第58話
時計の針は深夜1時を指している。
一通り、渡辺さんの彼との不倫話や思い出話しを聞いた。話は尽きるわけがない。
まきちゃんが話した通り、嘘の話もあっただろう。でも、美しい嘘なら聞き流せる。聞き辛い嘘はなかった。
「そろそろ帰りましょうか、渡辺さん」
「はい。加藤さんでよかった。これからの自分が生きていく励みになります」
「I was here. 本当に、加藤さんでよかった」
肝心の森下さんの話。重要な情報が手に入った。
森下さんがある日、日本料理店で食事をしていてトイレに席を立った際に置き引きにあったらしい。盗まれたものは書類の挟んであるバインダー。
「森下さん、警察を呼んで被害届も書いたんです。警察しか見られませんが、防犯カメラにはアジア系の人の人影が写っていたらしくて。でも人物特定に及ばずでした」
「私たちスタッフも当然のこと全面協力いたしましたが、置き引きはほとんど捕まらない犯罪だと警察に言われて……」
「その書類はなんだったんですかね?」
「森下さんは”とても大切なもの”、としか言わなかったんです。それ以外の表現をしませんでした。金銭に関わるものでもないそうで」
「森下さん、諦めませんでしたか? 海外で置き引きに会うと、ほぼ犯人が捕まることはないですよ。森下さん自身が、よく知っていると思うのですが」
「書類のバックアップはあったらしいのですが、やはりそれがどうしても必要なものだったらしくて。分かるところまで独自に捜査したいというので、私と、不倫していた彼とで協力していくことになりました。お店には秘密で」
「お客さんの、洗い出しみたいなものもですか?」
「はい。もちろんそれが中心です。常連さんである可能性もあると推察されましたし」
「ただ、お客さんの個人情報に関わる問題ですから、店の休日に合わせて3人で調べたりもして……」
結びついた。森下さんと渡辺さん、そして不倫していた彼。
ーーーーー
「まきちゃん。重要な情報でしょ」
「でも、それと今、療養所で養生しなければいけない森下さんの置かれている状況とは直接結びつかないよね」
「まさ君、その女の人の話が本当だったら、森下さん、何か弱みを捕まれたのかもしれない」
「えっ? 渡辺さんたちに弱みを……?」
「違う違う。置き引きした人からよ。人たち、組織かもしれないし」
なんだか、さわがしい風が吹きそうで僕の心が慌ててる。
「まきちゃん」
「なあに?」
「ありがとう……」
「うん。まさ君を守るから安心してね」
「いい、今日の話も、まさ君には全く関係のない話なの。まずは忘れて。こっちで調べる、奈美さんと」
「深入りしないでね」
ーーーーー
オフィスの机一杯に白地図を広げる。
訪れた国、州そして地方など、仕事の内容別に細分し、それぞれの色をまず、眼で塗っていく。
「おはよう、かとちゃん」
「おはようございます」
「今日の夕方からワーへニンヘンに行ってきます」
「よろしく頼むよ。Shibにもよろしく伝えてくれ」
「はい」
今晩はワーへニンヘンに宿泊する。
出張や休暇のおかげで、仕事が山のように残っている。
コンサルタントのShibの力が必要だ。
「所長、日本料理店の渡辺さんが店を辞めるみたいです」
「そうか……、寂しくなるな」
昨日、彼女と飲んだことは、話のきっかけにすることを止めた。してはいけない、そんな空気が流れている。
所長は、森下さんと彼女の関係を知ってか知らぬかのように振る舞う。
「かとちゃん。深入りするなよ」
まきちゃんと同じ事を言っている……。
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