第68話

朝一番で花市場へ。彩り鮮やかな花達。

花色に、その限りはない。無限の組み合わせの彩り。


また一つ、心にぬり絵の色が必要だ。奈美さんのための。



どのようにアテンドすれば良いのだろう?


人生の先輩、Ruthは言っていた。


「As far as she is concerned, she can do everything.」

(彼女なら、自分の思った事すべてができるはずよ)



しかし、過去に苦しみ、今に悩み、将来に迷っている彼女……。


異国の街の空気を感じ、僕と話をするだけで少しは物事は前に進むだろうか?



彼女が選んだのはどんな道かはまだ分からないけど、他の人には歩めない、自分だけしか歩めない、二度とやり直しのきかない道なんだろう。


自分の為ではなく、森下さんを愛するがゆえ、彼のために歩く道。




神様は、その人が背負う事のできる分しか重荷を与えないという。


奈美さんの重荷は重すぎるかもしれないが、彼女はその重みに耐えられるから重荷を受け取ることになったのだろう。




「ただいま帰りました」


「おう、かとちゃん、戻ってきたか」



所長に森下さんの彼女が近々来る事、そしてその理由を伝えた。



「森下君の彼女か……」



所長は難しい顔をしたあと、


「寝泊まりはかとちゃんのところ、日中や出張時にはうちの家内とおしゃべりでもさせようか?」


「えっ! そんな、大丈夫ですか?」



僕は、所長が森下さんの彼女が来ることを、嫌って受け止めると予想していた。予想外の所長のリアクションだ。



「大丈夫、大丈夫。家内も日中基本的に暇で子供の送り迎えくらいしか用はない。話し相手ができると嬉しがる」


「かとちゃんの仕事の妨げになっては困るからな」



「山から遠ざかれば、その本当の姿を見ることができる」


「恋人にしてもこれと同じだ」



「かとちゃんは、彼女とお互い遠くから見ていて、真の姿を見つめ合い、誠実な付き合いをしているように思う。大丈夫」


「奈美さんは、近くの物事しか見えない、少し気の短いところがあると森下君からは聞いていた」

「足下のぬかるみを気に病む。明るいはずの明日を見られないんだ」



「こちらに来るのは、自分と森下君の関係、その距離を見つめ直すいい機会にもなるだろう」



所長は険しい顔をして話す。


「いいか、毎度のこと強く念を押しておく」


「深入りだけはするなよ。深入りの意味は、森下君と直接にその話に関わるなと言う事だ」

「かとちゃんの彼女や、奈美さんとだったら構わない」


「森下君には何か不思議な事が起こったんだ……、正直俺にも、分からない……」

「とにかく、彼とは直接話すな、メール、書面などコンタクトするな。これが絶対の約束だ」

「日本で森下君に会わせたのが最後とは言わんが、そう思っていてくれ」


「とにかく、奈美さんが幸せな気持ちにならなければ、今の森下君を幸せにできないことは確かだ」



所長は眉をしかめて、


「もう、以前の様な彼には戻れないが……」


「彼の足跡が正当化できる、数多くの業績がある」

「これらは、永久に残る、彼の業績だ」


所長は僕の目の前に、森下さんの学術論文業績、特許業績が束ねられているA4のバインダーを置いた。10ページほど。タイトルは通し番号で84まで。単純に言えば、84報の業績だ。全て英文。すごい。


「森下君の8年間の軌跡だ。誰も真似できん」


「すごいですね」


「ああ、すごい。だが、85報目で……」


所長は口をつぐんだ。


そのあとも、何か言いたげであったが、黙ってしまった。



僕を日本出張で森下さんに会わせた。そして、奈美さんがオランダに来るのを快諾した。


所長は全て、起こるべくして起きた流れと受け止めている。



ーーーーー



まきちゃんへ


『僕の役割が何となく分かってきたよ。まきちゃん、そして所長や所長の奥さん。下宿先の大家さん、そしてRuthも一緒だから力強い』


『周りの皆が少しづつ奈美さんに愛を注げば、彼女、気付くと思う』


『奈美さん、自分の人生を愛さなきゃ』


『一番難しく、大切なこと。自分自身の人生を愛すること。苦しい時でさえも愛すること』


『愛を持つかけがえのない人生が、その人の生きた証のすべてだから。そして、それを人に与えられるから。森下さんに』


雅彦



まさ君へ


『彼女には繰り返し伝えたの。”愛が降るのを静かに祈ること。急いでしまって傷つかない”』


真由美

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る