第76話

「奈美さん、お昼の電話での話ですけど、確かに同じ筆跡なんですね」


「はい。役所からいただいてくる書類取得のためのメモで、何度も見直しました。女の子が書く独特な斜め字体、記憶に残っているんです」


「まきちゃんの勘通り、麻友さんで繋がって来ましたね。森下さんと僕」


「そうですね」



「まず、夕食何にしましょうか? まきちゃんにさっき、肉ばかり食べるとダメよ、と言われたんです」


奈美さんは微笑む。


「確かに。外食は肉がメインになりそうですものね。加藤さん、野菜も取らないとダメですよ」

「ホームステイ先の野菜類の煮込み、豆類、とてもおいしかったですよ」


「ここでは看板メニューの牛フィレ肉にしましょう」

「いいですか?」


「はい」


「焼き加減は?」


「ミディアムで」


「Ruth, ossenhaas, alstublieft.」

(牛のフィレ肉お願いします)


「How would you like your steak cooked?」

(焼き加減はどうします?)


「Medium please.」


「奈美さん、ワインはこの前のと同じのでいいですかね?」


「はい」


「Ruth, She’ll take a Cabernet Sauvignon, and I’ll take a Chablis please.」




僕は鞄から、B5ノートとボールペンを取り出した。


「まず、真ん中に森下さんを置きます。そしてその右に僕。これをつないだ線の途中で、矢印で麻友さんを書き込みます」


「森下さんの下に、日本料理店の渡辺さんを置きます。それを線でつなぎます。そして、僕も渡辺さんに斜めの点線でつなぎます。彼女のアムス最後の日に一緒に飲みましたから」


「僕の下に、美咲さんを置きます。そしてつなぎます」


「一応、これが簡単な関連図です」


「森下さんと美咲さんの接点は今の所見つかりません」


「奈美さん、何か森下さんから美咲さんらしき人との関係の情報はありますか?」



「渡辺さんの存在すら私に話さなかったのですから、美咲さん? という名前など出て来ていません。その他の女性との関わりはわかりませんが・・・」


「名前は偽名の可能性もありますから、記憶をたどって下さい。推察でも構いません」



「さあ……。すぐには出て来ません」



「僕は美咲さんとは、テムズ川沿いで一度会ったきりです」


「でも、彼女は僕の住所と名前を知っていた。絵葉書が不定期に来ますし」


「僕の住所を知っているのは、オフィスの所長、森下さんを含めた会社の人、あと麻友さんだけです」



奈美さんは難しそうな顔をする。


「彼は、他人に加藤さんの個人情報を流すようなことはしないはず。会社も然り。なんだか、私には麻友さんと美咲さんとに繋がりがあるように感じます」


「なるほど。その線はありますね。僕とイギリスで同じ日に出会った、絵葉書を送ってくるという共通の面からもありえないことではないですね。麻友さんには僕の住所氏名を教えましたし」


「まきちゃんの言う、仕事帰りに寄る場所なども含めた僕の情報が筒抜け、何かの組織、情報網の中に麻友さんと美咲さんがいると言う線も浮かんで来ますね」


「住所氏名はともかく、仕事の帰りに立ち寄る場所、時間帯などは、かなり高いレベルのプライベートなものですから、僕にごく親しい仕事関係で出入りしているところから? も否定はできませんが……」


「とにかく、森下さんが書類を盗まれた事辺りから、今のような事態になっています」


「まずは、森下さんと美咲さんの接点があるかないかが、とても重要なポイントになりそうですね」


奈美さんは頷く。



「明日森下さんに、電話連絡することはできます?」


「療養所は公衆電話だけですからちょっと……」


「まきちゃんに聞いてもらいましょう。まきちゃんの方が美咲さんのことを知ってますし。僕から連絡しておきます」


「はい」



「さて、食べましょうか」


奈美さんは上品な手つきでステーキをカットする。



「柔らかくて美味しい! そしてジューシーですね」


「でしょ。Ruthは特別な飼料で育てられている牛のフィレ肉だけを選んで仕入れているんです」

「焼き加減も上手です」


「こんなの初めてです」


「日本にもたくさん銘柄牛だったり、りんごだけで育てられている牛の肉など、美味しいものはたくさんありますよ。ただ、値段が値段ですけれど」


「ここは、この味でこのお値段。信じられない」


「フリッツはかなり多めだから、残しても大丈夫ですよ」


「はい。こんなに山盛り、三分の一も食べられません」


二人で微笑んだ。



「奈美さん。花市場を見に行きましょうか」


「これから? ですか?」


「いいえ、明日の早朝です。朝6時頃」

「世界最大の花市場です」


「楽しそうですね」


「はい。百花爛漫です」


「加藤さん、お花、好きなんですか?」


「はい。学生時代植物同好会に顔を出していました」


「初めは野山に自然に咲く花が可愛くて好きだったんです」

「八ヶ岳に一葉蘭を探しに行ったりもしてました」


「でも、社会人になってからは、園芸品種も好きになって、今ではもう夢中です」


「いいですね。私、お花のことよく知らないけど大好きですよ」


「花と一緒にラテン語の属名や、時に種小名を覚えないと、和名はもちろん、英名だけでは世界では通用しないんです」


「そうですよね」


「例えばカーネーション」

「米国やヨーロッパの業者さん達には通じますけど、時にイギリスではピンク、ここオランダではアンヤー、フランス語ではウイエです」


「世界では、6500もの言語がありますから、共通した名前が必要です。それがラテン語の植物名、学名です」


「リンネ、とかが付けた名前ですよね?」


「よくご存知で」


「カーネーション、日本でいう撫子は、Dianthusと言います。Diaは神、anthusは花という意味です」


「神の花。素敵な名前です」


「すごいすごい。加藤さんどれだけ覚えているんですか?」


「500属くらいですかね? 間違えずすんなり出てくるのは。1000属を目指しています」


「例えば、カウンターの花瓶にあるガーベラを見ると、キク科ガーベラ属、属名はそのままカーベラ。原産地はアフリカ、熱帯アジア。花言葉は、希望、常に前進、と連ねて覚えます」


「面白そうですけど、かなりの記憶力が必要ですね」



「ゴッホのひまわり。ひまわりはキク科ヘリアンサス属、原産地は北アメリカ、花言葉は、あなただけを見つめる、です」


「僕はまきちゃん、奈美さんは森下さんのように」

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