかった。
「さて、仕事に戻ろうか」
「はい……」
騒いでも嘆いても、ジルバードが帰ってくるわけではない。カレットは再び溜息を吐いて、仕事に戻ることにした。
☆
目が覚めたら、見知らぬ場所で寝転んでいた。そんな不思議な体験をする人間の方が少ない昨今、貴重な経験をしたのは、単騎で敵陣に突っ込むバカ。装着していた鎧は外されており、得物である剣もない。辛うじて動く体を起こすと、目に入ったのは一定間隔で並べられた鉄の棒。それ以外は壁で覆われており、鉄の棒の間から見える景色も、そこが室内であることしかわからない程度のものであった。
「ってーな……」
背中や腕を動かすたびに鈍痛が走る。寝起きの伸びも満足にできないような状態だが、現状を把握するためには動くほかない。ジルバードは頭の中で、ここに来た経緯を思い出そうとする。しかし、あの戦場でフィリアンヌから逃げ出したところからの記憶がない。まさか泥酔してあれは夢だったというわけでもなく、しっかりと治療された跡がある。試しに鉄の棒を掴んでみたが、まるっきり動く気配がない。もしかしなくても、牢に閉じ込められたと考えるのが当然である。
「マジかよ……」
今までこんなことはなかった。ジルバードは鎧のおかげで、銃弾飛び交う戦場で好き勝手に戦うことができた。銃が戦争の主だった兵器として用いられている昨今、ほぼ無敵と言ってもいいだろう。しかし、あのフィリアンヌの二つ名を聞いて、逃げると決めたのだ。
『帝国軍では『千人隊長』と呼ばれるくらいには』
共和国と帝国。その二つはともに巨大な勢力ではあるものの、明らかな違いがある。共和国は、全員が等しく戦うということで、一般人の徴兵が多く行なわれている。対して帝国は、志願したものだけが兵士として戦線で戦っている。まずその時点で個々の兵の心持ちが違う。必然的に兵の練度にも差が出るというもの。
そんな中で千人隊長と呼ばれる者ともなれば、共和国軍で勝てる者などいるはずがない。
そしてもう一つ。単独行動を続けていたジルバードだからこそ手にした情報なのだが、帝国やその他周辺の国の地下には古代遺跡が存在し、そこで特殊な武具を得たという噂があった。その一つを、帝国の千人隊長が持っているという話を盗み聞きしたことがある。
「まさか、な」
ぽっかりと欠落した記憶。もしかすると、その特殊な武具によってやられたものなのかもしれない。ひとまずそういうこととして思考に決着をつけると、再びベッドで寝ることにした。ここが敵陣だったとしても、手負いの状態、まして得物がないとなれば、あがいたところで意味がない。下手に反抗して殺されるより、利口にしておいて生きながらえる。国への忠誠や愛国心よりも、自身の命に重きをおいているジルバードだからこそ、そういった考えに至ったのだった。
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