第4話 座位と誠
なぜ、こうなってしまったのか……。
ショウタはバスの中でぼんやりと考えていた。あれだけ『行かない』と言ったはずなのに、ショウタの前にはアキが座っている。いや元々車椅子に座っている状態だから『乗っている』と言った方が正しいのかもしれない。
きっぱりとアキの誘いを断った直後、そのままバスの乗務員と一緒にアキをバスに乗せ……ショウタは自分の意志の弱さを嘆いた。
バスが駅前の停留所に止まると、ショウタはアキと一緒に降りる。
「あ」
慣れとは恐ろしいもので、ショウタはいつしかアキの車椅子を押していた。
「じゃ、じゃあ、映画館までな、そこまでだからな」
ショウタはそういながら駅へ向かおうとした。
「違うよ、こっちじゃない、駅と反対側」
「反対側? シネコンだろ、二つ向こうの駅の」
学校から二つ向こうの駅に巨大な商業施設があり、ショウタもよくそこのシネコンで映画を見ることがあった。もちろん、一人で。
「知らないの? 駅前にも映画館あるんだから」
こんな何の変哲もない駅前に映画館があったことなんて、ショウタは初耳だった。アキに言われるまま、ショウタは車椅子を押して、映画館に向かった。
「こんな所のどこに……」
「ほらここよ」
駅から歩いて5分ほどの場所に、映画館はあった。
「ここ、知らなかったの?」
「いや、てっきりつぶれたパチンコ屋かと思って」
ショウタの言った通り、隣接する駐車場、夜になれば派手に光りそうなネオンサインの看板等、その映画館は一見すると、昭和の時代から経営しているような町のパチンコ屋のようにも見えた。
「みんなそう言うのよ、でもパチンコ屋は下の階で、とっくの昔に営業は終わってるわ。映画館はこの上」
アキが映画館の正面右側を指さすと、薄暗い二階へ通じる階段があり、入り口には館名を書いた金属製の看板が掛けられている。
「本当だ、知らなかったな……」
そういや、生まれて十数年間、シネコン以外の映画館を見たことがないことを、ショウタは思い出した。
「それじゃ、いきましょ」
「ああ……って、ちょっと待て。映画館に入るには二階に上るんだろ?」
「そうよ、何をいまさら。見りゃ分かるじゃない」
「ということは……これを担がないといけないのか?」
ショウタは、車椅子を見る。
「その必要はないわ。車椅子は駐輪場にでも置いて、あとは私だけ担げばいいんだから」
「そうか……ってやっぱり担ぐのかよ!」
「他にどうしろと? 私をここに置いて帰るの?」
アキがチラ、とショウタを見る。
「ああもう、上るだけだぞ!」
「一緒に見ていけば? ほら私、割引きくから」
「俺だって学割ぐらいあるよ!」
今までアキの車椅子を押したことはあっても、担いで移動するなんてこれが初めてだった。
その時になってようやくショウタは『ははん、こういう場所だから、介助要員が必要だったのか! まんまとはめられた!』と気づいたが、時すでに遅し、であった。
「……じゃあ、行くぞ!」
アキの正面に中腰で立つと、ショウタは、両脇から手を伸ばす。
「ちょ、いきなりなにすんのよ!」
「担いでほしいんだろ、文句言うな!」
背中に手をまわすと、ショウタはアキの体を引っこ抜くようにして体を浮かせ、そのままの勢いで右の肩に担いだ。一瞬、向かい合った体が密着し、肩に担いでからも背中に柔らかい感触が伝わってきたが、そんなことを楽しむ余裕はない。
「この体勢、何とかならないの?」
「おも、重い重い!」
「重くない!」
アキの体重が方から背中を伝い、そして腰にぎしぎしとのしかかる。
「く、くうう……」
ずずっと一歩踏み出すと、今度は膝ががくがくと震え出した。こんなことなら、もっと体育会系の部活に入って、体を鍛えるべきだったな、と思ったが、今はそれどころではない。
「ぐわああ!」
気合一閃、ショウタはアキを担いだまま階段を上る、一段上るごとに腰と膝に電流が走る。
「も、もっと、効率的な、運び方は、ないの?」
がくがくと揺れる肩の上でアキが叫ぶ。
「贅沢言うな!」
ようやく上り終えた時には、ショウタの背中は汗でびっしょりと濡れていた。
「重かった……」
入り口を開けると、モギリの従業員がいるが、この体勢ではチケットを買えない。従業員もいきなり人を担いだ学生が入ってきたので、あっけにとられているようだった。チケットの前にロビーのベンチにアキを下すと、ショウタはふう、と息を吐いた。
「重い重い、言うな!」
「あの、チケット……」
ショウタたちの姿にあっけにとられていた従業員が、声をかける。
「は、はい、すぐ払います……」
