第9話 出発
「良かったら、一緒に行こう。班の集合場所は向こうだよ。慣れてないと、集合するだけでも大変だよね」
ノーマに案内されて、地面に杭が打たれているところまで行く。杭には班ごとに割り振られた目印が刻まれていた。この目印を頼りに、班員が集合できるようになっているのだ。
ヒカリとノーマが集合に遅れたので、先に目印まで来ていた班員たちは苛立っていた。
「ああ、やっと来たか。もう開門してるし、出発した班も多い。俺たち、遅れをとってるぞ」
班員の中で一番の年長者らしい青年が、二人にそう声をかけた。
「すみませんでした」ヒカリは頭を下げる。
「ヒカリさんは今日がはじめての狩りで、色々慣れてなかったから……」ノーマが青年の顔色を窺いながら言った。
「へえ、あんたが噂のヒカリね」青年の隣にいた、きつね顔の少女が、興味深そうにヒカリを見た。「脱走者のヒカリ、でしょ? 今日は変な気起こさないでよね。くれぐれもを班員を巻き込んで脱走しようとか、考えないで。みんながみんな、あんたのような臆病者ってわけじゃないんだから」
きつね顔の言葉を聞き、もうひとりの班員である八の字眉の少年が、ヒカリをせせら笑った。
ノーマは不服そうにやりとりを見つめ、唇を噛んでいる。
ヒカリは内心の動揺を抑え、静かに返事をした。「わかりました。気を付けます」
きつね顔はさらにまだ何か言おうとしていたけれど、青年に窘められた。
「いいから、そんな奴いちいち構ってないで、さっさと出発するぞ」
青年が先導するかたちで、ヒカリたち班員は支部を出発した。
最初はゆるやかなあぜ道を行き、途中で道は険しくなる。
右手に、隧道が見えてきた。
青年は迷わず、左手に進む。
「あっちの道は、別の山へと繋がっているみたい。でもその山には龍が棲んでないんだって」ノーマが親切に教えてくれた。
さらに進み、山の中へと分け入っていく。整備された道はない。先に出発した班が踏み慣らしたらしい道筋を、黙々と辿っていく。
ふいに、後方から軽快な音が聞こえ、ヒカリは首を動かした。
視界の隅に、木箱のようなものに乗り込んだ、少年たちの姿を捉える。少年たちはその乗り物で、颯爽と斜面を移動していった。
「あれはトロッコだよ」ヒカリの視線に気付き、ノーマがそっと耳打ちした。
「トロッコ?」
「そう。本当は回収員さんたちが仕事で使うものだから、狩子は使っちゃいけないことになってるんだけどね」
回収員とはどんな人だろう。何を回収するのだろう。
ヒカリは疑問に思った。そして、自分が龍狩りについて何も知らないことに、今さら思い当たる。
「ねえ、質問してもいいかな」山道を行きながら、ノーマに尋ねた。
「なあに、ヒカリさん」
「ヒカリでいいよ。さんは付けなくていい」
「ヒカリ」
「あのね、武器庫で武器と一緒にこれを渡されたんだけど、何かな?」
ヒカリはポケットから布袋を出して見せた。
中を確認したところ、短い矢が数本入っていた。
「ああ、それは矢尻印だよ。仕留めた龍の体には、これを刺しておく決まりなの。個人を特定するためのものだよ。後で回収員さんたちが山に入って、龍の死体を回収するとき、誰が何体の龍を仕留めたのか、矢尻印を見てその日の狩りの成績を記録するの」
「成績か……。それで給与額が決まるのかな」
「ううん、ちょっと違うかな。会社への貢献度が高ければ多少の上乗せはあるのかもしれないけど、給与額は基本的に一定のはず。……あれ? ヒカリは狩りのこと何も聞いてないの?」
「うん、まったく」
「わたしのときは狩りの初日に、武器庫で教官から一通りの説明を受けたんだけどな……」
ノーマは不思議そうに首を傾げたが、すぐに合点がいったらしい。
「そっか、今日は武器庫の担当、根岸教官だったからだ。根岸教官、結構いい加減なとこあるみたいだから、ヒカリに説明し忘れたのね」
それからノーマは、狩りについての決まり事などをヒカリに教えた。
矢尻印は、個人の成績を記録するためのものである。回収された矢尻印の本数で、成績が付けられるのだった。
さらに、教官の目の届かないところで、狩子が手を抜くのを防ぐための対策でもある。
基本的に、教官は狩りに同行しない。
回収される矢尻印の本数で、個人の技術や狩りに対する姿勢を評価している。評価の低い狩子には、罰が与えられることもあるという。
不正を防ぐために、矢尻印は一度差し込むと、特別な器具を使わない限り抜けない造りになっている。そして、自身で仕留めてもいない龍に矢尻印を刺すことは、禁止されていた。そのような偽装が発覚すれば、やはり罰が与えられる。
ここまで聞いて、ヒカリは疑問に思った。
「山中では教官の目がないのだから、矢尻印の偽装を見抜くのは難しいんじゃない?」
