第39話

トーストとゆで卵、ベーコン、サラダ、そしてコーヒー。コンチネンタルブレックファーストとイングリッシュブレックファーストとの中間みたいな朝食。


「バイキングなのに、お互い小食ね」


「うん。その日の仕事量次第で朝食の食べる量を決めるからね」


「あら、その量で私の対応も出来るの?」


まきちゃんのいつもの笑顔。


「まきちゃんこそ、僕の対応出来る?」


二人で微笑む。



「今日はお仕事何時に終わるの?」


「今日も3時頃終わるよ」


「大変だ!」


「何が?」


「3時からの彼氏とのデート断らなきゃ」


僕は自分を指差すと、彼女はうんうん、うなずいた。



中央線で療養所へ向かう。


森下さん、今日は元気だった。


「さあ、始めよう。加藤君の仕事への僕なりの助言をさせてもらうよ」


「まずは仕事を開始する前に、一番大事なことは、何をするかではなくて、何をしないかを見定めること」

「そのことはできる、それをやっている、と先に決断すること。それからその材料及び方法を見つけること」


なんだか、まきちゃんとの恋に似ている。今の僕らの恋は、未来に一緒に何々している、そういう考え方を癖にすることにした。未来完了形。方法は、二人手探りだけれど……。


「あと、気をつけることは自由。実は多くの人は自由を怖がるんだ。縛られている方がまし、と」

「自由は責任を意味するんだ。僕の察するところ、加藤君には十分な自由が与えられていると思う」

「昔の僕もそういう時代があったから……」


森下さんは、口をにごらす。


「思い出したくないこと、どうしようもない虚しさ……、加藤君にはわかって欲しい」


「なんとなくですがわかります。悔しいですよね」


森下さんは、あと、複雑な物事をシンプルにすること、自分の無知を認めること、そして人に従うことを知ること。

具体例も含めて、いろいろ話をしてくれた。研究実績も多数。すごいサイエンティストだ。なのに、どうして……。



「どうだった?今日のお仕事」


「秘密だよ」


「まさ君、口が堅いからね。仕事はともかく、心配事や悩み事があったらいつでも私に相談してね」


「うん、もちろん。今の心配事は、まきちゃんがちゃんとお昼ご飯食べたかな、という事」


「家に帰って、お母さんと食べたよ」



まきちゃんは着替えを取りに一度家に帰って、またホテルに来たようだ。


まきちゃんの洋服。とても似合っている。肩フリルレースのオフホワイトのトップス、ピンクのフラップ付ペプラムキュロット。清楚にしなやかに着こなす。



「まさ君のこと、お母さんに話した。もちろん、夜の事は話してないよ。しっかり勘づかれているけど」


僕は少し照れた。そして、まきちゃんに、


「新宿御苑に行こうか?」

「今咲いてる花の説明してあげる」


丸の内線で赤坂見附から新宿御苑前へ。



「東京でも広い空が見えるんだよ」


「うん。都会のオアシスね。好きよ、こういう広い空。東京にいること忘れちゃうね」



花の匂いを嗅ぐまきちゃんの姿を見つめる。ゆっくりと時間が流れる。

僕はベンチへ腰を下ろす。まきちゃんは立ったまま。



「まさ君の私への愛し方、好きよ」


「神様、天使様が私をここまで連れてきたの」


そよ風に揺れる花々。



まきちゃんはベンチに腰を下ろし、


「森下さんに会ってたんでしょ?」


「えっ?」


「やっぱり。急に会社からいなくなったから。森下さんオランダ駐在の研究員だったでしょ。敏腕で社内ではとても有名だったから」


「私ね、まさ君のことを心配してるの……。社内外で名前が通っているのよ、まさ君は」

「陰でだけど、森下さんに負けず劣らずだって」

「でも、森下さんという単語はご法度なの」


僕は黙って話を聞く。


「もちろん、まさ君の活躍ぶり、いいことよ。でもね、きな臭い雰囲気があるの」


なんだろう。僕には見当もつかない。そういえば、所長も同じ言葉を使っていた。きな臭い……。



まきちゃんは寂しそうな素振りで、


「まさ君、またいなくなっちゃうんだ……」

「寂しいね」


「うん。寂しい……」


深夜便。あさっての午前1時10分のフライト。



時を引き裂かれる定めの二人。


オーランチオール系の花の香りが、二人の前を駆け抜ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る