第11話 仲間

 全員が攻撃にかかり、辺りには土埃が舞う。あっという間に視界が遮られた。龍の動きが見えない。銃声が重なり、龍の反応を聞き取ることさえできなくなる。

 ここからはもう、当てずっぽうで攻撃するしかなかった。

 すぐにヒカリは支給された矢を使い切ってしまった。大方の者が同様に、矢と弾を切らしている。


 すべての攻撃を出しきり、辺りに静寂が訪れた。

 全員が龍から距離を取り、もしものときに備えて逃げの体勢を作りながら、視界が晴れるのを待った。

 やがて地面に倒れた龍の姿が、目に飛び込んできた。


「っしゃ!」誰かが、早くも歓喜の声を上げる。

 しかしヒカリは警戒を緩めず、前方を見張り続けた。すぐ横で、ノーマがごくりと唾を呑んだ。


 一頭だけ、まだ動いている。

 龍は満足に動けそうのない体を必死に捩り、力の抜けた尾で地面を叩いていた。

 その光景を見た瞬間、ヒカリの胸は痛んだ。生きたい、生きようとする思いは、龍も同じなのだ。ヒカリは龍を畏怖した。そして同時に、愛おしいと感じた。

 だからこそ、ちゃんと殺してあげなくちゃいけない。龍を長く苦しませてはいけない。


 突き動かされるように、ヒカリはまだ息のある龍の元へと走る。地面に転がったままの持ち主不明の剣を拾い上げ、龍の心臓を狙い、突き立てた。

 殺すのは、初めてだ。明確な殺意を持つのは、これが最初。


 経験のないヒカリは、心臓の位置を正確に捉えることができなかった。一度目は外してしまい、龍は苦しげに口から血と涎を垂らした。そうして、責めるようにこちらを見た気がした。


「ごめん、ごめんなさい……」ヒカリの目からは、自然と涙がこぼれた。


 もう一度、今度は位置をずらして剣を刺し込むんだ。うまくいった。そんな手ごたえを感じた。

 龍が息絶えたのを見て、緊張の糸が切れた。ヒカリは膝から崩れ落ち、地面に手をついた。


「ヒカリー!」

 ノーマが駆け寄って来た。

「すごいよ、すごい! わたしたち龍を仕留めた! わたしたち、まだちゃんと生きてる!」


「うん……」ヒカリは浮かない表情で頷く。

 わたしたちは生き残った。

 わたしたちだけが、生き残れた。

「でもこんなのが、これからも続くのかな……」


 三頭の龍の死体。その向こうに、数名の狩子が倒れていた。

 近距離で攻撃していたために、龍から逃げ遅れた剣手と槍手だ。ある者の体は引き裂かれ、ある者は手足をおかしな方向に曲げていた。呼吸をしていないのは明らかだ。

 いくら龍を仕留められても、犠牲者が出たのでは、その狩りは成功したといえない。

 自分たちは龍に負けたのだ。だけど龍は悪くない。最初に仕掛けたのは、自分たちのほうなのだから。


 ヒカリは複雑な思いで、亡くなった狩子たちを見た。彼らの死に対して可哀想だとか悲しいだとか、言葉ではいくら言えても、自分はまだその本質を掴めていない気がした。

 ただ一つはっきりと自覚したことは、もう二度とこんな光景を見たくないという思いだった。



 ◇



 惨状を前に座り込んでいたところ、視線の端で動くものを捉えた。

 折り重なった狩子の遺体。その下から、大柄な人影が這い出てくる。その人は呻き声を洩らした後、ゆっくりと体を起こした。がっしりとした体つきの青年だった。首や腕の筋肉が盛り上がったかたちをしている。

 青年は立ち上がり、二度三度頭を振ってから、呆然と辺りを見回していた。


「嘘……」まさか生存者がいたなんて。ヒカリは驚愕の声を上げた。その瞬間、相手と目が合った。「無事……なんだよね?」おそるおそる問いかける。「怪我は? どこも痛くない? 動いて平気なの?」


 相手は低く落ち着いた声で返した。「ああ、大丈夫だ」


「本当に? あなた龍が暴れだしたとき、すぐ近くにいたはずだよ」

「ああ、そうだな。でもまあ、俺は昔から悪運だけは強いほうだから」

「龍に弾き飛ばされたりもしたんじゃ……」

「見ての通り体は頑丈なんでね。それに咄嗟に受け身をとった。少しの間気を失いはしたが、体のほうはほら、ピンピンしているよ」


 龍からの生還者はその場でかるく飛び跳ねてみせた。そしてヒカリとノーマの傍まで来ると「俺はコブ。槍手だ」と名乗った。「それでこの龍は、お二人さんが仕留めたのか?」


「いいえ、全員で……」

「全員?」

「他のみんなは、向こうにいるよ」ノーマが後方を指し示した。


「すごいな、みんな逃げちまったと思ったけど、まさかこの場に残って戦ってくれてたとはな。お陰で俺は気を失ったまま龍に踏み潰されてジ・エンドなんてことならずに済んだ。ありがとうな、えーっと……」

