第3話 座位ハード
アキから逃れるためのショウタのささやかな抵抗も無駄に終わったその翌日、もちろんショウタはきちんとバス停でアキと待ち合わせして、学校まで車椅子を押して登校した。傍目から見れば仲睦まじい間柄に見えなくもないが、ショウタにとっては相変わらずの重労働であり、その日も教室に来るなり、ぐったりと机に伏せていた。
「確かに、断ればいいんだよな……」
昨日の、ミカの言葉がショウタの心をかき乱していた。
そもそも、自分がここまでやる必要はない、たまたまボランティア部だっただけのこと。それも老人ホームで簡単な手遊びや、それほど上手でない歌を数回披露していただけだ。ボランティア=介護という発想自体が間違っている、そもそも、サエ先生のその認識が間違っているのだ。教師のくせに、それはちょっと問題があるんじゃないのか……等々、ぐちゃぐちゃとした思いがショウタの中を駆け巡る。
しかし、もしもアキから逃れたとしても、あいつはまるで近未来バイオレンス映画に出てくる暴走族のように、チューンナップにチューンナップを重ねた、魔改造電動車椅子で地の果てまでも追ってくるだろう。ショウタの脳裏に、装甲車にトゲトゲがたくさんついたような、もはや車椅子とは呼べない姿の電動車椅子が、土煙を立てて地平線の彼方からやってるおぞましいイメージがよぎる。
「いや、そこまでするなら俺いらねえだろがっ」
ショウタは思わず、妄想に突っ込みを入れてしまった。
「でも、あいつならやりかねんな……」
そんな事になってしまったら、いったいどれぐらいの重さのものを押さなければいけないのか、そんなどうでもいいことをショウタは考えていた。
「ダメじゃん、俺。すっかり押す気でいるじゃないか。ここは毅然とした態度で、ダメなものはダメと……」
ひゅっ。
一瞬、口笛が鳴った。ショウタが顔を上げると、教室の廊下側、先頭の席にいるアキが手招きしている。
「ごめん、消しゴム落ちちゃったから取ってくれない?」
ちなみに、ショウタの席は教室中央の最後列だ。すぐ隣ならまだしも、わざわざ呼びつけるほどの用でも、距離でもない。
「自分で取れよ」
「できないから言ってるのに……」
「もっと近くの人に頼めよ、席離れてるだろう!」
ショウタが少し声をあげて返事をすれば、周りの女子たちがひそひそ話を始める。大方ショウタの取った態度に対して、非難の声を小さく上げているんだろう。だったらお前たちが取ればいいじゃないか、ひょっとしてアキに深く関わり合いたくないんじゃないのか? そんなことを思いながら、ショウタは重い腰を上げた。
「しゃあねえ、取りますよ、アキ様」
「はい。あまりからかうと怒るよ、あいつ」
ショウタが動く前に、ミカが消しゴムを拾ってアキに渡した。
「からかうつもりはないんだけど……」
「ひょっとして、三上でないとだめとか?」
「そういうことでもないけど、頼みやすい相手だし……」
「ふーん」
憮然としつつショウタが席に戻る間に、二人はそんな会話をやり取りしていた。
その昼休み。一人菓子パンをかじるショウタに、口笛が聞こえた。どうせアキが呼んでいるんだ、とショウタは無視を決め込む。アキはミカと女子数人で、お弁当を広げていた。
「おーい、三上ぃ。一人で寂しそうね、こっち来る?」
「いいよ、遠慮する。それと俺を口笛で呼ぶな。犬じゃないんだから」
菓子パンを食べきったところで、ショウタが立ち上がった。
「じゃあ、笛にする? 犬笛かな?」
女子グループの周りで、どっと笑いの花が咲いた。完全にバカにされてショウタはふたたび席に着いた。
「女子ばっかりで緊張するんでしょ。大丈夫よ、誰も三上で緊張する女子なんかいないからー!」
その言葉に再度どっと湧くアキのグループ。
「もう、やめてやる!」
苛立ちつつ、ショウタがふたたび席を立つ。
「ごめん、言いすぎたかな? 怒ってる?」
「怒ってるよ、それにトイレだよ、トイレ!」
ショウタがそう言い放つ、まったく人を何だと思っていやがる、苛立ちながら教室を出たショウタにアキの声が、届いた。
「じゃあ、ついでに甘いパン買って来て! ほんのりと甘いの!」
「甘さの基準が分からん!」
廊下で一人声を荒げ、ショウタはトイレに向かった。
「長い付き合いだから私の好みぐらいわかるでしょ!」
再び、アキが声をあげる。
「仲いいんだね、ほんと。でもなんだか主従関係っぽくもあるけど」