「うん、そうかもしれない。だけど抜き打ち、教官からその日の狩りについて、聴取されることがあるらしいの。誰と、あるいはどの班と合同で、どういった状況で、どのようにして龍を仕留めたのか、細かく訊かれるんだって。実際に刺してあった矢尻印と調書の内容で、辻褄が合わないところがあると、偽装の疑いがかけられるんじゃないかな」ノーマは答えた。「まあ、中にはそういうところもうまく切り抜けて、嘘の成績を上げている狩子もいるみたいなんだけど……」
「そうなんだ……」 ヒカリは頷いた。
「他に訊いておきたいことはない?」
「うーんとね……」
ノーマに尋ねられ、ヒカリは首を捻る。
狩りについて必要なことはすべて聞いたはずだが、なんとなくまだ大事なことを何一つ知らないでいるような、もどかしさがあった。
龍狩りって、結局どんなものなのだろう。
説明だけでは、想像がつかない。
「あ、あとはやっぱりお給料のこと気になるよね」
ヒカリが思案のために沈黙したのを、ノーマは違う意味に捉えた。狩りの成績について説明した際、ヒカリが給与額に触れたことを、思い出したのだ。
「え? あ、うん。確かにそれも気になるけど……」
「あのね、お給料は、」
ノーマが言いかけたとき、すぐ前を歩いていたきつね顔が、こらえきれなくなった様子で吹き出した。そして振り返り、小馬鹿にするようにヒカリを見た。きつね顔はヒカリとノーマの会話に、ずっと聞き耳を立てていたのだった。
「あんたさあ、今から給料の心配なんかして、どんだけ頭の中平和なの? それともすっごい狩りの腕に自信があるとか? じゃあさ、なんであんたは脱走なんてしたんだろうね。まずは今日を無事に生き残ることだけ考えなよ。死んだら給料だって受け取れないんだよ。金の心配は、生き抜いてからにしな」きつね顔が言う。
「やっぱり死ぬことって……あるんですね……」
「当たり前でしょ。龍を相手にするんだから」
きつね顔はふんと鼻を鳴らすと、前に向き直った。
「大丈夫。ちょっと怖がらせようとして言ってるだけだよ」すぐさまノーマはヒカリに耳打ちした。「わたし、まだ一度も狩りで死んだ人なんて見たことないよ。それに龍はこっちから手を出さなければ、すごくおとなしいの。だから龍のふいを突いて素早く仕留めてしまえば、反撃されることもない」
「本当に龍は、怖くないの?」
ヒカリは訝しんだ。
脱走中に出くわした龍は、凶暴だった。無力な自分たちに対し、突然襲いかかって来た。
初めての狩りで不安だろうと、ノーマは自分を気遣って言ってくれているのかもしれない。
「怖くないよ。それによく見ると愛嬌があって可愛い顔してる龍もいるんだよ。そういうのはちょっと、狩るのをためらうけど……」
それからノーマは、給料の受け取りについてヒカリに話して聞かせた。
「龍を仕留めた成績がね、百五十頭に達すればいいの。そうしたらもう会社に充分貢献したってことで、お給料を支払ってもらえる。その後は晴れて自由の身だよ」
「百五十頭か……」
「すごく難しい数字だよ。狩子歴が長くて、一番腕の立つアダチさんていう先輩がいるんだけど、その人でさえまだ成績は三桁にいってないって噂だし」
やがて山道は一層険しくなった。
まだ、龍と遭遇しない。周りには他の班の姿もない。
「今日は空振りかあ……」班の先頭を歩く青年が、肩を落とす。
それを聞いて、ノーマが密かに安堵の息をついたことに、ヒカリは気付いた。龍を仕留めなきゃいけないとわかっていても、なるべくその機会には恵まれたくないのかもしれない。
ノーマはしきりに頭上を気にし、視線を動かしている。
前方の視界がひらけた。
いくつかの班が点在している。全員息を潜め、攻撃のタイミングを見計らっている様子だった。
緊張が走る。
「龍がいるんだ」青年が振り返り、小声で班員たちに伝えた。
狩子たちの視線の先――ひらけた空間に、三頭の龍がいた。
脱走中に遭遇した龍より、ずっと大きい。
龍は地面に体を横たえ、静かに目を伏せている。太陽の光を浴びて、その鱗は煌めき、独特な美しさをたたえていた。
「複数班で龍を仕留めるつもりだぞ。俺たちも攻撃に加わろう」
青年はそう言い、慣れた調子で岩陰に身を隠した。
他の班員たちも、それぞれが潜むための場所を瞬時に見極め、動いた。
ヒカリだけが出遅れる。
焦りに襲われながら、きょときょとと周囲を見回し、他の者の攻撃の邪魔にならないような場所を探す。
ようやく手頃な草陰を見つけて飛び込んだところで、背中から苛立った声が飛んできた。
「どいてよ! ここはわたしの攻撃場所なの。あんたは他の場所に移りな」
ヒカリはびくりと肩を震わせ、
「す、すみません……」
振り返った。
そこで、イヌと目が合った。
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