淘汰

小林健吉

聞くに耐えない話

 部屋に響く、無機質で、残酷で、其れでいて何処か形容し難い、アタシを喰い潰す何かを誤魔化すような音。嗚呼、嫌だ厭だ。其れは只の、アタシが自己満足で付けた空調の音です。アタシの側にある、とても大きいとは言えない、開放的という言葉が似つかわしくない、小さな小汚い窓の向こう。私を切り離して、孤独にして、何時も変わらずニヤニヤしている街並みが憎らしくて付けたのだ。窓から刺さる、太陽の叫び声が、暑くて熱くて、もっとムカムカしちゃう。なんだいなんだい、そんなにアタシが、高価な菓子を買って、不味くて、顰めたときの顔を、晒しているのが嬉しいのかい。コノヤロウ、いつか見てろ、報復してやる。と言うのは、戯言だけれど。嗚呼、誰とも知れない神様、仏様。アタシ何か、無礼な事をしましたか?心を込めて、詫びましょう。それはもう、盛大に、迅速に、狡猾に、詫びましょう。これはきっと、アタシの傲慢さがやるせなくて、許せなくて、アタシに贈った呪いでしょう。そうでもなけりゃ、アタシ納得出来ません。こんなに虚しくって、切なくって、泣くなんてことが出来ないくらいに悔しいことなんて今まで無かったのですもの。

 今の今まで、アタシ、本当に幸せで、退屈で、何の変哲も無い、素敵な日々を送っていました。ちょっと、おつむが弱いのが、玉に瑕だと、よく両親から言われたぐらい。それだけよ。それにね、聞いて。アタシ、とっても、とっても、愛しい人も居たのよ。ほら、なんて素晴らしい事か。だって、愛しくて愛しくて仕方ない人が居るだけで、陳腐な物言いだけれど、世界が美しくって、華やいで、鮮やかな色味に満ち溢れているんです。本当よ?信じてないのね、可哀想。でも何時か、アナタもきっと、アタシとおんなじになると思う。そうでしょう?アナタは、アタシだもの。人間なんて、そんなものよ。皆々様、一つ一つ、違う心臓が有るけれど、考える事なんて、そっくりでしょう。異端、カワリモノ、なんて言われる人はね、それは、認めたくない自分です。だから、アナタが、淡い、お嬢さんの頬っぺたみたいな色をした、そんな気持ちを抱いたことがあるのなら。理解る日が来るわよ。そう、これは宿命です。人間が人間であるが為の、人間に宿る命なのです。

 お話、逸れちゃった。ごめんあそばせ、許して下さる?なんて、ちょっとおいたが過ぎるわ。許さないでね。嗚呼そうだわ、彼の人のことよね。彼、私とおんなじ人間だとは思えないくらい、優しい人なのよ。必然で出逢ったの。偶然なんて、アタシ、信じてないもので。お学校で、アタシが、おろしたての、でも今でも着てるくらい御気に入りの、長い、真白の花が散りばめられた、真夜中色のスカアトを着ているときに。アタシの瞳をじっと、蕩けたような顔で見つめながら、「良くお似合いだ。お似合い過ぎて、てっきり花の精なのかと思ってしまった。」なんて言うのよ。面白い人でしょう?だからね、アタシ、こう言ったの。「アタシが花の精なら、貴方は森に迷い込んだ王子さまね。」って。そして、お互いが、クスクス笑って、ニコニコして、嬉しくって、踊り出しそうになったの。だって、あの瞬間、確かにアタシと彼の人は、森の奥で一緒に、二人ぼっちの舞踏会で踊る、妖精と王子だったもの。あり得ない組み合わせね。異種と結ばれることなんてあるわけないのですから、王子さまが不思議なイキモノに依存しただけかしら。それでも気が付いたら、彼の人が居ない生活なんて、考えただけで、三日三晩寝込んでしまうくらい、彼の人に夢中でした。

 それからはね、ずうっと、側に居てくれたのよ。お学校は、ちょいと、センセイから、御指導、御鞭撻頂くことが違いまして。でも、時々彼の人は、「貴女と私を、引き剥がそうったって、そうは行きません。何せ、私達のこの、燃え上がる気持ちは、留まる所知らずなのだから。」なんて、上手な御冗談を、陽気に、軽やかに申しまして、私の側で、堂々と笑っていましたの。イイエ、お上手では無かったわね。今なら、きっと、アタシは「随分と、有り触れた言葉遊びがお好きなのね。アタシの奥には、ちっとも、届きませんよ。」と、苦言の一つ、二つ、申し上げたわ。

