第57話
「海外勤務に憧れていたんです」
「一生懸命勉強して、憧れの海外に勤められて嬉しかった」
「初めは職場のみんなのおかげもあって、生き生きと頑張れた」
「ただ、彼と出会ってしまってから……」
「マイナス思考は良くないと思いますよ」
「出会った事、楽しかった事、物事プラスに考えなきゃいけないと思います」
僕は愛を配る様な素地ではない。言葉足らずだ。
なんだか彼女も似ている。愛を受け取ることはできても、配る事は下手そう。
「彼から誘われたんでしょ」
「そうです……」
何かに踏ん切りをつけた様。
「そうなんです。彼から誘いがあって。それで……」
「なのに、私たちの不倫がバレてからは、みんな、私が誘って彼を迷わせたって」
「責められたのは私……」
「こんな僕に何ができます?」
「先ほどお話ししたように、店に、御社の森下さんがよく来られていたんです」
「プライベートでも、よく、バーベキューをしたり、家族ぐるみで小旅行したり、私もその中に入って」
「彼の奥さんも、お子さんもですか?」
「はい」
「あの……、失礼ですが、森下さんと渡辺さんはどういう関係だったんですか?」
「二人静かに付き合っている、友人のような恋人」
「表面上だけの恋人同士を繕って、森下さんもそう振る舞っていてくれて」
「だから彼の奥さんが一緒でも……」
森下さんは、噓や偽りを演ずるような人ではない。頼まれてもそんなことしない。表面上の恋人役など演ずる訳がない。
なにより、レストランへ出入りしていたのだから、皆にもすぐ噓はばれてしまう。
「職場では不思議と、私と森下さんの事、距離を置いておつきあいをしているんだろうという風に取られて、遠くから微笑んで見守られていたんです」
「失礼ですが、森下さんは、浮気隠しに手を差し伸べる様な人ではないと思うんですが……」
「そうです。その通りです。けれど、それが……、態度で噓をついて頂いていたんです。お願いしたんです、いや森下さんにそうしていただくよう強いたのかもしれません」
僕は尋ねた、
「うまい言葉が見つかりませんが、その対価は?」
彼女は、目を伏せ、
「何もありませんでした……。森下さん、優しい、いえ、優しすぎる人でした」
森下さんを動かしたものは何だろう?
とにかくつながっている。森下さんと渡辺さん。
「ちょっと、トイレに……」 渡辺さんが席を立つ。
ーーーーー
まきちゃん
『まきちゃん、おはよう』
『森下さんと接点のある女の子がいたよ。日本食レストランの女の子とその不倫相手の彼』
『その女の子と、今飲んでる』
『電話するね』
雅彦
「まきちゃん、こんばんは、じゃなかった、おはよう」
「うん、おはよう、まさ君」
僕が一通り今現在の話をすると、まきちゃんからは少しきつめの声。
「言っているでしょ。不穏な事には関わらないの」
「だめよ、まさ君優しすぎるのよ。呆れちゃうよ、全く」
「その女の人、半分噓をついている可能性が高いわね」
「半分の噓?」
「女の勘なの」
「金輪際、その女の子とは関わらない事。自分を正当化するためにまさ君と会ってるんだと思う」
「でもね、ある意味良かったみたい。森下さんの名前が出てきたから」
「まさ君は浮気の「う」の字もできない人だから何も分からないだろうけど、世の中綺麗事だけじゃないの。その行為を正当化する甘い言葉、終焉を迎えても生まれる甘い虚言」
「万が一、森下さんが善かれ悪しかれ噓をついていたのだったら大変よ。不倫幇助でしょ。詐欺みたいなものよ。罪は軽くはないわ。」
「奈美さんはその話、何にも知らないはずよ。森下さん何も話してないから、そんなこと」
「僕は何をすればいいのかな?」
「何もしない、何も言わない。でも巻き込まれちゃったんでしょ、彼女に。噓か本当か分からないけど」
「うん……」
「変に約束事をしたり、不穏な方向に巻き込まれちゃだめよ」
「気をつけてね。女性が見せる弱みって、弱みを見せる強みなんだから」
「分かった。もう少し、彼女と飲んだら帰るね。森下さんの情報だけは絶対に欲しいから。今夜しかないから」
「うん、分かった。私も奈美さんに聞いてみるね。この話」
渡辺さんがトイレから戻り、またブラッディー・マリーを注文する。
僕はグラハムのポートワインに切り替え。ミネラルウォーターとエダム、ゴーダチーズと共に。
リコリスのような濃厚な香り。奥深く複雑な甘みが広がる滑らかでシルキーな味わい。
カウンター席、少し腰を据え直す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます