第54話

まさ君へ


『まさ君、少し分かったの』

『例の女の子達からのはがき、来たら読まないで取っておいて欲しいの』


『人心掌握術、というらしいの、彼女たちの行動』

『ビジネススキル、とかで用いられているらしいけど……』

『スパイとか工作員と言われる人も、持っているスキルらしいの、それ』


真由美



まきちゃんからのメール。


人心掌握術。知っている。人の気持ちをガッチリと掴んで離さないための術。セミナーで習ったことがある。


確かに、彼女たちは僕の心を掴み始めてはいる。


まずは深く考えず、まきちゃんたちの言うことに従っていこう。



今日は振替休日。


午後からデルフト焼きを見に行く。


デルフトまで、A4高速道で1時間ほど。



その前にお昼ご飯。


ラートハイス通り、西教会近くのBarに入る。


「I’ll have Cordon bleu en Fritz. And tonic water, please.」


シュニッツェル(豚肉チーズはさみ焼き)とフリッツ。いわゆる、チーズイン・トンカツとフライドポテト。



「さて、行こうか」、気合を入れる。


デルフトに向かう。



デルフト焼は、17世紀、オランダ東インド会社が輸入・販売した中国の陶磁器に憧れ、それを愛し、模倣したのが始まり。


そしてその後デルフト焼は、伊万里焼きから大きな影響を受ける。


伊万里焼きは日本で最初に作られた陶磁器。これも東インド会社によって西欧に輸出された。

無名職人の織りなした最高傑作、伊万里焼。日本はもとよりヨーロッパ、アジアの人達に最も愛され親しまれた。


デルフト焼きの青色に対する憧憬は、日本の古伊万里や柿右衛門の絵付けなど吸収しながら、デルフト焼独特の絵付け、デルフトブルーへと発展させていく。



「Hoeveel kost het?」

(いくらですか?)


土産用の花瓶、プレートなど安いものもあるが、おしなべて高価。


「Ik wil het graag kopen.」

(これ下さい)



小さなデルフトブルーの一輪挿しの花瓶を買った。なんだか嬉しい。日本の無名職人の魂が生き継がれている。


ゆっくりデルフトを散策。陶器を見ながらの贅沢な時間。



アメリカのマンハッタン島の南方面、ニューアムステルダムと呼ばれていた街が1664年ニューヨークと改名された頃。


そう、世界貿易の主導権がオランダからイギリスに移りはじめた頃、磁器市場も、イギリスが扱う中国磁器に奪われていった。


さらに18世紀前半には,ドイツのマイセン窯が始まり,そして18世紀後半には、伊万里焼は世界の表舞台からほとんど姿を消した。



日本では、かってヨーロッパ、世界中に広がって親しまれた伊万里焼を探し、故郷の日本に買い戻し、展示している美術館もある。


美術館の静けさの中、いにしえの世界でその役割を終え、ゆっくり休む伊万里焼きと僕らは会話ができる。


”おかえりなさい” ”ただいま” 


オランダと日本の経済・文化・芸術の交流。互いに深く愛し、愛されたセラミック(磁器)。



ーーーーー



A4ーA12経由でスキーベニンヘン海岸へ向かう。



少し雨模様。


でも大丈夫。まきちゃんからもらった折りたたみ傘がある。


雨や、世の災いから身と心を守るためにくれた傘。雨は一人だけには降らない。

常に持ち歩いている。


季節はずれの北海。空は曇り海は鉛色。どんよりとした空気は重い。


日も随分短くなってきた。



森下さんとここに来た……。


「バケツ一杯のムール貝が来るよ」


「二人笑顔で食した」



まきちゃんと南房で海を眺めた……。


「海、奇麗ね……」


海。つながっている。いろいろな想いや記憶。



「もしもし、まさ君」


「まきちゃん、こんばんわ。深夜でしょ? 日本」


「うん、大丈夫。今まで奈美さんと会ってたの」


「今、僕ね、森下さんと北海にサバ釣りに行く前に寄った、スキーベニンヘンの海岸にいるんだ」


「北海でサバ釣り? そう、森下さんね、その頃大きな研究成果をまとめ上げたらしいの。”特許になったらその凄さがわかる”、と奈美さんには言っていたらしいのよ」


「内容はもちろん極秘。森下さんは、自分へのご褒美にその釣りに出かけたそうよ。ついでに、まさ君も誘うことにして」


「自分へのご褒美?」

「その後、一時帰国したまま森下さんはオランダに帰ってこなかったけど……」


「そこよ、そこ……。何かあったの……」

「日本での森下さんの異変は、まだよく分からないけど帰国後の居酒屋辺りから始まる……。その間に何かが……」


「何だろうね?」


「何かな? まきちゃん、もう遅いから休んだほうがいいよ」


「うん。ありがとう。眠るね、おやすみ」


「おやすみ」



北海の水平線を眺める。


特許? 僕は当時事務方で仕事していたが、それほどインパクトのある特許は見受けられなかった。気になるKey Word、特許。


少し波だった自分の心が落ち着くまで見ていよう、鉛色の青。

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