 それから、ええと。そうね、デエトの時のお話は如何?彼の人はね、デエトのときは、とても意固地で、いけずで、格好付けしいなの。道をお散歩するときは、「貴女の、麗しい御身体が、薄汚れた排気ガスに触れて、其の悍ましい、大きな車体が、貴女の命に、手を掛けたら。そう思うと、恐ろしいのです。どうか、どうか何卒。」なんて、心にも無いことを言って、其の大きなバケモノから私を護るかの如く、英国紳士の様な皮を被って、歩くの。其れは、アタシに良い面を見せたいのかしら。けれど、アタシは知っている。彼の人、其の時だけ北国に行ったかのように、ぶるぶる、ぶるぶる、震えているのよ。お馬鹿さんね、アタシは毎日、そのバケモノの力を借りて、お学校へ通っているのに。ちっとも、怖くなんか有りませんよ。ちょっぴり、憐れね。

 彼の人、余りにお身体が辛いのか、よく喫茶店に入られるの。「やあやあ、お加減は如何ですか。此処らで一先ず、御茶でも嗜んで、御嬢さん、貴女の小鳥の囀りの様な声で、愉快な御話が聞きたいな。」って、アタシが恰も休みたがっている様にね。アタシはお店に入る時間が有るなら、もっと色んな場所に行きたいのだけれど、彼の小鼻に、額に、汗が浮いていたものだから。「ええ、エエ。アタシ、丁度喉が渇いていたものだから、お願いしようと思っていましたの。」なんて誤魔化したはずよ。ちょいと、お力を付けた方が宜しいわ。でないと他のレディが可哀想よ。

 ウーン、一等アタシの中の蟠りが出来たのは、アタシのお部屋にいらっしゃったときかしら。彼の人、今じぃっと思考に耽ると、私を御自身の家に招いたことなんて無かったわ。御天道様は、気分屋なので、アタシたちは出来るだけお加減を害さないよう、アタシのお部屋に隠れていたものよ。そしたら、彼の人はフゥッと息をついて、身包みを薄っぺらくして、まるで自分の城の中の様に過ごすの。アタシは、彼が余りに動けなさそうだから、お茶の用意をしたり扇子で扇いであげたり、抜け殻を管理してあげたりしていたわ。アラアラ、小間使いさんかしら。どういうことかしら。

 アタシはそこでやぁっと、漸く、気が付いたわ。何て空しくて無駄で無価値な事をしていたのかしらって。何処が王子さまよ。王子さまって、そんなに傍若無人で、頑固で、自分に酔うものなのでしょうか。アタシは専ら、草臥れるまで利用されたあとに希少価値で売り飛ばされる妖精ね。アナタもアタシの話を聞いていてきっとそう思ったことでしょう。彼の人、アタシが真実を見抜いてから、風に攫われたように消えてしまったもの、確信したわ。それが昨日のことよ。

 ネエ、やっぱりアタシ、何か悪いことしていませんでした?こんな仕打ちをされることをしたのではないかしら。嗚呼、アタシの背後にある、街灯の無い、真っ暗で、整備された無個性な道。太陽の叫び声なんて聴こえやしない。これこそがアタシにとってのバケモノよ。空っぽの彼が唯一置いて行ったもの。コメカミが痛い。撃たれた銃痕からアタシの脳を、脊髄を、心臓を喰い潰す。熱に浮かされた様に思考フワフワして、何もしたくない。アタシは薄汚れた道の真ん中に膝をつく。御気に入りの真夜中色のスカアトが黒に溶ける。真白の花が地に落ちる。ムシムシする、嗚呼、嫌だ厭だ。部屋に響く、無機質で、残酷で、必死にアタシを誤魔化そうとする音。アタシがアタシを守るために付けた空調の音。ただ肩が震えるだけで、アタシを慰めてなんかくれない。

 陳腐でありきたりなつまらないお話はこれでお終い。アナタは、アタシ。でも、アナタはアタシみたいになっちゃいけない。憶えておいて、これは、アタシの遺言なのですから。大事に、だいじに、閉まっておいて。

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