第8話 少女は決意する
「ちょっと、どうしたのクロ。なんで謝るの?」ヒカリは面食らい、咄嗟にクロの肩に手をかけた。「わたし、クロに謝られる覚えなんてないよ」
「二人が酷い目に遭ったのは、僕のせいだ。ヒカリとイヌから脱走することを聞いたとき、僕が引き留めていれば良かったんだ。そうすれば二人は今、こんなことになっていなかった。僕はヒカリを守れなかった」
クロがかぶりをふる。
「……なんだ、そのことか」ヒカリはクロの肩に置いていた手を放し、ふっと自虐めいた息をついた。「クロのせいじゃないよ。クロは何も悪いことしてない。わたしが馬鹿だっただけ。わたしが悪いの」
「いいや違うよ。頼まれてもいないくせにシャッターの鍵を開けた、僕も同罪なんだ。僕だってヒカリとイヌのように罰を受けるべきなんだよ。でも怖くて、いまだに鍵を開けたことは教官たちに秘密にしてる。軽蔑するだろう? 僕は狡い人間なんだ」
「軽蔑なんてしないよ。わたしは、クロが鍵を開けたことがバレてなくて本当に良かったと思ってる。クロまで拷問されたら、わたしは今よりもっと自分を許せなくなってしまうところだった」
ヒカリは両膝を胸に抱えて座り直し、視線を落とした。
「……ねえ、気になってたんだけど、イヌがみんなにしている話って嘘だよね? あのとき僕の目には、ヒカリが無理やりイヌを脱走に付き合わせているようには見えなかった」
クロは心配そうに、横からヒカリの顔を覗き込む。
「それがね、なんだかもう自分でもよくわからないの。最初に脱走しようと言い出したのはイヌだったけど、話を聞いた時点でわたしも同じ気持ちになっていたし、もしかしたら途中からはイヌよりわたしのほうが脱走することにこだわっていたのかもしれない。逃げてる間、わたし、弱気になったイヌを励まして前に進ませようとしてたの。そうやって無自覚に、イヌを追い詰めていたんだろうね。イヌは本当はあのときわたしに、支部に引き返そうって言って欲しかったのかな」
「仮に、逃げてる間のイヌの心理がヒカリの想像したとおりだったとして、そんなの見抜けなくて当然だよ。だってイヌとヒカリは、まったく別の意思を持った人間なんだから。はっきり言葉に出してもらわないと、伝わらないことのほうが多いんだ。だからヒカリが気に病むことなんてないさ」
「ありがとう、クロ」
ヒカリは顔を上げ、まっすぐクロを見た。
それから、ゆっくりと首を横にふる。
「でもね、そういうことじゃないの。わたし、あのときなんでああもすんなりとイヌの考えに賛同し、動けたのか。逃げてる間もイヌを励ますだけの余裕があったのか。ずっと考えてた。それで気付いたの。わたしはあの脱走を、心のどこかで、自分には責任のないこと、他人事だと捉えていたんじゃないかって……。当事者意識が足らなかったの。一緒に行動していたのに、わたしはイヌの気持ちを推し量ろうともしていなかった。そんなわたしのいい加減さが、今の結果を招いたんだよ」
「ヒカリはいい加減なんかじゃないよ。いつだって真剣に、目の前のことと向き合っているじゃないか」
「なんでそう思うの? わたしとクロは知り合ったばかりじゃない。クロにはわたしがどんな人間かなんてわからないでしょう?」
「僕は訓練棟で、ずっとヒカリを見ていた。ヒカリのことはよく知っているつもりだ。ヒカリはいつも真面目に自主練していたじゃないか。いい加減な人間なら、そんなことしないはずだよ」
「ああ、あれはね、教官から自主練はしておいたほうがいいと言われたから、そうしていたんだよ。自分ではきっと、何も考えてないの。誰かの意思に従っていれば、楽だから。わたしがしっかりと思考できる人間だったのなら、イヌに脱走を持ちかけられた時点で説得していた。脱走したとしても、もっと深く考え行動していた。イヌを、守れていた。イヌはわたしのそういういい加減なところに気付いてて、内心ではずっと腹を立てていたのかもしれない。イヌがわたしを目の敵にするのは、わたしのいい加減さが許せないからなんだよ」
クロは頭の中で長い間かけて、ヒカリが語った言葉を咀嚼した。
その後で、そっと口を開く。
「もし、さっきヒカリが言ったように、ヒカリ自身がいい加減な人間だったとしても、それでも僕はヒカリの味方だよ。僕は断言できる。ヒカリは良い人だよ。苦しくても自分自身と向き合い、間違いを見つけたのだから。間違いは、正せばいい。ヒカリはこの後、どうやってその見つけた間違いを、正していくの?」
「今回のことで、わたしはもっとちゃんと、自分の意思で色々なことと関わっていきたい、関わらなきゃいけないんだと思った。他人任せにただ従い動くだけの自分は、もうやめる」
ヒカリは決意した。
