第2話
クレイオルト共和国。古来より国民の意思を尊重し、王族は政治や経済から一歩引いた立場で見守るというスタンスを取っている。それ故、一般の国民が自国の政治を行なうこととなり、誰もが為政者になるチャンスが期待される。
国民の視点からくる意見は、王族や貴族の者とは大いに異なり、斬新なものが多かった。議会では対立しないほうが珍しいのだが、国民の意見を取り入れていくことで、国は着実に成長していった。大陸の中でも一大勢力を誇っており、技術革新もいち早く行われた結果、弓よりも強い銃を大陸で初めて発明したと言われている。その保有数は約十万。クレイオルト共和国に次いで軍事力を持っているダルス帝国ですら、銃は五万程しか保有していない。もし総力戦になれば、銃の数からクレイオルト共和国が優勢であると言える。
しかし、戦争の勝敗を決めるのは、何も銃の数ではない。一番の要因となるのは、兵の数と練度である。いくら優れた武器を持っていても、それを扱う訓練を十分にしていなければ、豚に真珠、猫に小判。戦場という非日常の場で、めまぐるしく変化する状況に対応する訓練を十分にしていなければ、軍隊は烏合の衆と化す。
先の戦闘で、クレイオルト共和国は国土の半分ほどを手放すこととなる。首都のメリーガストの目と鼻の先には、共和国軍の屍体がこれでもかと思うほどの転がっている。
「これは由々しき事態だな」
クレイオルト共和国軍司令部。その参謀会議室では、現場の状況報告をするために、マルデルク第三歩兵部隊長が訪れていた。そして報告を受けているのは、司令部の司令部長であるガンドルト・エレバリス大佐。先遣部隊が壊滅したという報告を受け、ガンドルトは額に手を当てた。
「我々第三歩兵部隊は帝国軍とは遭遇せず、ただ来た道を戻ることとなりました」
「………ジルバード・レイフォンス少尉は?」
「いつも通り、一人マンハントに勤しんでいるかと」
「少尉が戻ってきてから、改めて話を伺うとしよう。マルデルク大尉」
「はっ」
マルデルクは惚れ惚れするような敬礼をし、参謀会議室を後にした。残ったガンドルトは、懐に入れていた葉巻に火をつけ、灰色の煙を口から吐き出した。
今回の作戦が失敗する。それは議論の段階で予見できたことだった。そうでありながら、軍の司令部長として策の取り下げを提案することができなかった。そこが、共和国であることの弱みだった。国民のご機嫌取りを兼ねた策を立てなければならない。
『全国民が一丸となって戦う。それが戦争というものでしょう!』
忠実に共和国のあり方を体現したような男が、参謀会議でそう発言した。それが共和国のあり方として正しいのはわかっているし、そうすることが一番物事の運びが良いこともわかっている。だが、それはあまりにも現場を無視しすぎている。最前線を経験したことのあるガンドルトだからこそ、結果は予想できたことだった。
そしてもう一つ。『多数決の原理』が採用されている。参謀会議に参加する面々は、揃いも揃って現場を知らぬ者ばかり。机上の空論や勉学ができるだけで、軍を動かす立場になっている。多数決では国民のご機嫌取りを優先したのだ。いくら負戦に成るとわかっていても、ガンドルトの発言など、羽虫の囀りのようにしか扱われないのは自明であった。
☆
ところ変わって、クレイオルト共和国とダルス帝国の国境付近。鎧と女が対峙していた。
「面妖な格好をしているとは思ったが、お前ならば納得だ。『鋼の死神』よ」
女は鷹揚に構えながら、全身鎧に覆われた者の強さを讃えた。
たった八人の小隊とはいえ、一人で殲滅した。それも二十秒もかからず、だ。鎧の影響で銃が効かないこともあるが、それを差し引いても、一般兵にそんな芸当ができる者はいない。ただでさえ、鎧の重量があるのだから。
「私はフィリアンヌ・アルト・レヴァリアス。ダルス帝国軍司令部長にして、帝国軍本隊副隊長をやらせてもらっている」
「ジルバード・レイフォンス。鋼の死神なんて奴は知らんが、クレイオルト共和国軍第三歩兵部隊副隊長をやってる」
戦場でいちいち名乗る風習などないが、名前を教えるということは、相手が自分に興味を持っているということ。銃弾をも跳ね返す鎧と、単身で敵陣に突っ込んで手当たり次第に敵を斬るその姿にから、鋼の死神と呼ばれるようになったジルバード。その素性は、共和国の軍人しか知ることはない。他の国からすると、少しでも死神の情報を集めたいと思うだろうが、フィリアンヌはただ単なる興味から己の名を教えたのだった。
「ジルバードか。その名、覚えたぞ」
「そっちの名前は長くて覚えれん」
「なら、気軽にフィアとでも呼んで欲しい」
どこか冗談じみた言い方だが、刀身を露わにしている状態では緊張がほぐれるはずもない。鎧のせいで表情が見えないジルバードだが、その目には鋭い眼光が宿っていた。まさに一触即発の状態。
「なんならフィアさんよ。ここは一つ、勝負をしないか?」
