第8話.憎むべき相手

 たまにはデートらしいこともしたい、と天に前々からせがまれていて仕方なく駅前通りを歩いていた時、突然『美緒さん』と、天はそう言った。

 呼ばれた彼女は、寄り添っていた男性からパッと離れたかと思うと、天を見てみるみる顔を青ざめさせていく。

 俺は訳もわからず彼女たちを見比べていたが、よく見ると、美緒さんと呼ばれた女性はこの前霊園で見た、赤い花を持っていた人ではないか?

 あの事故の時、絢斗を助けた男性に寄り添い名を呼んでいたあの女性……天は美緒さんを、亡くなった兄の恋人だった人だと、そう言った。

 ということは、天の兄は……縁さん?

美緒さんが新な恋人と婚約したことを聞き、感情が抑えられなくなっている天を目の当たりにする。

「お兄ちゃんは美緒さんと結婚するつもりでいたんだよ?それなのに、何で?ひどい!」

 美緒さんを射るようにきつく睨み付ける天。怯えたように目を泳がせた彼女。

「美緒さん何か言ってよ。お兄ちゃんを愛してくれてたんでしょ?ねぇ」

「ごめんなさい」

 呟くように謝る美緒さん。

「あの日……お兄ちゃんの葬儀の時、美緒さん言ったでしょ、愛してるって。ずっと愛してるって、言ったよよね?…嘘つき!」

 美緒さんに掴みかかる勢いで吐き捨てた天をなんとか宥めようと捕まえる。

「天、やめろよ」

 細い腕のはずなのに、驚くくらいの力で振り払おうとする。

「彼女を責めても仕方ないだろ」

「離してよ!私間違ったこと言ってない!」

「天ちゃん、ごめんなさい」

 小刻みに震えだした美緒さんを、隣にいた男が背中をさすって宥める。

「元はといえば、誰のせいよ…それなのに、自分だけ、幸せになんて」

「天、いい加減にしろ」

 確かに天は感情の起伏が激しい奴だが、こんなに取り乱す姿を見たのは初めてだった。

 

 俺は、美緒さんに掴みかかる勢いだった天を捕まえ、無理矢理霊園まで引っ張ってきた。縁さんのお墓には変わらず赤い花。

 いつも花を絶えさせないのは、美緒さんがいるから。新な恋人が出来てもなお亡くなった縁さんを想っているのに。

 悪いのは彼女ではない。罵倒されるべきは……。

「ここで、さっきの女の人見かけたことあるよ…その花もって」

「だとしたら余計に分からないよ。美緒さんは、お兄ちゃんを捨てて結婚するくせに」

 事実を突き付けても、まだ俺に向かってくる天。きっと降りだした雨にも気づいていない。

「そんな言い方ないだろ!何もお前だけが被害者じゃねーんだぞ。お前の親も、あの人も!」

「奏多に何がわかるの」

「わかるかよ、お前の気持ちなんて。…辛いのが自分だけだと思ってんじゃねーよ」

「だってあの人のせいでもあるんだよ!どーして美緒さんをかばうの?」

「そーいうわけじゃ、」

 彼女をかばいたいわけじゃない。

 俺は悪くないと、自分をかばいたいだけ。

「そっか。新奈さん…」

「え?」

「奏多は新奈さんと美緒さんを重ねてるんでしょ?新奈さんにも大好きな彼を忘れて自分を見てほしいって!」

 何故ここで新奈が出てくるのかわからず黙っていると、天は泣き濡れた目できつく俺を見る。

「そんな簡単に人の気持ちは変わらない。忘れて良いはずない!」

 俺は、自分の置かれた状況に気づかないふりをしようとしていたのかもしれない。隠していれば大丈夫と。

「絶対に、許さない」

 天が美緒さんに向けたであろうその言葉に、俺は一瞬にして捕らわれた。

 逃げようとしていた自分の立ち位置を嫌でも自覚させられた。

 そうだ、俺は天にとって憎むべき相手だ。

 なのに、何を偉そうに。


 もう、天と一緒にはいられない。

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