第63話

夜のアムスを空から眺める。宝石箱を散りばめた様な素敵な街。


そう、アムステルダムはダイアモンドの街とも言われる。


ダイアモンドは、はるか地下200kmの高圧、高温のマグマの中で結晶化する。世界で一番古いと言われるダイアモンドは45億年前のもの。太陽、地球の誕生が46億年前と言われているから、地球が生まれて間もない頃から生成されている。


地球の地殻変動などの要因で、地球表面や土地の低い部分にそれは姿を現した。


ダイアモンドで、人が永遠の愛を語ることもうなずける。奇跡の宝石だ。



飛行機は地上管制官からの着陸待ち指示のため、しばらくアムステルダム上空を旋回する。


22時30分。


「I’m home.」


スキポール空港へ、ただいまの挨拶。人もまばらだ。


ロングタイムパーキングでAudiに乗り込み、A4高速道、アムステルダムへ。



家に1枚絵はがきが届いている。絵はがきは読まずに取りおく。まきちゃんの言う事をきちんと聞く。肩の荷が軽い。



「もしもし、まきちゃん」


「まさ君、こんばんは。いつもおかしいよね。朝なのにこんばんはなの」


「うん。そっちはおはよう」



「まきちゃん、どうなの、奈美さんとの話」


「それがね、奈美さんから聞いたの」

「森下さんは子供の頃も、学生時代も、社会人になってからも、いわゆる”強く叱られる”という事を経験していないらしいの」


「それと、今の状況と何の関係があるの?」



「褒められる、持ち上げられると、自然と気分が高揚してしまうらしいの。高揚し過ぎて誰か注意しても、その注意を受け取り、落ち着く術(すべ)が欠けていたの。でも、それは決して病気ではないの。彼の性格、昔からの」


「確かに森下さん。ワイルドでいつも大声、明るかったよ。でも、どうして急にそんな話が?」


「それがね、世間でその様な人は、いわゆる躁状態とも受け取られるのよ。彼が今いるのは精神科。病名がね、躁と鬱からくる躁鬱病。仕方ないよね病名付くの。その筋の病院にいるんだから……」


「ハイテンションで風変わりな人。森下さん、第三者によってはそう見られていたの。また、そういう風に流布されたの」

「今は療養所で気が沈んでいて鬱状態。辻褄合うでしょ病名が。かわいそうに・・・」


「誰にでもテンションの高い低いはあるけど、彼の場合は仕事の舞台が海外だったから、余計見る人は見てたのよ。世の中、誰にでも好かれるという人はいないのよ」


「森下さんの体の痺れの方は?」


「相変わらずあるみたい。頭部がひきつるような感覚もあるらしくて」


「一体なんだろう?」


「お医者さんも、その点に関しては分からないみたい。パーキソニズムの疑い? みたいなことは話していたらしいけど。薬は服用している」


「なるほど、パーキソニズムか……」

「でもそれは、森下さんの一時帰国の時の、とある居酒屋さんから始まったんだよね」


「うん」


「僕は、そこがおかしいんじゃないかと思う。ただ、もちろん普通の居酒屋さんが何か森下さんへ、例えば痺れ薬みたいの入れるわけは絶対ないと思うけど……、スパイのドラマじゃあるわけ訳ないし……」


「でもねまさ君、それも有りえないとは、今は全否定しないの。だって、そのあとの病院での短期入院中でも、点滴で痺れの症状がますます酷くなったことがあったの。それもおかしいの」


「でも、その辺の物事の真実の解明は僕らの手に届かないね」


「そう、届かない……」


「とにかく、他人から見た森下さんは、いわゆる快活で即断・即決・即行動の天才肌でカリスマ性を持った人だった。でも、躁状態を発症していた病人だった。そんな風に、周りではもうすでに全て過去形なの」


「何となく分かるな、そういう面倒な人を排除したい人達がいる。何らかの情報が記されているバインダーも盗まれてしまったし」


「そう、それ。とても大事よ。森下さんはそのこと奈美さんに話し始めたみたいよ。バインダーの件のこと、あと、日本料理屋にいた渡辺さんとのこと」



ーーーーー



僕は久しぶりに家でジュネバーを飲む。


何だろう? 胸がざわめく。

まきちゃんが少し心配だ。森下さんの件に深入りしている。僕には迷惑かけずに。



トイレに起きてきた大家さんが尋ねる。


「What is on your mind, Masa?」

(どうしたんだい?)


僕は第三者にこの話はしたくはなかったが、一人で抱え込むのも良くはない。


「Come on. No worry I promise to keep your secret.」

(さあ、心配しないで。秘密は守るよ)


大家さんが言う。



ひと通り、さっきのまきちゃんとの電話での話を話した。


大家さんは森下さんのを知らない。



「That is a very difficult problem.」

(それは難しい問題だね)


大家さんも、眉をしかめる。


ただ、森下さんを救うのか、現状の原因を究明するのかは、似ている様で全然異なること。

大家さんは、森下さんを救うことに専念した方が良いと言う。



部屋に帰り、寝付けのクラシック音楽を探す。


交響組曲「シェヘラザード」。リムスキー・コルサコフ作曲。


「これにしよう」


昨日、カタルーニャ音楽堂、アンコールで聞いた聞いたスペイン奇想曲の作曲者である。



千夜一夜物語の語り手、シェヘラザード妃。


物語は、妻の不貞を見て女性不信となったシャフリヤール王が、国の若い処女の女性と一夜を過ごしては殺していたことに始まる。


これを止めさせるため、大臣の娘シェヘラザードが王のもとへ行くことを志願。

シェヘラザードは毎夜、命がけで王に興味深い物語を語る。


シェヘラザードの言葉を象徴する美しい独奏ヴァイオリンの主題が、全楽章を通じ、時に優しく、時に哀しく、そして、時に力強く奏される。


王は続きの話を聞きたいがために二百数十夜にわたってシェヘラザード妃を生かし続け、ついにこの国の女性たちを殺すのを止めさせたという物語。


勇気ある人間は自分自身のことをいちばん最後に考える。



まきちゃんへ


『もう寝るよ。おやすみなさい、まきちゃん』

 

『そう、まきちゃん。どうしてそんなに誰かの為に一生懸命生きていけるの?』



5分くらいしてから、メールの返信。



まさ君へ


『たやすい事なの』


『愛すればいいの』


真由美



シェヘラザード妃の旋律とまきちゃんの姿が、ゆっくり閉じたまぶたに映る。

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