ジルバードは、あくまでフィリアンヌと戦う事を選ぶ。戦争ならば、男も女も関係ない。武器を持ち、戦場に立っているならば、それは紛う事なく敵である。たとえどれだけフィリアンヌが美しい女だったとしても、敵である限りは戦う必要がある。
「勝負?」
「ああ。できれば女を手にかけたくないが、仕方あるまい」
「ほう……」
フィリアンヌの目が細められる。睨んでいるようにも見えるその仕草は、肝の座った者でないと萎縮してしまうほどの凄みが含まれていた。だが、ジルバードは気にすることなく続けた。
「そうだな……フィアさんはどのくらい強い?」
「帝国軍では『千人隊長』と呼ばれるくらいには」
千人隊長。それは王に次ぐ宰相に相当する階級を示す言葉ではある。が、相手は軍属。一騎当千の実力があることからその異名が付けられたことは、ジルバードも予想できた。
方や兵士千人分の力を持つ女。方や我流の剣術で一般兵より少し出来る程度の男。誰が見ても戦う前から勝敗が見えている。ジルバードは意を決して自分の意見を述べることにした。
「……なぁフィアさんや」
「なんだ?」
「今回は痛み分けということで手を打とうじゃないか」
「私は護衛の小隊を失ったが、お前は何も失っていないではないか」
ジルバードとフィリアンヌの間では、一方的にジルバードが八人を斬り殺しただけであるため、痛み分けと言うには不釣り合いにもほどがある。何も考えずに話をしていたせいか、ジルバードは万策尽きたような顔をして剣を鞘に収めた。その行動に、フィリアンヌは首を傾げた。
それにとどまらず、ジルバードはその場に座り込み、地面を舐めんばかりに頭を下げた。
「……何をしている?」
「『ドゲザ』というものだ。東の島国では相手にものを頼む時の最上の作法らしい」
そんな見知らぬ文化の知識を持ち出されて反応に困るフィリアンヌ。しかし、ただ頭を地面すれすれまで下げ続けているジルバードに対して、申し訳なく思えてきた。
「……それで、敵国の司令部長相手に何を頼むつもりだ?」
「見逃してください」
しばらく音が無くなった。目の前の男は自分の立場をわかっているのだろうか。戦場で兵士として赴きながら、相手の将校に命乞いをしたのだ。それも淡々とした態度と声で。
怯えながらしどろもどろに命乞いをするのであれば、フィリアンヌも考えただろう。しかし、まるで怯える事なく見逃して欲しいと頼む姿は、どこか滑稽でありながらも誠意の伝わるものがある。全身が白銀の鎧で覆われた男がそんな事をしていることに、フィリアンヌは思わず笑い出した。
「くくく……あっはっはっはっはっは!!」
自分の懇願を笑われたが、今のジルバードには、フィリアンヌの返事を待つしかない。願いは受けいられずにこのまま殺されるか、殺す価値もないとして見逃されるか。どちらにしても屈辱的ではある。だが、フィリアンヌの言葉は予想だにしないものであった。
「面白い! 気に入ったぞ!! ジルバード・レイフォンス!」
まるで欲しかった玩具を見つけた子供のようにはしゃいだ。そして腰の剣を抜いたかと思うと、勢いよく振り下ろした。その切っ先はジルバードの肩すれすれで止まる。
「面を上げよ」
「………ほい」
今からなにをするつもりなのか。頭を上げた瞬間に胴体と泣き別れすることになるだろうか? 逆に言うことを聞かずに機嫌を損ねたほうが、殺される可能性が上がるのでは? そんな計算を即座にやってのけたジルバードは、渋々顔を上げることにした。気がつけば肩に添えられている剣。それに何の驚きもしない方がどうにかしてる。内心ビクビクしているにも関わらず、フィリアンヌは声を張り上げた。
「貴様のような面白い奴に出会ったのは初めてだ。降伏するというのであれば、我が婿となれ」
「断る!」
条件反射の如くお断り申し上げたジルバード。悠然と宣言しているフィリアンヌに対し、瞬時に立ち上がって背を向けて全力で走り出した。何か得体のしれない恐怖を感じたため、逃走という選択肢を選んだ。
「ふむ……」
見るからに重量のある鎧を着ているにも関わらず、みるみるうち遠のいていくジルバードの背中を見つめる。フィリアンヌは自身の剣をジルバードの背中に向け、先ほどまで高揚していた精神を一気に沈めた。
『Wind flügel』
静かに空へ放り出された言葉。それは、一つの合図である。
剣が純白に光り始め、同時にフィリアンヌに翼が生え始める。周囲の小石や砂が宙に浮き、どこからともなく吹き出す風に乗って、次第に小さな嵐を形成していく。
「せぁああ!!」
光る剣を振りかぶり、目にも留まらぬ速さで振り下ろす。フィリアンヌを中心としていた嵐は、剣が切った空間の先、すなわちジルバードを目掛けて地面を抉りながら突進を開始した。しかし、当のジルバードは背後の異変に気がついていないのか、そのまま真っ直ぐに走っていく。
「ぁ……」
それ自体が予想外なのか、フィリアンヌは技を放った後に茫然として、ジルバードが小さな嵐によって跳ねあげられる様を眺めていたのだった。
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