「わたしはヒカリ。この子はノーマ」

「ありがとう。ヒカリ、ノーマ」

 コブに差し出された手を、ヒカリはそっと握り返した。コブの手は硬く、厚みがあった。

 

 一緒に戦った面々が、ヒカリたちの元へ歩み寄って来た。そのうちの何人かは、ヒカリに声をかけた。


「さっきはありがとう、ヒカリ。正直、龍が暴れ出したときはもう駄目かと思ったよ。怖くて足を動かせなくて、逃げ出すことも諦めて、ああ俺はこのままここで龍に殺されるのかなって思った」ある少年はそう言って、気まずそうに頭を掻いた。


「みんなが弱気になってたときに、ひとりでも龍に立ち向かおうとする人がいてくれたのは、すごく心強かった。お陰でわたし、武器を取る勇気が出たんだよ」面長の少女が、興奮気味にそう伝えた。


「ヒカリの言う通り、攻撃を続けて良かったよ」そう一言だけ口にした青年は、労うようにヒカリの肩を叩いた。


 久しぶりに人と心を通わせられた気がして、ヒカリは嬉しくなった。不器用ながらも、丁寧に仲間たちへ言葉を返していく。ヒカリを中心に人の輪ができて、その向こうではノーマが優しく見守るように微笑んでいた。


 仲間と話していてふと視線を動かしたとき、イヌと目が合った。イヌは少し離れたところに立って、何か言いたげな顔でこちらを見ていた。ヒカリはイヌの元へ歩み寄ろうとした。

 次の瞬間、背後で悲鳴が上がった。

 振り返ると同時に、赤い液体が視界を横切った。血だ。見ると、少女が地面に倒れている。今さっき言葉をかわしたばかりの子だった。少女の体は引き裂かれ、どくどくと血が流れ出ていた。

 少女の傍に、龍の姿があった。

 風下から、血の臭いに引き付けられて来たらしい。

 ヒカリは小さく舌打ちした。

 完全に油断していた。ここは狩子の血が流れすぎている。龍を仕留めたらただちにこの場を去るべきだったのだ。


 新たに現れた龍は、先ほど全員の力で仕留めたものと比べて、いくらか小さい。しかしそのパワーは前の三頭を凌ぐ勢いで、地面を踏み荒らし、狼狽する狩子たちをなぎ倒した。

 龍から距離を取るべく、無事な者は散り散りに走った。


「この状況では、おそらく全員は逃げ切れない……」

 岩陰に飛び込み、ヒカリは呟く。

 龍が地上から追って来るとは限らない。そう、龍は飛ぶのだ。もし空から追われでもしたら、ひとたまりもない。


「ヒカリ、こんなところに隠れてちゃ駄目だよ」一緒になって逃げてきたノーマが、激しく肩を上下させながら言った。「早く、より遠くへ逃げなきゃ」


「わたしたちが逃げ伸びる代わりに、きっと逃げ遅れた別の誰かが龍の犠牲になる。ここにいる全員が助かるためには逃げるんじゃなく、あの龍を行動不能にさせないと……」

「まさか戦うっていうの? 武器はどうするの? もうみんな弾も矢も使い切ってるんだよ」


「武器なら……」ヒカリは岩陰から首だけ出し、周囲を窺った。身を屈めながら素早く駆け、何かを拾ってノーマの元へ戻って来る。「これを使えばいい」と言って、剣を差し出した。


「これってまさか……」

「うん、龍の犠牲になった狩子が使っていたもの。探せば、もっと地面に転がってる。なんだか泥棒するみたいで気分悪いけど、今はそんなこと言ってられない。犠牲者の武器を借りよう」ヒカリは拾った剣を、ノーマの手に握らせた。

「わたしが使っていいの? ヒカリは?」

「わたしはさっき龍にとどめを刺したときに使った剣がある」


 一つ深呼吸した後、ヒカリは声を張り上げた。

「みんな逃げないで! まだ戦える! 地面をよく見て! 武器がある! 剣と槍がある! 取って! 戦おう! ここで龍を仕留めて全員で帰ろう! 帰りたい……お願い、一緒に戦って!」

 今度は、声は裏返らなかった。


 祈るように、反応を待つ。

 今の声が、どれだけの仲間の耳に届いたかわからない。


 少しの間をおいて、声が届いた。

「おう、俺はもう槍を取ったぞ。いつでも攻撃に入れる」

 コブの声だった。

 その後もちらほらと、武器を取ったという声が上がった。


「俺の隠れている位置から、龍の動きがよく見える。なあヒカリ、俺の合図ではじめていいか?」コブが言った。


 姿の見えないコブに対し、ヒカリは答える。「了解。お願いします」


「よし……今のやりとり、みんなも聞こえてたよな? じゃあ行くぞ……」コブが一拍置いて、叫んだ。「攻撃開始だ!」

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