第16話.好きなもの

 それからすぐ、霊園に来るようにと天に連絡したのは、海吏に言われたから、と言うのも半分。母と絢斗に会って貰いたかったというのもあった。

 毎年絢斗の誕生日に縁さんのお墓参りにきているのは、罪を再確認するためでも絢斗を謝らせるためでもなかった。


『どうして謝るの?縁兄ちゃんは、ぼくを助けてくれた人なんでしょう?そういう時は“ありがとう”だよね?』


 小学生の弟に言われるまで気づかなかった。

 その時、あの霊園にいた美緒さんも、母も天も俺も、絢斗の言葉に救われた気がする。

 天につられて、うっかり泣いてしまうかと思った。



「今日は呼び出して悪かった」

「うんん。そんなこと…」

「ここでいいか?」

「え?あぁ、はい」

 公園の前まで来て、足を止める。

「ありがとう」

 霊園から母は美緒さんを送る、と絢斗を連れて車で先に帰ってしまったし、結果的に残された俺が天を送ることになってしまった。

 1年と少しぶりに天と会ったけれど、あまり懐かしさは感じなかった。

 幸せでいてくれたら…それでよかったのに。

「じゃぁな、元気で」

 と、まともに顔も見ずに離れる。

 また距離を置けば、忘れられる。だからこれで最後。

「それだけ?」

「は?」

 俺は足を止めたものの、振り返ることはしない。

「どうして、連絡もくれなかったの」 

「そんな義理ないだろ」

「電話も出てくれないし」

「声も聞きたくなかった…それだけのことだろ。今日だって本当はお前に会う気なんてなかったんだ……じゃぁな」

 今度は早足で歩く。

 気持ちが変わらないうちに、俺を呼ぶ声が聞こえないように路地を曲がり、走った。

 さらに角を曲がって小高い丘へと続く階段を上がり、海の見える展望台に出る。


 穏やかな海と、遠くの空は海の青さを反射したような美しい天色あまいろ

 すべての罪を浄化し、癒しを与えてくれる救いの色。俺の一番好きな色だ。

 今だけは何もかも許されている気がする。

 長椅子に横になり空を見ていると、あまりの美しさに胸がいっぱいで息苦しくなる。

 “ここにいてもいいよ”と言われている気になる。

 まるで天と一緒にいる時のように安堵してしまう。


 しばらくして、階段をかけ上がってくる音がする。

「さすが陸上部だな。速い速い」 

 見なくても、息づかいでわかる。

「何か用?」

 組んだ手を枕がわりに、目を閉じたまま聞く。

「眠いんだけど」 

「ごめん」

 ようやく息を整え、

「やっと会えたのに…何も伝えてなかったから」

「俺はできれば会いたくなかった。海吏がしつこく電話してくるから、仕方なく」

「海吏が……そっか」

「海吏にくれてやったのに、何してんだよお前は」

「……」

 ほとんど嫌がらせみたいに言ったのに、黙ったままの天。

「なんで泣かないんだよ。いつもすぐ泣くくせに」

「えーん」

「ふざけてんのか!」

「ふざけてなんてない。ただ私は、奏多が好きなだけ」 

「……聞こえない」

「は?女の子に何度も言わせないでよ。だから、奏多が」

「うるせぇっ!」

 イラっとして飛び起きたまではよかったけれど、気付いたら俺は彼女の胸ぐらを掴んでいた。

 一瞬やばい、と思ったけれど、もう引き返せない。

 “好き”だなんて簡単に言ってほしくなかった。まだまだ俺はガキだけど、そんな気持ちだけで一緒にいられる程子どもじゃないから。

「俺が、どんな思いで…」

 なぜか手が、声が震える。

「奏多、大丈夫?」

「大丈夫じゃないのはお前だろっ」 

 掴んだ襟元ごと振り回しコンクリートの柱に押さえ付ける。

「痛っ」

「泣けよ…やめて、って叫べよ!」

 怒鳴る度に、ビクビクと震え苦しそうに顔をしかめる天。

