第10話 龍狩り

 イヌに追い立てられるかたちでヒカリは場所を移した。龍からはもっとも遠いところに身を潜めることになってしまった。

 ここから矢を放ち、まさか一度で仕留められるはずないだろう。果たして一矢でどれだけ龍の力を削ぐことができるのか。なるべく間隔をあけずに次の矢を放つべきだろうか。支給された矢の数は少ない。一本たりとも無駄にはできない。


 そもそも、自分がここから龍に狙いをつけてしまって、大丈夫なのだろうか。

 ちょっと視線を動かしただけでも、前方には複数の狩子の頭が見える。ここから矢を放てば、誤って複数のうちの誰かを傷つけてしまうことも考えられた。

 さらにぐるりと全体を見回してみれば、どこもかしこも銃や弓を構える者ばかり。複数の班が重なったことで、戦力が余ってしまっているのだった。


 対象から一番遠い場所で、自分はどう狩りに挑めばいいのか。最初の狩りを、何もできずに終えるのか。

 狩りにきちんと向き合い関わるどころか、そのとっかかりさえ掴めずにいる。


 考えろ、考えろ。

 自分がどうすべきか、どうしたいのか、考えるんだ。

 じりじりと、焦燥感がヒカリを襲う。



 ◇



 銃声が一発、轟いた。

 弾は、一頭の龍の足先を貫いたようだ。

 それを合図に、一斉に放たれる矢。空気を切る音が重なり合う。班という単位はもうここでは意味をなくし、弓手と銃手たちが競い合うように龍の動きを封じにかかっている。


 ヒカリはただ茫然と、戦況を眺めた。

 龍は細く高く、悲しげな声で鳴くと、全身を激しく震わせる。体に刺さった矢を取り払おうとするような動きだった。そうはさせるものかと、狩子の攻撃は一層激しくなる。


 ヒカリの立つところから斜め前に潜んでいるイヌが、堂に入った様子で銃を構えている。

 ヒカリはそれを、ハッとして見つめた。

 自分だって狩りに出られない間、イヌと同じく自主練を積んできたじゃないか。

 自分ばかり遅れを取るわけにはいかない。早くなんとかして狩りに加わらなければ。


 ヒカリは再び、龍へと視線を向ける。

 狩りとは、狩子と龍との命の削り合いだと考えていた。しかし実際目にしている狩りは、狩子による一方的な殺戮。先程のノーマの言葉は、気休めでなかった。確かに龍はおとなしくて、こうも続けて攻撃を受けていれば、反撃に転ずる隙もないだろう。


 これが、狩りというものなのか。

 軽い失望を覚えながら、ヒカリは傷つけられていく龍を眺めた。


 いよいよ龍の動きが鈍くなると、それぞれ剣と槍を持った狩子たちが前線の草陰から飛び出した。とどめを刺すため、龍の元へ走っていく。


 気が付くと、すぐ横にノーマがいた。

「今回は狩子の人数が多くて助かったね」

 ノーマはすでに銃をホルダーにおさめようとしている。


「……こういう場合は、どうなるの?」ヒカリは戦況を見つめたまま尋ねた。


「こうなっちゃうと、誰がどう龍を仕留めるのに貢献したかなんてわからないでしょう? だから狩りの場にいた全員に、矢尻印を刺す権利があるんだよ」

「わたしはこの狩りで、何もしていない」

「うーん……。でもこの場には居るわけだし、矢尻印刺してもいいんじゃないかな? これだけの人数がいたら、攻撃の最中に誰がどう動いていたかなんてみんな把握していないと思うよ」

