第40話
「夕食には、まだ少し早いね」
「うん、そうね」
「どこへいこうか?」
「アムステルダム」
きょとんとしている僕に、
「うそよ」
舌見せる。
「まきちゃん、冗談抜きに僕のところへ来ない? 英語も話せるし」
「オランダ?」
「うん」
「無理よ、今は……」
「なんだか、今そんな時ではない感じがするの。日本にいてまさ君を愛す、みたいな天命? みたいなものを感じる」
悲しげにうつむく姿が僕の瞳に映る。
「あのね、全く無理じゃないけど準備が……」
「お父さんと、お母さん?」
「それもあるけど……」
まきちゃんは、少し困り顔。
「今は遠くで見守っていたいの。もちろん、本当はとても行きたいのよ、まさ君のそばに……」
想いが揺れている。なんだろう?
「僕はまきちゃんにそばにいて欲しい。包んであげたいんだ。まきちゃんのハートもこころも」
「私もあるよ、まさ君に頼りたくても頼れない寂しい夜だらけ」
「声だけじゃなく、わたしのこころをぬくもりで包んで欲しい夜も」
「でもね、今は離れていて、ここにいて守ってあげなきゃ。まさ君に降りかかるかもしれない、苦しみや悩みから」
「私には出来るの。いや、私にしか出来ないの」
「まさ君鈍感だから、そして、優しすぎるから。自分では分からないでしょ?」
まきちゃんは、話を続けて、
「あのね、遠くはなれていて、見つけたものがたくさんあるの」
「会えない時が教えてくれるの」
「そして、何かからまさ君を守ってあげるために、今、私は日本にいなきゃならない……。そんな気がする」
「まさ君、どうしよう……」
上目遣いで寂しげな素振り。
「オランダの件? それとも……」
「違う! 今日の晩ご飯!」
突然、笑顔。
ーーーーー
「奇麗ね」
「うん、奇麗だ」
大都会の夜景、東京タワーも見える展望レストラン。お客さん対応でよくここに来たりしていた。
「まさ君、お店選び、意外にセンスいいね」
「いろいろと連れて来ているからね」
「女の子?」
「違う違う、社交場として。お客さん」
「女のお客さんもいるじゃない」
まきちゃんは、白い歯を見せて笑う。
「さて、何にしようか?」
まきちゃんはメニューとにらめっこしている。愛らしい素振り。
「まきちゃん、ワインはシャブリでいい?」
「うん。おまかせ」
「僕の好みだけど、ラ・シャブリジェンヌ ラ・ピエレレでいこうか」
「日本では値段は張るけど、向こうではお手頃価格だよ」
スターターは、まきちゃんは、厚切りノルウェーサーモンの香草マリネ スモーククリームチーズ添え。僕はイタリア パルマ産18ヶ月熟成高級生ハムにした。
「美味しい!とろける。まさ君も少し食べてみて」
「うん。美味しいね。ノルウェー産か」
「仕事でスエーデンのヨーテポリから、ノルウェーの首都オスロに行ったことがあるよ」
「いいなあー。ムンクで有名でしょ?」
「うん。オスロ美術館も行ってきた。入り口で空港並みの厳しい手荷物チェックがあるんだ」
「リユックやA4が入るかばんの持ち込みはだめ」
「僕の行った日は3人くらいしかいなくて僕を含め全員日本人客。お互い他人のふりをする、微妙な感じだった」
「ムンクの叫び、マドンナ、そして思春期など、すっかりムンクの世界に入り込んじゃうよ」
「いいなあ」
「こうでしょ?」
ムンクの叫びの真似をするまきちゃん。ホント可愛い子。
「パルマ産熟成生ハムも美味しいよ」
「Here you are.」
(食べてみて)
「美味しい! 脂身や匂いを含めて絶品ね」
「スペイン産の最高級のハモンイベリコの生ハムと負けず劣らずだね」
「いいなあ。スペインも行ってるの?」
「うん。R&Dの仕事先があるから。年に3回くらい。軽微な仕事だよ」
スープは、こだわり野菜の体に優しいポタージュ。上品な味。
シーフードは真鯛のポワレ・ソースヴァンブラン季節のアレンジ。
「絶品。素材が違うのかな? これ、すごくいい香りがして、脂ものってる」
「ランチで食べた事があって、そのとき美味しいって思ったけど、ぜんぜん違う」
二人でワインをゆっくり味わいながら食事を進める。時間がゆっくり流れて行く。
「ワイン、正解だね。すごく料理に合う」
「よかった」
「明日は南房だね。スイカ割り? だったっけ?」
「この前はビーチバレーって言ったでしょ。今度はスイカ割り? まさ君ジョークのセンスあるよ。海はもう秋だよ、秋」
まきちゃんは、無邪気に笑った。
メインディッシュはもうすぐ。ぼんやりとまきちゃんを見つめる。いつでも探していたまきちゃんの姿がここにある。まきちゃんの他に、欲しいものなど何もない。
「まきちゃん」
「なあに?」
「ううん……、なんでもない」
互いに大東京の夜景を見つめ合う。
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