 こんな風に苦しめることしか俺にはできない。俺たちは恋だの愛などと軽々しく語り合っていい仲じゃない。

 唇を噛み締めることしか、できない。

「どうして、奏多が泣くの?」

 涙は出ていないはず…必死で堪えているのに。

「俺さえ、いなければ……」 

「ホント奏多って陰気でドM」

「は?」

「まだわからないの?さっき絢斗くん、言ってたよね?『ごめん』じゃなくて『ありがとう』だって」

 苦しそうですぐに逃げ出すかと思っていたのに、天は気丈に続ける。

「お兄ちゃんがいたから、絢斗くんが元気でいられる。奏多がいたから悠生さんはリハビリを頑張れた…どうしてプラス思考で考えれないかな。私は奏多がいたから、ん!」

 もう聞きたくなくて口を塞ぐ。

 どんな風に言葉で攻めても彼女は怯まない。

 反対に俺が築き上げてきた壁が1枚1枚剥がされていくようで怖くなる。

 ほとんどぶつかるようにキスをし深く求めたせいで、言葉が口の中でくぐもって消えた。

「ちょっと奏多、」

「やっぱお前、うるせぇよ」

「は?」

「黙ってろ…もう、ガマンしねぇからな」

 もう一度キスをする。

 今度は深くゆっくりと…苦しくて息をしようと逃げる彼女をまた捕らえ、離さない。

 すぐに折れてしまいそうな細い腰に手を回し、支えながら貪る。

「奏多…も、やめ…」

 しばらく楽しんで離してやると、柱を背に伝い落ちるようにしてへたりこんだ天。

「誰がドMだって?」

 浅い呼吸を繰り返し空を見上げている天は、逃げ出すどころか完全に惚けている。

 抵抗する気力もないのか、再び口付けようと近くと、

「好き」

 呟くように。

「なにが?」

「…私の、色」

「え?」

 唇が触れる手前で止めると、その隙をついて掌で口を塞がれる。

「今日の空…真空色は別名、天色って言うんでしょ?」

「知ってたのか」

「奏多の一番好きな色」

「いいから、邪魔すんなよ」

 隔てていた手を振り払らうが、代わりにバチン、と頬を叩く勢いで捕まった。

「痛っ!」

「聞いて」

「なんだよ」

 女の力なんてたかが知れてるけれど、目力のせいなのか、抗えなかった。

「奏多が好きなものは私も好き。だから、私の一番好きなものも好きになって」

「一番好きなもの?」

「奏多佑李」

「名前を出すな」

「なんでダメなの」

「…恥ずかしいんだよ。女みたいで」

「なんだ。それだけ?佑李も好きになってよ」

「それだけって…」

 俺といたら辛い過去を思い出させることになる。天だけじゃなく彼女の両親も、不幸にしてしまう。

「俺は、天を幸せになんてできない」

 それが怖い。

「幸せにしてもらおうとなんて思ってないよ。ただ私は、」

「もうわかった!もういいから」

 シュンと悲しそうな顔をする天。

 彼女の言うように、幸せかどうか幸せにできるかどうかは置いておいて、今強く思うのは…天と一緒にいたい。

「――きだよ」

「え?」

「だから!…好きだよ、天」

 目を丸くする天。理解していないのかキョトンとして俺を見る。

 彼女と屋上で初めて話した時、

『どうして泣いてるの』

 とまだ泣いてない俺に聞いた。必死で隠していたのに、なんでわかるんだってイラついた。でももしかしたら彼女が、暗闇から救ってくれるかもしれないとも思った。

「泣いてもいいよ。傍にいるから」

 柔和な甘い声が近づく。彼女の方からキスをされた瞬間に大粒の涙が溢れだす。

 少し触れただけの子どもみたいなキスなのに、それがあまりに優しくて、たまらず声をあげて泣いてしまった。幼子みたいに、彼女の腕の中で。

「よしよし。でもまずはその乱暴な口調、なんとかしないとね。…未来の先生なんだから」

「うるせぇ」

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