第87話

「そうだ、奈美さん。これから海に行きましょう」


「海……、ですか?」


「はい。森下さんの一番のお気に入りの海岸です」


「彼の……」



「はい。そして僕がまきちゃんと繋がっている海です」


「森下さんの大好物だったゼーランド州のムール貝。堪能しましょう」



奈美さんは笑顔。


「はい。お願いします」



二人で車に乗り込む。



A4からA44、その後、N440に乗ってスキーベニンゲン。今はもう秋。ビーチの人出は少ない。


森下さんと来た、ビーチに面した海が一望できるレストランに入る。


「奈美さん。僕、ここで森下さんとムール貝食べたんです」


「身が大きいムール貝。香味野菜と少量の水だけで蒸し、ワインは入れない。伝統的なオランダ料理です」


「奈美さん、驚かないでくださいね」


「何ですか?」


「バケツ一杯ほどのムール貝が来ますよ」


「僕は運転があるから飲まないけど、奈美さん、どうします?」


「お昼からお酒はちょっと……」


「わかりました。トニックウォーターにでもしましょう」


「はい」



森下さんと見た通り、バケツ一杯の形容が大げさではない量のムール貝がくる。


「すごい量ですね!」


「はい。僕も最初はびっくりしました」



「森下さんに教えてもらったおいしい食べ方教えますね」


「まず、一つ目のムール貝をフォークで食べます、そのムール貝の殻で、二つ目以降のムール貝の身を挟んで食べるんです」


「おいしいです! ぷりぷりしてる」


「食べきれませんが、頑張りましょう」


二人微笑む。



「少し海岸を散歩しましょうか?」


北海。秋のそよ風が心地いい。



「私、真由美さんに南房に連れて行ってもらったことがあるんです」


「その時、昼間からビールを開けて……」


「彼のこと、どれだけ好きか、腹の底まで話したと思います」


「まきちゃんから聞きましたよ」



奈美さんは海を見つめる。



「そう。私は彼を愛していたつもりなのに、全て話すと、それが愛ではなく、好き? だけみたいな感情で自分が動いているんだと悟りました。真由美さんのおかげです」


「彼女、愛というものを教えてくれました」


「愛って静かに降り注ぐんです。努力と献身です」



「僕もまきちゃんと海を見て教えてもらいました」


「愛って永遠です」


「まきちゃんとの出会いから、徐々に愛が降り注いできて、知らず知らずのうちに僕に積もって、ある時急に気づいたんです。あっ、これかって」


「愛って生きること、そして配ることです」



二人しばらく沈黙し海岸を散歩する。それぞれの思いのままに。



「さて、ハーグまで来ましたから、マドローダムとエッシャー美術館に寄りましょうか」


「はあ? エッシャーは分かるんですが、マドローダムって?」


「オランダの観光名所などを25分の1の大きさに縮小した、ミニチュアのオランダ国紹介タウンです」


「わあ、面白そう」


「じゃあ、行きましょうか」


二人でゆっくり車に乗り込む。


奈美さんは、なんだか満足げ。森下さんが見た海を堪能できたからかもしれない。そしてまきちゃんの言葉が生きている海。来てよかった。



ーーーーー



マドローダム、エッシャー美術館を背にアムスへ向かう。



「マドローダム、素敵でしたね。おとぎ話を見て来たようです」


「1時間半くらい、少し早足でしたが楽しかったですね」


「精緻な建造物。オランダの歴史にも触れることができて嬉しいです」



「あと、エッシャーの版画、すごいですね。無限を有限の中に閉じ込める。しかも版画で」


「僕も感動します。だまし絵、すごい技術です。数学者も建築家も脱帽です。20世紀の奇想の天才ですね」



「ああ、面白かった。加藤さんといるとなんでも面白い」


「本当にありがとうございます」



「いえいえ。奈美さんのもともとのこころが喜んでいるんです」


「僕じゃない。森下さんのおかげです」


「あっと、まきちゃんからメールです」



まさ君へ


『大ニュースよ』


『森下さんがオランダで盗まれたという書類、出て来たの』


『渡辺さんから送られて来た。消印は神田』


『渡辺さんの住所は書かれていない。ただメモ書きが入っていたの』


『”誰にも見せていません 渡辺” それだけ』


『森下さんはホッとしている』


『安心して。また、後でね』


真由美

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