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 嫌々ながらも、朝ぶりに教室に戻ろうとしたが、戻ろうとした途中で、一時間目の授業開始のチャイムが鳴ってしまった。今から言っても、もう遅い。こうなったら、急いでいこうが、多少遅れようが変わらない。


 私は急ぐのをやめて、ゆっくりと教室に向かうことにしたが、一時間目の授業を思い出して気分が一気に急降下した。まさかの保健体育の授業だった。



 たまたま、今日は保健の授業であり、体操着に着替える必要はないが、視聴覚室に移動となっている。視聴覚室でビデオを見ることが多いからだ。


 保健体育ということは、あの嫌いな磯崎先生が授業をするということだ。絶対に授業に遅れた理由を聞かれる。


 授業に遅れた理由は話したくないが、何かしらの理由を考えておかなければならない。


いったん、教室に戻り、保健の教科書などの必要なものを持ち、私は重い足を引きづって視聴覚室へ赴いた。




 視聴覚室の前で一度、深いため息をついて、一気にドアを開けた。真っ暗な部屋の中で、一斉に私を見つめる視線が集まってくる。そんなことを気にしてもいいことは一つもないので、さっさと部屋の前方にいる先生に声をかける。



「遅れてすいません。お腹の調子が悪くて、お手洗いに行っていて遅れました。」


 無難な理由を述べて自分の席につこうとすると、ぼそっと話しかけられた。



「保健室前にいた理由はそれか。まあいい、早く席につけ。」



 誰のせいで、保健室に入れなかったと思ってるんだよ、と突っ込みたくなったが、心の中だけにとどめておくことにした。



席に着くと、クラスメイトからは非難の視線が私に集まってくるのがわかった。今日一日、もしくはこれからずっと、こんな視線を浴び続けなければならないのかと思うと気がめいってくる。



 はあ、と先ほどより深いため息をついて、教科書を広げた。磯崎先生は意外と私語に厳しい教師だったのが幸いだ。そのおかげで、私に対して暴言や中傷を吐かれることはなかった。



 磯崎先生には、授業後、視聴覚室に残るように言われた。授業に遅れた理由を詳しく聞くためだろう。とはいえ、担任でもない、ましてや自分の嫌いな先生に本当の理由を話す必要はない。


 私はお腹の調子が悪いことを主張して、何とか先生を納得させ、視聴覚室を後にした。先生も次の授業があるのか、特に深くは追及してこなかった。





 その日は、一日中、私が予想した通りの展開だった。休み時間はもちろん、授業中もクラスメイトの視線が痛かった。


 まったく、理不尽もいいところである。






 テストが終わって無事に点数と順位が発表されたと思ったら、もうすぐ夏休みである。中学生になったら、部活が始まり、今年は宿題と部活で終わるなあ、としみじみ思っていた矢先に重大発表が担任から伝えられた。


 7月に入った最初の月曜日にそれは発表された。



「別府えにしさんですが、親の仕事の都合で、転校することになりました。皆さんと一緒に過ごすのは一学期が終わる7月まで、つまり夏休み前までとなります。」




それは突然の発表だった。担任の浅利先生の話しにクラスは騒然となった。それもそのはず、私も知らなかったのだが、どうやらクラスのだれ一人として、別府えにしの転校を知らなかったようだ。




「本当ですか。」


 一番驚いていたのは、あのイケメンバカだった。クラスのだれ一人知らなかったということは、こいつにも当然、別府えにしは伝えていなかったということだ。


「本当ですよ。別府さん本人から聞いたのですから、間違いありません。そうでしょう。別府さん。」




「そうです。先週の月曜日に突然、父から言われて、私……。」


 先生に話を振られて、別府えにしはおどおどと話し始める。どうにもうさん臭かったが、わざわざ転校するという話をうそでするとも思えないので、転校は本当の話と信じて良いだろう。


 しかし、クラスのだれにも言わずに、最初に先生に言うのはどういうことか。一応、私は部活が同じで、彼女と接する機会が多いと自負していた。まあ、私は彼女の恋敵という立ち位置になっているようだから、話さないのも無理はない。


 他のクラスメイトはどうだろう。例えば、一番驚いていたイケメンバカ。こいつには教えてもよかったのではないか。勉強まで教えていたのに教えなかったというのはおかしな話である。


 深く考えても仕方ないことなので、そのまま別府えにしの話に耳を傾ける。言葉を途中で止めていたが、やがて話し出す。



「私、一学期だけだったけど、クラスのみんなとは、本当に楽しく過ごせ、ました。残り、の時間も、どうか、よろしく、おね、がいしま、す。」


 何と、言葉をとぎれとぎれに話だしたと思ったら、急に泣き出した。意味がわからない。クラスメイトのだれにも話さず、まず最初に担任に転校の話をしたくせに、そうかと思えば、泣き出す始末。



 別府えにしに不信感は募るばかりだ。何事も起こらずに無事に夏休みを迎えられるといいのだが、嫌な予感がした。最後の最後まで、この別府えにしという女は何かやらかしそうである。



 そんな私の予感は見事に的中したのだった。

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