クロに胸の内を聞いてもらえたのが、自分を焚きつけるためのきっかけになったのだ。
立ち上がり、拳を握る。キッと宙を睨む。
まるでたった今はじめて呼吸をしたかのように、ヒカリは心臓が脈打つのを意識した。
◇
「狩りに出られない間、自主練をさせてください」
教官にそう申し出たところ、許可が下りた。
午前中、狩りに出るため門へと向かう狩子たちを横目に、ヒカリはひとり逆方向に進む。訓練棟に行くためだった。自主練を重ね、弓の技術を磨く。
クロの前で宣言した「きちんと関わる」とは、どういうことか。
目の前のことを、精いっぱい、誰かに言われたからではなく自分の意思でやることだと、ヒカリは考えた。
今、自分の目の前にあるのは狩りだ。
考えをもって、狩りにのぞもう。
そのために、できる限り技術を身に着つけよう
イヌとの一件があって、他人と「きちんと関わる」のはまだちょっと怖い。
だけど真剣に狩りをするうち、いつかはそんな自分の姿を見直し、歩み寄ってくれる人も現れるかもしれない。
訓練棟には、また新たな孤児院出身者たちが集められていた。ヒカリの後輩となる面々だ。
まだ慣れない手つきで弓を構える子どもたちにまじり、ヒカリは黙々と矢を放つ。その姿は殺気立ち、異様な空気を漂わせていた。
時々、訓練棟でイヌとすれ違った。
イヌもまた、ヒカリ同様自主練に励んでいるようだった。
何度か声をかけようと試みたが、イヌはヒカリを露骨に避けた。
◇
「怪我の具合は、もう良さそうね。明日からはヒカリも狩りに加わりなさい」
丸山からそう言われたとき、ヒカリの心は静かだった。
翌日、朝食の席で、班割りが発表された。
狩子たちは食堂前方に設置された黒板に向かい、そこに書かれた記号で、班割りを把握していく。ほとんどの者が文字を読み書きできないため、狩子にはそれぞれ個人を表す記号が当てられているのだった。
龍狩りは数名で班を組んで行われるが、班の編成はその日その日で違った。
狩子を割り振るのは教官だが、どのような判断基準があってそうしているのかは不明だ。もしかしたら適当に決めているのかもしれないという噂もある。その理由として、班員の担当武器が偏っていたり、経験の浅い者ばかりが集まってしまったりと、班には明らかな戦力差ができることがあった。
自分がどのような班に振り分けられるかが、その日の狩りの成績を左右する。
「うわっ、俺の班、たぶん剣の奴しかいない。遠距離攻撃なしはきついな……」
「せめて銃か弓が一人はいてくれないとだよな」
「わたしの班なんてさ、全員後輩だよ。プレッシャー半端ないわ」
「やった、俺今回アダチさんと一緒だ」
「マジかよ、おまえくれぐれもアダチさんの邪魔だけはするなよ」
「うっせ、わかってるよ」
班割りを見て、歓喜する者、しかめ面をする者、気を引き締める者――様々な反応が交じり合い、朝食の席は騒がしい。
ヒカリは黒板を一瞥しただけで、すぐ目の前の朝食に取りかかった。同じ班になった者の記号を見ても、誰が誰だかわからない。各自の担当武器が何なのかも知らない。
わかっていることは、龍を殺すという目的だけだ。
◇
朝食後、武器庫へ向かう。そこで教官から武器を受け取り、門の前に移動する。
初めて目にした武器庫の様子に、ヒカリは圧倒された。中は整然と棚やケースが並び、大量の武器が保管されていた。見回すと、四種類の武器の他に、どんなときに使うのか、短剣や刀なども置いてあった。
根岸という名の小太りの教官が、ヒカリの手首に巻かれた紐を確認する。紐の色で、その狩子の担当武器が何なのか知る仕組みだ。
「青……、はい、弓と矢ね。あ、あとこれも」
根岸から、ぞんざいな手つきで武器と、小さな布袋を押し付けられる。
「あ、ありがとうございます……」
「受け取ったなら、さっさとどいて。次の人が待っているんだから」
ヒカリはおたおたと、その場を離れた。
矢筒を背負い、弓を片手に持ち直す。中身が何なのかわからないまま、布袋はひとまずポケットに押し込んだ。そうして、門へと向かう。
他の狩子たちが慣れた様子でこなしている動作に、ヒカリはいちいち手間取った。
門の前に来ても、自分の班の集合場所がわからず、まごついてしまう。
班員たちと落ち合えず、途方に暮れていると、背後から優しく肩を叩かれた。
振り返る。
知っている顔が、そこにあった。
自主練の際に訓練部屋でよく見かけていた、眼鏡の少女だ。
「あなたは……」
「わたしはノーマ。適性検査のとき、ヒカリさんに助けられたの、覚えてる? わたしたち、今日同じ班なんだよ」
ノーマはそう言って、にっこりと白い歯を見せた。
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