「これ、使って、学割より安く見れるから」
アキが、定期入れのようなものをショウタに渡す。中をよく見ずに、従業員に渡すと、二人とも半額になったのだが、支払い近くにいたショウタがすることになってしまった。
ロビーで待つことしばらく、前の上映が終わって客が出てくる。平日だけあってその数はまばらだ。
「さあ、次は中へ」
「またかよ……」
「今度はうまく運んでよ。さっきみたいな無様な姿、見られたくないから。それに、あんな担ぎ方したらパンツ見えるでしょ?」
「見えてねえし、見ることもできねえ」
「中央からやや左寄りにお願いね」
「わぁったよ!」
そういいながらも、半ばヤケクソ気味に、ショウタは再び先ほどと同じ体勢でアキを担いだ。
「これはやめろって言ったでしょ!」
「文句言うな!」
劇場内は外観と同じく、昔ながらの映画館という感じで、ビロード張りの座席がずらりと並んでいた。
ショウタは指定された席にアキを下すと、今度は飲み物を頼まれる。
「今度は私がおごるからさ、私レモンティー」
「『今度』は? さっきの映画代は?」
そんなショウタの問いかけに、アキは小さく口笛を吹いてごまかす。
ロビーに出ると、先ほどの従業員が不思議そうにショウタを見ている。まだ二十代半ばの若い女性だ。そりゃ女の子を担いで入ってきたんだから、何かあったのでは? と思われても仕方ない。
「彼女、足が悪いんで……車椅子、駐輪場なんで」
従業員と目が合ったので、ショウタは言い訳のようにそう言うと、中に戻った。
「そういや、何の映画見るんだ?」
数時間後。
パラパラと客が帰っていく中、満足しきった顔のアキと、よく分からない顔をしたショウタがまだ席に座っていた。ショウタが見たのは、どうやらロシア製のSF映画だった。コメディのようで、ところどころギャグもあるのだが、よく分からないし、それに長かった。疲れと座席の座り心地の良さで、ショウタはウトウトしてしまい、ところどころ映画の記憶が抜けてはいた。
「……こんなの見たかったのかよ?」
「悪い? 面白かったー」
「まあ、まあだな」
ショウタがシネコンで見る、ふんだんに金をかけたハリウッド製映画とはまた違った奇妙な感触。ひょっとしたら、アキはこんな映画ばかりを見ていたのかもしれない。映画を見るという共通項があるということだけは、知りあって2か月目にしてようやくわかったのだが、映画鑑賞という趣味が高じて今後二人の仲が発展していくのか? とショウタは一瞬、自分にそんな疑問を投げかけたが『それはないな』と即座に心の中で否定した。
「じゃあ、帰りは……」
「ああ……あれ、やるのか?」
「あれはやめて頂戴」
「じゃあ、どうするんだよ?」
「簡単よ、おぶって行けばいいのよ。それぐらい思いつかなかったの?」
「あ……なるほどね」
それならば、とショウタはアキに背を向け、背負うことにした。
「ほらよ」
返事の代わりにアキの体重が、ショウタの背中にズン、と響いた。
「おも……重さは変わらないな」
「重くない、さあ、帰るわよ!」
ずれないようにアキの足を後ろに回した両手でつかみ、固定する。冷たく、柔らかいアキの脚の感触がショウタの手のひらに広がるが、上った時と同じく、そんなことを楽しむ余裕はない。
「どこ触ってんのよ、持ち方がいやらしい!」
「こうしないと背負えないだろ!」
アキを背負って映画館を出る際、再びあの従業員と目が合う。するとアキは『じゃあ、また』と声をかけた。
「知り合いか?」
「ううん。でも、よく来るから。先月、男の人やめたんだよ、ここ」
車椅子でどうやってこの階段を上っていたのか、という疑問はなんとなく解けた。おそらくアキはその男性従業員に助けてもらい、同年齢の女子が知らなさそうな映画をここで見ていたのだろう。
「なるほど、俺はその代わりということか」
「何の話?」
「いいや」
肩に担ぐよりは比較的軽い足取りで階段を降り、ショウタは駐輪場に向かう。すると、そこには学生風の男が数人、たむろしている。何かあったのか、と思ってよく見れば、赤、茶、金と色とりどりの髪形に、着崩した制服と、いかにも行儀の悪そうな学生が3人、談笑している。そのうちの一人は、アキの車椅子にまたがっていた。
「ちょっとあんたら、何してんのよ、それ、私の車!」
ショウタの肩越しにアキが声をかけると、学生たちは一瞬ぎょっとしたように、こちらを見る。
「は? 車? あ、これね? わりいわりい」
どう聞いても心のこもっていない謝罪をしながら、学生が、車椅子を降りた。
「もう……」
自分の足である車椅子を、他人に乗られ、アキは不機嫌そうな声を漏らす。
「それじゃ乗せるぞ、1、2、3、だーっ!」
どしん、とやや乱暴に、ショウタがアキを車椅子のシートに乗せる。
「どうだ、今のは?」
「まあまあね。もっとスマートにできないかな」
「無理言うなよ」
「プッ、何やってんだよ」
「バッカじゃないの、あいつ、女背負ってカチカチになってるぜ、絶対」
「ダッサ。あれさ、ヤるとき、女座らせてその上から跨るんじゃね?」
さっきの色とりどりの髪の色した学生たちが、ショウタたちを見て、去り際に笑った。
「ちょい。まって!」
それを聞いていたのか、アキがレバーを押して勢いよく走り出す。
「おい、待てよ、駅は反対方向だぞ!」
突然アキが走り出したので、ショウタはわけがわからず、とにかくその後を追う。
アキは、近くのコンビニで、誰かに物凄い剣幕で誰かと話していた。
「勝手に走るなよ、コンビニに用があるならそう言ってくれればだな……」
アキが話しているのはさっきの学生たちだ。
「……だからさっきから言ってるでしょ、なんであの時笑ったのよ! 私は別に笑われるようなことはしてないし、笑う場面でもなかったはずよ、だから聞いてるの! あの格好がそんなにおかしかったわけ?」
「ウゼ……」
「知らねえし、ンなもん」
「知らないわけないでしょ、そんなにおかしかったのかって聞いてるのよ?」
「るっせぇよ! テメ、いい加減にしないと……」
威嚇するように、学生の一人、赤髪が、拳を振り上げた。
「やれるものならやってみなさいよ。……轢き倒してやるわよ」
さっと後ろに下がり、身構えるアキ。
「やってみろよ、クソアマ」
ドン!
「あちゃあ……」
ショウタが止めに入る寸前、キュッというタイヤの音とともにアキの体が数メートル前に進み、赤髪はそのさらに数メートル先に倒れていた。
「マジ……」
ほんの脅し程度だったのに、予想外の結果を招いてしまったからか、茶髪の学生が息をのんだ。金髪も、あっけにとられたように、ピクリとも動かない赤髪を見つめている。
「マジよ、やれと言われたからライダーブレイクをやったまでよ」
あの体当たりには技名があったのか、とどうでもいいことを考えつつも、このままではアキがひどい目に遭わされる。しかし、度胸も腕力もない、でも……意を決してショウタは両者に割り込んだ。
「ど、どうも失礼しました。じゃあ、僕らはこれで……」
「あ、ああ……」
あまりのことに、茶髪がすんなりと返事をする。
この隙に、とショウタは無理やりアキの車椅子を方向転換させ、駅に向かおうとする。
「テメ、覚えておけよ」
茶髪か金髪のどちらかが、低くドスの利いた声でつぶやくのが聞こえた。
「そっちが悪いんでしょ、人を笑っておいて!」
その言葉にアキは方向転換をして、赤髪を抱き起す二人に向かおうとした
「いいから行こう!」
その勢いに、ショウタはずるずる引きずられる形になった。
「いいから帰ろ、な、帰ろ!」
駅に向かう途中も、アキはまだ怒りが収まらないのかむすっとした表情で、それを押すショウタの顔には引きずられてところどころに擦り傷ができていた。
「……あぁもう、腹立つ!」
二人は無言のまましばらく歩いていたが、先にアキが口を開いた。
「喧嘩しても勝てるわけないだろ」
「勝ち負けの話じゃないの。だってあいつら、笑ったんだよ」
「そりゃ怒る気持ちはわかるけど……だからってムチャすんなって」
「あの連中、この世が五体満足の人間しかいないとでも思ってるのかしら。今度同じ事したら……」
「いいからもうやめろって。注意の仕方も色々あるだろ!」
「なによ、あいつらの味方する気なの、ねえ?」
「そうじゃなくって……。これ以上お前の気まぐれとかわがままに、俺を巻き込むなっての! 昼間も言っただろ、もう俺は押さない、押したくない!」
「……」
声を荒げるショウタに、アキは無言でレバーを押す。グン、と進みだす車椅子の軽い衝撃にショウタは、慌てて手を離した。
「そうね、もう三上の手なんか借りないわよ!」
「すねりゃいいってもんじゃないだろ」
「もういい、一人でやれるから! 好きに動き回るし……それに今日みたいなことに巻き込みたくないし。もう、あんたは関係ないから」
スピードを上げるアキの車椅子が駅の改札に向かってどんどん小さくなっていった。
「そうだよ、お前。移動だって、喧嘩だって、一人でできるじゃないか……俺がいなくても」
ショウタは改札をくぐるアキに向かって、そう呟いた。
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