弁当を食べ終えたミカがお茶を一口飲んで、アキにそう言った。
「仲良くは……ないと思うし、主従関係なんて」
「じゃあどうして三上に? それとあんまり言いすぎると、あいつ傷つくかもしれないからね、謝った方がいいかもよ」
「そう、なの? 今まで傷ついたところなんて見たことないし」
「我慢してたんじゃない?」
「なんで我慢なんか……?」
「それは、一瀬さんだから、だったりして。まあ、やりすぎには気をつけてね。あいつ本当にボイコットするかも」
そう言って弁当箱を片付け、ミカは席に戻った。
確かにやりすぎな部分もあったかもしれないけど、それは三上がなんでも話を聞いてくれたからであって、そうされるとつい。
「甘えてたのかな……」
ぽつん、とアキはつぶやいた。
そのころ、ショウタは未来から来た殺人サイボーグのごとく、肩をいからせずんずんと教室に戻ってくる途中だった。
「最近、図に乗ってる……俺はお前の専属ヘルパーじゃないっての! 決めた、今日を限りにきっぱりと登下校の車椅子係をやめる! いや、一瀬アキに関する一切合切をやめる! それに、甘いパンってなんだよ、どれだよ!」
そう言ったショウタの手にはしっかりと菓子パンの袋が握られていた。
「よく見たらこれ、三色クリームパンって……全部クリームってことか!」
その日の放課後。
昼休憩の誓いを有言実行するために、ショウタは、さっと教室を出て、一人校門へ向かった。もうあいつの車椅子なんか押すもんか、俺には押す義務はないし、断る権利もあるんだ! と息巻いてみたものの、心中は穏やかではなく、これがばれてしまえば、あの重い車椅子に激突されるかもしれない、と弱気なことも考えていた。だから校門を出る直前で、その足が一瞬止まった。
「いやいや、何をバカなことを考えてるんだ、俺は元々自由なんだよ、人間はすべからく自由なんだよ!」
そう自分に言い聞かせ、再び歩き出すショウタの背後できゅいいいいいん、と聞きなれたモーター音が聞こえる。
「あれはかなり急いでる音……いや、気のせいだ……俺は振り返らない、前進あるのみぃ!」
そういってショウタは振り返らなかったものの、モーター音の正体はスッとその目の前に姿を見せた。アキだ。
「どうしちゃったのよ、なんで押してくれないの?」
ショウタが押してくれることがさも当然、のようにアキが尋ねる。
「そうだな。黙って出ていくこっちにも非があるな。じゃあ言おう。もう俺はお前を押さない。かれこれふた月、学校での生活にも慣れたし、充電のタイミングも掴んで、バッテリー切れで困ることもない。もういいだろ?」
「なによ、今日の事で怒ってるの? だったら謝るよ」
「いいや。前々から思ってた」
毅然とした態度で、ショウタが答える。
「そうか、あの後『三上を使い過ぎだ』って筒井さんにも言われたのよ」
よほどミカにきつく言われたのか、珍しく、アキがしおらしく見える。
「筒井がねえ……じゃあ、分かってくれたみたいなので、今日はこれまで。これからも……まあ、困ったことがあればその時は応じるけど、しょっちゅうは助けない」
と、ちょっとだけやんわりとした断り方で、ショウタはアキのそばを抜ける。
「帰りに見たい映画があるのよ……」
「勝手に見ればいい、俺は忙しいから」
特に忙しいことはないのだが、これ以上付き合うと、アキの車椅子を押すことになってしまうのは火を見るよりも明らかだ。
「そう、映画代ぐらい出すけどな……」
「結構だ」
アキを置いて、ショウタはずんずん歩く。
「でも、こんな機会逃したら……三上、この先女子と映画を一緒に見るチャンスなんてないんじゃないの?」
ショウタの足がピタリと止まり、そして振り返る。
「あるよ、今日じゃなくても、お前でなくてもこの先、ジャンジャン女子と映画行ってやるよ、デートしまくってやるよ!」
「どうだかねー」
さっきのしおらしさから一転、アキはショウタを挑発するような、いつもの口調に戻ってる。
「あるってよ!」
「それじゃ、今日は予行練習で行ってみない?」
「っと、その手には乗らないぞ、そういって俺を乗せようってんだな。誰が、お前となんか行くもんか!」
ショウタはぐっと拳を握り、そしてアキをにらむようにして叫んだ。
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