第46話
「いろいろなことがあるかもしれないけど、物事ポジティブに考えて行きましょ。息がつまらないように」
「ポジティブシンキングは大切だよね。いつでも、どこでも」
「そして過ぎないようにだね。了解」
「第三者からの自分をいつも見つめていて。まさ君、海外では異邦人なんだから、特にね」
「うん」
「あのね、お昼だけど、エビ天丼のものすごく美味しい店があるの。どう? 行ってみる?」
「いいね。行こう」
まきちゃんの大好きな海岸を二人の記憶に焼き付け、車を市内方向に走らせた。
「今から行く店は超穴場よ。旅行ガイドにもどこにも載っていないの」
「漁師さんたちが直接陸揚げした海産物をお店に持ってきて、元漁師さんコックがそこで魚介類をさばき、ランチを食べさせる店なの。一般のお客さんもOKよ」
「聞くからに美味しそうだね」
「うん」
市内のバイパスを通りすぎて、左折して山林方向、内陸部に向かううねった狭い道を少し進むとその店があった。なかなか分かりにくい場所だ。
「ごめんください」
店には日曜日というのに客がいなかった。
「お客さんいないね」
「大丈夫よ。待ってて」
まきちゃんは、店の裏玄関に入り、調理場の近くに向かっていった。
「はい、いらっしゃい」
いかにも漁師さんぽい店主が挨拶に来た。
「店主さん元漁師の雰囲気あるでしょ」
「ああ、声も枯れているしね」
「エビ天丼二つお願いできますか?」
「あと、何かおすすめの品ありますか?」
「アワビと今日はアオリイカがあるよ。生きが下がるといけないんで、うんと安くしとくよ」
「じゃあ、それも、お願いします」
「はいよ」
「まさ君、美味しいね。こんな大きなエビが2匹、他の海産物の天ぷらも、どんぶりからこぼれ落ちてるよ」
「鮮度のいいエビがカラッと揚がっていて、すごい美味しい。食べた事ないよ、こんなすごいエビ天丼」
「ここ穴場でしょ。特別な塩の使い方がポイントなのかな?」
「色々な海鮮素材そのものの味が微妙な塩気でグッと引き締まって生きてくるね」
「でしょ。きれいな空気、新鮮な海の幸、漁師さんのまかない飯レストラン」
「アワビも絶品、アオリイカも甘くてシコシコ、上品な味」
「五つ星でしょ?」
「とにかく、最高の味だね。僕的には日本一のエビ天丼の店だ」
「ふふっ、そんなに気に入ってくれたの?」
「うん、すごく気に入った。僕は、日本の都道府県は大体仕事で回っていて、ご当地の美味しい海鮮物もいただいたりしてきたけど、ここのエビ天の味はすごいよ。滅多にお目にかかれない。ありがとう」
「そう、まさ君。この辺りにね、もう一つ穴場があるの」
「また食べ物?」
「ううん、違う」
「温泉よ。隠れ家の温泉」
「温泉?」
「そう。観光客はまず 99% 訪れない民家が営んでいる温泉。黒い色の天然温泉よ」
「そこも、情報誌やネットにも載っていなくて、地元の人でさえ知らない人もいるの」
「体の芯から温まる家族風呂温泉よ。どうする?」
「行こうか」
海鮮料理店を出る。玄関先のブーゲンビレアの花が優しく揺れている。花言葉は”あなたしか見えない”。
まきちゃんの髪もゆれている。
温泉は料理店から車で10分位しかかからない、古びた民家のお風呂場のこと。
一般家庭のお風呂の3倍くらいの湯船が二箇所ある。
看板もなく、商いとしてやっている訳でもない。お年寄り夫婦だけの住まい。
「一人500円でええよ」
「ありがとうございます」
タオルと石鹸を借りたが、そのレンタル賃はいらないとのこと。
僕は千円札を渡し、まきちゃんと脱衣所へ向かった。脱衣所は2畳ほどの大きさ。
「Let’s take a spa!」
(温泉に入りましょう!)
まきちゃんが子供のように嬉しそうに服を脱ぎ、たたむ。
「まきちゃん。よくこんな秘湯知ってるね」
「この家の近くの農家さんに聞いたの。学生時代お手伝いした花農家さん」
「ここのお湯、神経痛にとても効くんだって」
「少し熱めで、玉のような汗がでるね。体の芯まで暖まる」
「いいお湯でしょ?」
まきちゃんは、古びた温泉の窓を指差し、
「夜はね、この窓から月が見えるの。キレイよ」
まきちゃんが微笑む。
「今日で帰らなきゃならないね、まさ君」
「今、こんなに楽しいのに……」
「寂しいね……」
二人抱き合い口づけを交わす。
「あのね、成功者は必ず、その人なりの哲学をもっているものなの」
「まさ君のまだ未熟な哲学を支えてあげる。邪魔なものは排除する。守ってあげる」
まきちゃんは少し泣いている。
「そろそろ、帰路に向かおうか」
「まさ君……」
「なに?」
「うん……。ありがとう。海や食事や温泉、全部楽しかった……」
まきちゃんの涙が止まらない。
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