第55話
日本時間、深夜2時。
まきちゃんから電話が入る。
「もしもし、どうしたの? こんな深夜に」
「うん。心配事で寝られなくて」
まきちゃんの、少し疲れ気味の声。
「今日明日に、どうこうなることじゃないから早く寝ようね」
「うん。少し話を聞いて、まさ君のこと。そしたら寝るから」
「いいよ」
「まさ君、今どこ?」
「まだ北海の浜辺にいるよ」
「今現在の状況を話すね」
「わかった。どうなのかな? 僕の状況」
「まさ君のそれは、やはり人心掌握術をかけられてきているみたいね」
「何故なんだろう……?」
まきちゃんは、少し心配そうな口調で話す。
「人から好意を受けると、その好意に応えたくなる心理をくすぐられること。好意が繰り返し示され、拒絶できなくなる心理になるの」
「だから、メールじゃなくて絵はがき」
「そうじゃなくても、もともと、まさ君、優しいから簡単だし」
僕は尋ねた、
「友達感覚じゃないのかな?」
「あり得ない事じゃないけど、まさ君の絵はがき関連の話は、お友達のそれは違うと思うよ。二人ともアカの他人でしょ? なのに繰り返し行われる操り。一緒に飲んだりまでしているし」
「ありふれた状況から始められたの、出会いは何気なく、そして絵はがき」
「この”何気なく”、問題なの」
「麻友さんは、まさ君のブリストル帰りに必ず立ち寄るストーンヘッジで出会ってるし、美咲さんは、これもまさ君のお決まりのロンドン、テムズ川沿の散歩コースで出会ってるし」
「しかも、美咲さん、まさ君の住所も名前も知らなかったのよ。おかしいでしょ?」
「うん……」
「偶然もあるだろうけど、その後、悪い意味でまさ君の”気”を徐々に許させていっているの。少し深い話ができるレベルまで」
「まさ君から何かを聞き出す、手を差し伸べさせたくなる演出が数々、ゆっくりと施されていっているの」
そういえば、今、プライベートは麻友さんと美咲さんなら、簡単な悩み事の会話くらいはできそうな関係にまで来ている。仕事の話は、もちろんご法度だが……。
まきちゃんは話を続ける、
「森下さんも海外にいた頃、似た様な場面がいくつかあったみたい」
「面倒見がよく、まじめで優しい人が狙われやすいの。まさ君もそうだから」
「森下さんが? 狙われた?」
「うん。森下さんは、人心掌握術を施されていただけでなく、マインドコントロールもされていたかも……」
僕は尋ねる、
「マインドコントロールって、相手がそれを拒絶する事が困難な状況下において、ある考え方、行動に誘導する行為だよね。一般論としてだけど」
「そうなの」
「何故?」
「目的が分からないのよ」
「森下さん、研究畑育ちでしょ。何か過去の仕事に関係している事柄が問題らしいの。でも、話はそこまで。奈美さんも森下さん自身にも、まったく見当がつかないの」
「僕は事務畑育ちだからよくわからないけど……。なぜ森下さんと僕?」
「一緒だったからなの。海外で。森下さんの持っていた大切な何かを、まさ君も共有していると思われている? そんなことも考えられるの」
僕は呟いた、
「会社が日本出張で森下さんと会わせたくれたのも、その確認の意味なのかな……。でも、何もないよ、特段」
「とにかく想像の域を超えるね。僕には何もない、安心して。まきちゃんの言う事にもたれて、気をつけていくから」
「うん。そうして」
「まきちゃん、ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみ」
水平線と曇り空が同じ鉛色で彩られる。
車に乗り込む。海、La Mer。ラジオから流れてきた、ドビュッシーの交響詩「海」第二楽章、「波の戯れ」Jeux de vagues の旋律。ディズニーシーでも用いられている交響詩。
ドビュッシーはこの曲で、”音楽の本質は形式にあるのではなく、色とリズムを持った時間なのだ”、と語った。自由な音の戯れ。印象派音楽の第一人者。
まきちゃんと僕の愛の本質も同じ。形式にあるのではなく、色を持った愛の戯れ。リズムを持った時間の戯れ。
愛と時間の使い方は、そのままいのちの使い方になる。
「永遠を感じるよね」
「いのちを感じるよね」
二人で一緒に海を見たときの、まきちゃんの言葉を思い出す。
僕は、何かに巻き込まれている? 巻き込まれ始めている? のだろうか。
まきちゃんは、身をつくして僕のために動いている。
でも、危険なこと、行動する前に叩かれてしまうこともある。僕もまきちゃんも。
それでも行動するのが本当の勇気。
まきちゃんの勇気は与える愛。
「守るの、まさ君を守るの」
「与える愛は受ける愛と同じに幸せ」
僕の中で少しづつ、その言葉が輪郭を帯びてくる。
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