第80話

「かとちゃん。プロジェクトのミーティングの時期だが来週末はどうだ? 水木金」


「所長、それはさすがに厳しいです。サンレモ、バルセロナにも飛ばなければならないし……」


「そこを何とかして、メールと電話連絡で済ますとかできないか?」


「分かりました……。なんとかしてみます」


「トリノにいる三上くんはO.K.、日本からくる二人も大丈夫なようだ」


「では、急いでレポートをまとめます」


7日間を予定していたレポートは4日間で、プレゼン資料は2日間、1週間くらい事務仕事だ。その後、ミーティングは3日間オフィスに缶詰状態。後、日本からのメンバーも含めた少しの観光、夜の飲み会。


今日から超勤も必要で、奈美さんには少し一人歩きをしてもらうことになる。




ーーーーー




シンゲルの花市場の近くのカフェで奈美さんと昼食。


奈美さんはオランダ郷土食のパッケネンとコーヒー。僕はハーリングとトニックウォーター。

ハーリングは、生のニシンを軽く塩漬けし、発酵させたものを刻んだ玉ねぎなどと一緒にコッペパンに挟んで食べる。これもオランダ郷土食。美味しい。



「少し、仕事が忙しくなります。3日間ほど、朝昼晩、仕事に釘付けの日があります」


「私、その時2泊3日くらいでパリに行って来てもいいですか?」


パリ。麻友さんからも絵葉書が届いた街。今となっては、麻友さんのヨーロッパ観光も、実は彼女の持つ複数の案件の仕事の旅だったのかもしれないと推察できる。


「いいですよ、パリ。電車でも飛行機でも、あまり値段は変わりませんし」


「私、電車で行こうかと思って」


「3時間半くらいですかね?」


「そうです」


「また、どうしてパリへ?」


「アムスでの絵画もたくさん見られたんですが、なんだかオルセーやルーブルにも行きたくなって」

「元美術部の血が騒ぐというか」


「調べて見たら電車でわりとすぐ行けるんで、もし行けたらと思っていたんです」


「どちらの美術館も、到底一日では回りきれない規模ですよ。中で迷いますし」


「はい。そうみたいですね」


「僕もルーブルに2度ほど行きましたが、どこに何があったか・・・」

「モナリザとミロのビーナス、ハムラビ法典だけはちゃんと見ましたけど」


奈美さんが微笑む。


「何を優先的に見るか、どのように回るかをじっくり下調べしておくべきですよ」

「人混みは、夏に比べて少なくなって来たとは思いますが」


「そうですね。下調べをしておきます」


「美術館もいいですが、パリに行ったらベルサイユ宮殿は絶対お勧めです」

「パリから電車と徒歩で1時間くらい」


「ツアーもありますが、1万5千円くらいかかるみたいです」


「ベルサイユ宮殿ですか……」


「17世紀半ばに太陽王と呼ばれたルイ14世が増築を繰り返し作り上げたのがヴェルサイユ宮殿。ルイ16世の時代まで国王の居城として使用されていました」


「フランスの歴史を大きく変えたフランス革命の舞台でもあり、マリー・アントワネットという美しき悲劇の女王を作り出した場所でもあります。お勧めですよ」


「そうですね。スケジュール考えて見ます。ツアーじゃなく、一人歩きして見ます」


「安くていいホテルを紹介してあげますよ。パリでは、高級ホテルでは数万円、そしてワクワクして窓を開けると隣のビルの壁だった、みたいな珍道中もありますから」


「あと、パレ・ロワイアル付近にあるラーメン屋さん。僕も食べましたが絶品でした。まるで、日本の超人気店の味。どちらかの日の昼食にでも行ってみたらいいかもしれません」


「ありがとうございます!」



奈美さんは本当に明るくなった。何ていうのだろう、来た時とは違うオーラみたいなものが輝いている。これが本来の彼女の姿なんだろう。



「奈美さん、こちらへ来てから森下さんと連絡していませんよね?」


「はい」


「手紙もいいですし、FAXがあれば連絡してみたらどうですか?」


「そうですね。昼食を終えたら、テラスで手紙を書いてみます」


「きっと喜びますよ、森下さん」



「さて、僕は仕事に戻ります」


「今晩は、二夜連続ですがコンサートですね。コンセルトヘボウで」


「超勤してくるので、7時頃家で落ち合いましょう」



「はい。すごく楽しみです。ラフマニノフのピアノコンチェルト第2番とストラビンスキー火の鳥。すごい楽しみな組み合わせですね」


「はい。僕も楽しみです」



ーーーーー



まきちゃんへ、


『奈美さん、本当に明るくなった。まだ日本に戻るには腑に落ちないところもあるだろうから、もう少しの間アテンドするね』


『まきちゃんは健康面とか大丈夫?』


『何かあったら、すぐ連絡してね』


雅彦



まさ君へ、


『ハイ、まさ君』


『まさ君も、ずいぶん成長して愛を配る人になったんじゃない?』


『今のまさ君は、奈美さんの為だけじゃなく、私と森下さんとの為にもなるの。感謝してるよ』


『森下さんのところは、最近行ってないけど、相変わらず難しい科学論文みたいの読んでるんじゃないかな? でも、大事な秘密を私に打ち明けてくれたし、心が柔らかくなって来てる』


『森下さんも変わって来たのよ』


『今の境遇の、自分自身を愛せるように。周りが皆、頑張っているんだもん』


『人は皆、自分のすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければならないの。それから、愛を配れるようになるの』


真由美

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