「そうだとしても、わたしが嫌だ」


 ヒカリは悔しさに、声を震わせる。

 何もできなかった。

 ただ、見ているだけだった。


 ノーマは一瞬驚いたようにヒカリを見、それからすぐに気遣うような笑みを浮かべた。

「うん、そうだよね……。ちゃんと、自分の力で狩らないといけないよね」


 そのとき、龍の周りで新たな動きが見られた。

 ぎちこちなく剣を振りかざしていたひとりの少年に対し、龍は弱々しい抵抗を見せた。爪を立て、少年の腕をえぐった。地面に、少年の血が滴り落ちる。


「馬鹿! 何してるの!」少年の近くにいたきつね顔が、鋭い声を上げた。

 龍の付近にいた狩子たちのほとんどが、すぐさま血相を変えて龍から距離をとった。そのまま一目散に森の奥へと姿を消してしまう。

 緊迫した空気の中、龍に爪を立てられた少年と、何人かの剣手と槍手がその場に取り残された。


 嫌な予感がした。

「逃げて!」

 咄嗟に、ヒカリは腕を負傷した少年へ向かって、叫んだ。


 瞬間、少年は龍の尾によって弾き飛ばされた。凄まじい威力により、その体は上下に引きちぎられた。

 ついさっきまで瀕死の兎のようにおとなしかった龍たちは、今や屈強な手足で地面をならし、太い尾は周辺の木々をなぎ倒す。目は血走り、鼻息は荒い。


 何がここまで瞬間的に、龍を興奮させたのか。

 こんな状態の龍を見るのは、二回目だ。

 脱走中と今と、何か共通した、龍を刺激する要素があるのかもしれない。

 ヒカリは驚き恐怖に震えながらも、必死に目を凝らした。

 木の枝に少年の下半身が引っかかっている。その下の地面には、剣を握ったままの少年の上半身が転がっていた。腕から流れた血が、剣の柄の部分まで赤く染めている。


 ――そうだ、血だ。


 ヒカリは思い至った。

 脱走中、イヌは足に怪我を負い、出血していた。

 そして今回、少年は龍に腕をえぐられ、血を滴らせた。その直後に、龍が豹変した。


 人間の血が、おそらく血の臭いが、龍を刺激し、眠っていた攻撃性を目覚めさせるのだろう。

 だから龍の近くにいた狩子たちは一斉に逃げたのだ。ひとたび龍が攻撃に転じれば、自分たちに勝ち目がないことを知っていたから。

 逃げ遅れ、この場にとどまったのは、龍が血に反応することをまだ知らなかった、狩子歴の浅い者たち。経験のある者たちはみんな、姿を消してしまった。

 自分たちは、先輩狩子から見捨てられたのだ。


「わたしたちも早くここから離れたほうがいい」ヒカリは慌ててノーマに伝えた。「先輩たちが逃げたってことは、そういうことなんだよ。今から挑んでも、わたしたちだけではきっと龍に勝てない」


 しかしノーマは青ざめた顔で震えるばかり。ヒカリの言葉など耳に入っていない様子だった。

「しっかりして、ノーマ!」ノーマの肩を掴み、強く揺さぶる。


 ノーマはうわ言にのように呟いた。

「……そんな……嘘だよ……。今までこんなこと一度もなかった。わたしたち死んじゃうの? 今のあの男の子みたいに、龍に殺されるの……? あんなに……あんなに血が出て……」


 ノーマはこれまで、狩りが失敗する場面に遭遇してこなかったのだろう。

 狩りにも慣れ、龍に対する恐怖心が薄らいできたところで、この光景はショックが大きいはずだ。

 この場に残る他の面々も、大半はノーマと同じような反応を見せ、思考が止まってしまっている。身動きできずにいる。

 その間に三頭の龍は暴れまわり、近くいた剣手と槍手を弾き飛ばした。


 龍はヒカリたち弓手と銃手が身を隠している範囲に、向かってきている。


 走って逃げきれるか。いや、もう遅い。もうそんな時機はとうに過ぎてしまった。すぐに追いつかれるだろう。

 死なないためには、ここで龍に立ち向かうしかない。

 だけど、個人の力だけでは到底太刀打ちできないだろう。

 早く連携を作らなければ。

 この場に残るみんなで力を合わせ、龍に対抗するんだ。


「動いて……」ヒカリはみんなに呼びかける。しかし、喉から出たのは小さく頼りない声。

 こんなんじゃ駄目だ。

 ここにはもう、狩子なんていない。頼れるはずだった先輩はいない。

 今ここにいるのは、本当のことを何も知らされないまま狩場に放り出された、無力な子どもたち。武器を手にして強くなった気でいた、愚かな子どもたちだけなのだ。


 この瞬間から、わたしたちは本当の意味での狩子にならないといけない。


「みんな動いて! もう一度武器を掲げて! 龍を倒すの! 戦うんだよ!」ヒカリは力いっぱい叫んだ。


 単身、龍の正面へと躍り出る。

 龍を、強く見据える。体勢を整える。弓を引く。

 ヒカリの放った矢は、三頭のうち中央にいる龍を掠るだけに終わった。


 ヒカリは諦めず、もう一度矢をつがえた。放つ。今度は龍の首元に矢が刺さった。

 しかし、龍が止まる気配はない。

 これくらいの攻撃では、足止めにもならないのだ。


 ひとりの攻撃では弱い。

 みんなで力を合わせて攻撃しなければ、龍にダメージを与えられない。

 誰でもいい、自分に力を貸してほしい。

 一緒に、龍と戦ってほしい。

 ヒカリは願った。

 嫌われ者の自分の言葉になど、誰も耳を貸してなんてくれないだろう。これが終われば、また無視してくれていい。だから、どうか今だけは、自分の声を聞いて欲しい。信じて欲しい。

 

 ヒカリは半ば自棄を起こしながら、新たな矢をつがえる。対象である龍を睨む。


 突如、銃声が鳴り響いた。

 一頭の龍が、銃弾に足をやられ、よろめく。

 撃ったのは――、ノーマだ。


「ご、ごめんヒカリ……。も、もう大丈夫だから……わ、わたしも一緒に、た、戦うから……。あなたひとりを、戦わせたりしない……!」ノーマは震え声で言った。


 ノーマだけではない。他の者も、気力を取り戻しつつあった。それぞれ武器を構え、攻撃の体勢を整える。


 ヒカリは胸を詰まらせた。

 届いたのか。

 自分の言葉はみんなに届いたのか。受け入れてもらえたのか。


「ヒカリ、指示を」ノーマが言う。「みんなあなたの言葉と行動に、動かされ立ち上がったのだから」

 

「わ、わかった。みんな自分が今いる位置を意識して。どの龍が一番近いか、見極めて。三つの班に分かれて、それぞれ近くの龍を狙う。い、いいですか?」

 慣れない指示を出したせいで、ヒカリの語尾は裏返った。

 だがそれを指摘する者も、笑う者もいない。

 ヒカリの言葉に、意義を唱える者はいない。

 具体的な指示があることで、人は落ち着いて動けるのかもしれない。


 場の空気が、確かに変わった。

 恐れはあるが、諦めはない。

 今この場にいる全員が、攻撃へと神経を集中させていた。


 いざ、龍を狩る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る