第64話
日曜の朝。少しけだるい。
軽く朝食を済ませ、久しぶりに本を買いに出かける。
昔は、有名ホテルの地下一階に日本書籍店があったのだが、今は日本語の本は古本屋に探しに行くしかない。
日本語の本、展覧会のカタログなどを見つけると、嬉しくなる。美術系の古本が多いかな。
ヨーロッパではロンドン、パリそして、デュッセルドルフ位しか日本書籍店は見かけない。他にもあるかもしれないが・・・
今日は、井上靖の額田女王の文庫本の古本を見つけ、Vondelpark(フォンデル公園)で読書。
初めてではなく読み返し。額田王は幾つか小説、書籍があるが、僕は井上靖さんのが好み。
公園でのんびりする。
「Een pakje frieten met mayonaise, Alstublieft.」
(フリッツ、マヨネーズ付きでお願いします。)
「En, Ik wil groentensoep. Alstublieft.」
(あと、野菜スープください。)
昼食はアムステルダム市立近代美術館近くのレストランで軽食。
ついでに、美術館に入り絵画鑑賞。
収蔵品は、21世紀初頭までの近現代美術作品中心で、ゴッホ、カンディンスキー、キルヒナー、シャガール、マティス、デュマスなどの絵画やアートが見られる。
アムスでは、ここが一番好きな美術館。
実はオランダは美術館の数で、世界一である。
そしてオランダ国立美術館は、ヨーロッパで最初の本格的な美術館として建てられたもの。
市立近代美術館は、行きつけのコンセルトへボウ、そしてゴッホ美術館、オランダ国立美術館などのすぐ近く。よく、美術館付近に車を止め、コンセルトへボウの演奏会を聴きに行く。
今日は、ネーデルラント・フィルハーモニー管弦楽団でショスタコーヴィチとチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトがある。20時15分から。空席あり。すぐに購入。
演奏会の後はRuthの店。スペインからのRuthへのお土産と、土産話もある。
これで今夜の予定が埋まる。
世の中病んでいる人、重荷を背負っている人達が大勢いるなか、娯楽に供するのは如何にと思うが、こういう自由と平和を保つ事が何より大切なものだと思う。
ヨーロッパは、数々の戦いの中、領土を攻め、攻められ、守り守られ、幾度となく国境が書き換えられてきた。今でさえ、世界では、その塗り絵の白地図が変化している。
ゆっくりと今、娯楽に供せるのは、血も流した先人達のおかげであることに感謝。心に刻む。
フォンデル公園を離れ、プリンセングラハト通りの近くに車を止めた。
アンネ・フランクの家。日本からのお客さんをよくここにアテンドする。
戦争の悲惨さを体験できる貴重な場所。
アンネは、ユダヤ人迫害を恐れ、ドイツから一家とともにオランダに移住した。
しばらくは比較的安穏な日々が続いたが、中立を宣言していたにも関わらず、オランダにドイツ軍が侵攻してきた。
たった四日後にはオランダ全域を占領し、国内ではユダヤ人に対する圧力が強まった……。
今さっき、車で走ってきたラートハイス通り、ウエストマルクトを戦車が通っていたなんて信じられない。アンネの家の数々の写真を見て体に戦慄が走る。
Peace cannot be kept by force. It can only be achieved by understanding.
(平和は力では保たれない。平和はただ分かりあうことで、達成できる)
異なる民族、異なる文化、異なる考え方。それらを互いに討論、議論し妥協点をみつけ、バランスを保つ事が平和だと思う。
見つめあって対立や争いをするのではなく、それぞれの未来の方向を見つめて話し合う、妥協する。それぞれの国は、それぞれの国のままでいい。
ーーーーー
コンセルトへボウ、演奏会終了 22:20。
ショスタコビッチのヴァイオリンコンチェルトも良かったが、チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトは、それ以上に良い演奏だった。
チャイコフスキーは完成した楽譜をパトロンのメック夫人に送ったが、夫人からは賞賛の声を聞くことはできなかったという。
当時ロシアで最も偉大なヴァイオリニストのペテルブルク音楽院教授アウアーは、彼から手渡された楽譜を読んで、演奏不可能として初演を拒絶した。
今でこそ人気の高い、チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト。初演まで4年もの月日を費やした。天才達も、物事は一筋縄にはいかなかったんだ。
Ruthの店に、スペイン土産と土産話を持っていく。
「まきちゃん、おはよう」
「まさ君、こんばんは」
「あのね、私いま裸なの」
「朝なのに?」
「うん」
「どうする?」
「返事に困るよ、相変わらずの小悪魔さん」
「朝のシャワーよ。そのままベッドに来たの」
「お父さんに会ったら困るんじゃないの?」
「そのときはそのときなの」
「これまでお世話になりました。このまま、お嫁にいきます、かな?」
二人で笑う。
「Lekker!」
(美味しい!)
「急にどうしたの?」
「うんっ、Ruthが小振りのドーバーソウルのフルーツソースがけを作ってくれたんだ。舌平目、最高の味だね」
「スペインのお土産を買ってきてあげたから、サービスで作ってくれた。とても美味しいんだ」
「ワインは相変わらずシャブリ?」
「うん。まきちゃんの姿とぬくもりを思い出すから」
まきちゃんは少し照れて優しい声で、
「前にも言ったの。まさ君の声はハートに響き、確かめ合うとき、こころに響くの」
「ハートもこころもまさ君のもの。けど、こころは少し寂しいなー」
「あのね、人が天からハートとこころを授かっているのは愛するためなの」
「まさ君に、2つとも包んでもらうの」
「まさ君のを、2つとも包んであげるの」
「あっ!お父さんだ」
「お嫁に行きますって言わなきゃ」
まきちゃんは笑う。
「お嫁に行くかどうかはともかく、早く着替えないと風邪ひくよ」
「大丈夫。まさ君とデートした時の服、もう着ちゃったから」
「思い出すでしょ、青山で二人でワインくゆらせた時の」
「うん、覚えてる」
「お互いに自分自身を成長させ、感謝しあうことも話したね」
「そう、もし人から、なぜまさ君を愛しているの? と聞かれたら、まさ君がまさ君であるから。私が私であるから。と答える以外、何もないの」
「愛は信頼なの」
「そう、今日聞いてきたコンサート。チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトすごくよかったよ」
「まきちゃんを、ヴァイオリンに例えるなら、愛がその弓で、その音色(ねいろ)が信頼かな」
「うん」
「いろいろあるけど、まきちゃんの元では落ち着けるよ」
一つメール送るね、
『Ombra mai fù di vegetabile,
cara ed amabile, soave più』
『こんな木陰は今までなかった 緑の木陰
親しく、そして愛らしい、やさしい木陰』
「ヘンデルのオンブラ・マイ・フ。世界で初めて電波に乗せて放送された音楽」
「言うまでもないでしょ。僕にとって、この木陰とはまきちゃんのこと」
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