第15話.大事なもの

 運転してきた母の車を降りると、ズボンのポケットでスマホが鳴る。見なくても相手はわかっていた。

 ずっと無視していたが一向に鳴り止まず、母と絢斗には先に行っているように告げてから、電話に出る。

「なんだよ、海吏」

『先輩、この間のことで…』

「またか。しつけーなお前は」

『すみません』

 数日前から頻繁にかけてくる内容は、天のこと。ふたりの間に何があったかは知らないが、俺にどうしろと言うのか。

「俺はもう天とは関わらないって決めたんだよ」

 彼はまだ何か言っていたが、一方的に電話を切る。

 天に連絡してやってくれ、なんて言われても、俺にはその資格がない。

 その時、

「あら、佑李くん?」

 霊園の入り口で声をかけられ振り向くと、長い髪を緩くひとつに縛り、日傘をさした女性が手を振っていた。腕には花束を抱えている。

「美緒さん」

「久しぶりね。縁のとこに?」

「はい、すみません」

「なぜ、謝るの?」

「あ、いや…」

「また、俺のせいで、とか言うのはやめてね」

「え、あ…はい」

 美緒さんとはここで何度かすれ違う度に言葉を交わす仲になっていた。

「ひとり?」

「いえ、母と絢斗も先に行ってます」

「そっか。今日は絢斗くんの誕生日だもんね!」

「はい」

 縁さんの命日では天の家族に迷惑だろうから、毎年、絢斗の誕生日に家族でお参りさせてもらっていた。

「絢斗くん大きくなったでしょー?」

 そう言って優しく微笑んだ美緒さんは、何気なく右手でお腹をさするような仕草をした。

「あれ?もしかして…?」

「うん、そうなの」

 春に結婚したことは知っていた。言われなければまだあまりお腹も目立っていないので、わからなかったが、

「おめでとうございます」

「ありがとう」

 お礼を言いながらも、表情が陰る。

「美緒さん?」

「傍からみたら、私って最低の女よね?」

「そんなことないですよ。あなたも被害者ですから、幸せになって当然です」

「違うのよ。私は被害者ぶってただけで、結局幸せになろうと必死だった。……何年か前、彼と歩いていたところを天ちゃんに見られちゃって…その時天ちゃんと一緒にいたのって佑李くんでしょ?」

「はい、俺です」

「あの時の私はまわりの期待もあって幸せにならないと、と思って必死だった…天ちゃんにはそう言ったけど、でも私自身が一番救われようともがいていたんだと気づいたわ」

 彼女は自嘲気味に笑って、差していた日傘に俺を入れてくれた。

「私ね花屋に嫁いだの」

「へぇ、そうだったんですか」

「お花はいつも縁さんからもらう方で…亡くなって初めて自分で買ったわ。春は私の好きなアマリリス。時期じゃない時は彼が選んでくれていて、そのうち惹かれていって。焦って結婚を決めたけど、天ちゃんに言われて一度考え直すために別れたの。それでも彼は待っていてくれた。今日は向日葵がいいんじゃないかって、これを」

 言って胸に抱えていたミニ向日葵の花束を見つめ、彼女の顔に若干明るさが戻った。

「旦那さんは全部知ってるんですね」

「えぇ。心に縁さんがいることも」

「すごいですね」

 とても心の広い旦那さんだ。俺にはきっとできない。愛する人に忘れられない想い人がいるなんて、きっと耐えられない。

「ごめんね、こんな話」

「いえ」

「すごく言い方が悪いかもしれないけれど、私は縁を失わなければ花屋に行くこともなく、旦那と出逢うこともなく、この子を授かることもなかったわ。縁が出逢わせてくれたとか言えば聞こえがいいけどね。結局私は、キレイ事を言って苦しみから逃れたのよ。佑李くんはどうしてそこまで“罪”を背負おうとするの?絢斗くんのため?」

「違います。誰かのためなんて偉そうなもんじゃありません…ただ、楽なんですよたぶん」

 天の兄のことを知った時、憎むべき相手を好きになったあいつが可哀想で、これ以上傷つけないようにと離れた。

 でも本当は、違う。

「俺も罪人ぶってただけで、ホントは自分が可愛いんですよ」

 誰かに責められる前に、傷つく前に逃げたいだけ。

「同じね。でも仕方ないわよ。残された者は、生きていかなくちゃならないんだから」

「……はい」

「縁は絢斗くんを助けられたことをとても喜んでいたわ」

 目頭が熱くなるのを感じる。許されたわけじゃないけれど、心が軽く、暖かさに包まれるようだった。

 縁さんは、絢斗を助けた際にケガを負いながらも、第一声は絢斗の心配だった。

『大丈夫?ケガはない?』

 うっかり涙でも溢してしまわないようにしっかりと掌で目を押さえる。

 あの時の彼の声が鮮明に甦ってきて、胸を締め付ける。

 苦しくて、ようやく呼吸の仕方を思い出した時、また着信音が響く。

 どうせまた海吏だろう。

「私先に行ってるね」

 美緒さんはお腹をさすりながらゆっくりと歩いて行った。


「いい加減にしろよ、海吏」

『……う、う』

「何だよ、泣いてんのか?」

『先輩、言いましたよね?』

「は?何が」

『好きなら、離すなって…』

 涙で掠れたような声。

「うるせぇな!お前もどうせ天のこと要らなくなっただけだろ?俺に押し付けんじゃねーよ」

『違いますよ!俺は天が好きです』

 今にも消え入りそうな声が、突然シャキッとする。

『奏多先輩と付き合う前からずっと、ずっと今でも…先輩だけには渡したくなかったけど…でも、俺じゃダメだから』 

 再び涙声が混じり、最後ははっきりとは聞き取れなかったけれど、気持ちは痛いほど伝わってきた。

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