第37話

「まきちゃん。前回の成田のホテルとは違い、ここは二人の名前と住所が必要みたい」


「じゃあ、私の住所と名前書いて」

「住所は同じ、名前は、加藤真由美で。お互い困るでしょ、ホテルでは夫婦に見られるようにしましょ」


「なるほど、そうだね。住所はアムステルダムでいいのかな?、真由美」


「そうそう、呼び捨て、呼び捨て。夫婦、夫婦」

「住所はまさ君の社宅マンション。オランダなんて、ややこしくなったら困るでしょう」


慣れた手つきでチェックインを済ませる。


「じゃあ。部屋に行こうか真由美」


「二人だけの時は、ちゃん、くらいつけてよ。真由美ちゃんって」


二人仲良く笑った。


シャワーを浴び、ゆっくり、ゆっくりこころを重ね合わせた。


長い夜。



「少し飲もうか?」


都内を展望できるBarへ向かった。


Jacques LoussierのPlay Bach TrioのBGMが流れている。素敵だ。


まきちゃんはビール、ぼくはジントニック。


「明日、あさっては日中仕事だよ。ある人に会うんだ。いろいろな事情があって・・・」

「その人の居場所や仕事内容は、まきちゃんにも話せない」


「へえっ。不思議な仕事ね」


彼女は、特段仕事には興味がないような素振りを見せた。


「夜はフリー。まきちゃんと毎晩会えるよ。ゆっくりしよう、ねっ」


まきちゃんのメモ帳には、午前・午後とも三日間大きなピンクのハートマークで埋められている。


「今日明日の夕方以降は何となくわかるけど、日中もハートマーク?」


「うん、先約があるの、残念ね」


また、二人して笑う。


まきちゃんが言う、


「お互いをお互いが信頼できて、感謝だね」


「午前中のハートマークも信頼していいのかな?」


また二人で笑う。



こころ重ね、何度もぬくもりを確かめ合う。


ーーーーー


本社から来たメールで、森下さんの居場所が分かった。都心から意外と近い。

中央線で療養所に向かう。



「すみません。森下さんの面会に来たのですが」


「じゃあ、この札をつけてお入りください。すぐに看護師が来ますので」


2−3分待つと、看護師さんが来た。

療養所の建物に入る。



「森下さん、お久しぶりです」


「やあ、加藤君。本当に久しぶり……」


森下さんが少し頭のふらつきを憶えたらしく、看護師さんが、


「もう少し面会は待って下さい。気持ちを高ぶらせる事は治療上いけないんです」


僕はよくわからないまま、とりあえず療養所のホールのロビーで待っていた。



5分位してから看護師さんが僕を呼びにきた。


「大丈夫ですよ。どうぞ面会なさってください」


個室で、風呂とトイレはないがビジネスホテル並みの奇麗な部屋である。


「こんにちは、森下さん」


「久しぶりだね。元気でやってる」


「はい」


森下さんの病名は、全く知らない。

ただ、この建物が精神科療養病棟であることから、病名を知らなくても察することはできる。



「森下さん、こんな形で会うなんて思ってもいなかったです」


「僕もだよ」


「どうなされたんですか?」


「僕にも分からないんだ……」


森下さんは悲しい顔をしてうつむいた。



所長からは、


「森下君からは、継続しているR&D業務で、何か行き詰まった時の対処方法を学ぶこと。それだけだ」

「新規事業の話や情報は一切口にしないように。守秘義務を負わす」、と話されている。



すごい、しっかりしている。こういう場所にいることが不思議なくらい頭脳明晰だ。

数々の湧き出てくるアイディア、論理とストーリーの組み立て方には脱帽する。創想能力も極めて高い。


午前10時から午後3時まで。途中昼食を挟んでの面会。短い時間だが濃厚な時が流れた。



「森下さん、ありがとうございます。明日もまた来ます」


都心のホテルに戻る。



「まさくーん!」


ホテルのロビーで小刻みに手をふって、かけ寄ってくる。


嬉しい、とても嬉しい。


彼女の存在に感謝している僕がいる。僕の存在に感謝している彼女がいる。



「まきちゃん。今日の仕事は終わりだよ」


「お疲れさまー。早いね」


「まきちゃん、何してた?」


「午前のスケジュール、ハートマーク見たでしょ? 男と寝てた」


大笑い。



「今日はイタリアンでも行こうか。六本木の」


「うん。まさ君の好きなあの店でしょ?」


「どうして分かるの?」


「テレパシーよ、テレパシー」


「?」


「うそよ、ホテルの近くを散歩してて、まさ君が昨日焼肉屋からホテルに向かうタクシーの窓越しに見ていたイタリアンレストランがあったから。じっと眺めていたから」


「鋭い観察眼だね」


「図星でしょ。まさ君の思考は、見抜き見通しよ。簡単すぎて」



部屋に入るとまきちゃんは、すぐに湯船にたっぷりお湯を張る。


少し恥ずかしげに後ろを向いて下着を外す。


「まさ君もおいでよ」


「うん」


二人して、溢れる湯船に浸かる。


「まさ君、Let's get down to business, shall we? (それでは本題に入りましょうか)」



シャボンの香りの運命の人。僕の瞳には、まきちゃんしか映らない。

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