第31話

高速道A6。約2時間半の旅程、トリノからサンレモに向かう。


田舎に入ると、高速道の周りにはほんの少しの緑の丘、乾いた大地。

きらびやかな街の風景や風の香りのかけらもない。


道路幅はとても狭く路肩幅もせまい。カーブは結構急である。オランダやイギリスと違い、日本と同じ課金システムの有料道路。



徐々に都会の景色が広がる。

サンレモでは、地中海を望むレストランでまず一休み。ティラミスとコーヒー、絶品だ。


ホテルにチェックインした後散歩をしていると、少し高台にある野外円形競技場で、今晩、ベートーベン交響曲第7番の野外コンサートがあるらしい。


少し頑張っている自分へのご褒美だ。聞きに来よう。



演奏会まで4時間ほどあるので、モナコ/モンテカルロ方面に車を走らせた。車で小一時間の距離である。


モンテカルロ地区に行き、モナコ F1 GPのコースを車で走り、F1マシーンが1分20秒前後で走り抜けるコースを10分位かけて回わった。童心に帰る。


夏も終わりだが、人工海浜や美しいコートダジュールの風景を楽しんだ。人工海浜へはパンのかけらを持って海へ入る。ちぎって蒔くと、魚がお腹や足などに集まり、体もつついてくる。いつも嬉しくて感動ものだ。そういえば、麻友さんも同じことを言っていたっけ。


市内を歩く時間はないので、サンレモに戻り、夕食をとる事にした。パエリア、そして、ここでもコレージ・ビール。ワイングラスでサーブされる。クリーミーな舌触り、深いコク、そして豊潤なアロマ。ゆっくりとした時を過ごす。



清々しく、地中海の涼しいそよ風を受ける歴史ある円形競技場の雰囲気は格別である。ローマの円形競技場の趣は、どのようなコンサートホールもかなわないと思えるほどのの素敵な空間。



「まきちゃん」


独り言。そしてメール。



『まきちゃんにはいつもそばにいて、僕の心を癒して欲しいな』

( I want she comforts me being always at my side. Stand by me.)


『これから野外コンサートに行くよ』

『ベートーベン交響曲第7番』


雅彦



メールの返信、


『まさ君仕事してるの? 観光じゃない、まったく(笑)』

『そばにいて癒してあげたいけど……。癒してもらいたいし……』


『まさ君の声はハートに響き、確かめ合うときこころに響くの。言ったでしょ』


『あのね、いまね、正直……、こころが欲しいよ……』


真由美



ベートーベン交響曲第7番の名演奏、僕のハートだけを響かせた。


ーーーーー


ほんの少し海水塩分の入っているお湯でシャワーを浴びる。髪の毛がややパサパサになる。


イタリアの朝食は質素。クロワッサン(コルノ)とコーヒー。仕事先とは9時にアポを取っている。


訪問先は山の手にある。仕事場からは地中海が望める。段々畑のような斜面に、花栽培の制御温室が幾つも建てられている。ここから眺める地中海の景色は格別である。


Ballet氏は、僕のプロジェクトにとっての大切な情報源が得られる一人で、日本通である。



「I'm here to see Dr. Ballet at nine.」

(9時にBalletさんと会う約束をしてます。)


「Please take a seat.」

(お待ちください。)



すぐにBallet氏がやってきた。


「Nice to see you again, Dr. Ballet.」

(またお会いできてうれしく思います)


「How are you?」


「Very well, thank you. And you?」


「Fine, thanks.」



あらかじめ、秘書のMonicのほうから、Ballet氏には今回の打ち合わせについての連絡が入っている。



「Let's get down to business, shall we?」

(それでは本題に入りましょうか。)


Ballet氏と打ち合わせは、僕のプロジェクトで必要な資材を得るための交渉である。人、者、お金とバランスを考えて事を運ばなくてはいけない。


「Does that mean you can deliver the parts within three months?」

(3カ月以内に資材を引き渡してくださるということでよろしいですね? )


Ballet氏に書類を見せると、


「We could accept this provided that you assure us that the agreed price will stay unchanged.」

(大丈夫です、ただし、合意した価格が据え置かれることを保障してください)



イタリア人の気質もあるが、気さくで明るい雰囲気の中、交渉は問題なく進める事が出来た。 



「Would you like to go out for lunch?」

(外で昼食を食べましょう。)


「Yes, I'd like that very much.」

(はい)



晩夏のリヴィエラ。美しい海岸沿いでジェラート、そしてレストランでバジリコ入りトマトソーススパゲッティと子牛のマルサラワインソース煮込み。どちらもさすがと思わせる地中海の味。やはり、地元の食通の案内の店の食事は最高、文句なし。ゆっくりと流れる時間。



食事のあと、帰路にもどる。高速道ではなく、通常の道路、美しい海岸沿いの道でニース、コート・ダジュール空港へと車を走らせた。約二時間半、途中モナコやニース近郊は混雑していたが、ほぼ予定通り空港へ着いた。


こんな風に、僕が経験していること全て、まきちゃんを隣にして喜ばせてあげたい。なのに、この離ればなれの現実から出られない。ため息してうつむくだけ・・・



美しい海。空の表情は雲が決め、それで海の印象が変わる。


僕は空、まきちゃんは海。


目を開けて海を見る。目を閉じて海を見る。


わかっている。目を開けても閉じても、彼女しか映らない。空にはうっすら流れ雲・・・


「Mesdames et Messieurs. Nous arriverons à l'aéroport international d'Amsterdam Schiphol en environ cinquante minutes.」

「Ladies and Gentlemen. We'll be arriving in Amsterdam, Schiphol International Airport, in about fifteen minutes.」

(みなさま、当機はただ今より、およそ15分ほどでアムステルダム・スキポール国際空港に着陸する予定でございます。)



僕たちは、いつ着陸するのだろう。


まきちゃんも、いつも遠くでそんな事考えてるのかな・・・



「Nous espérons vous voir à nouveau à bord.」

「We hope to see you on board again.」

(またのご搭乗をお待ちしております。)



僕の玄関口。スキポール。I’m home.



家には絵はがきが数枚。麻友さんと美咲さん。後で読もう。



ルースの店へ足を運ぶ。


「Hi, Ruth.」


「Hi, Masa」


「Masa, How have you been?」 

(まさ、元気だった?)


「I've been all right.」 

(元気だったよ。)



いつものカウンター、いつものシャブリ、そしてナシクロケットとエダムチーズをおつまみに。夕食には、Ossenhaas(牛ヒレ)のレアを注文した。OssenhaasはRuthのBarの看板メニューでもある。



「Are you doing well with her?」

(彼女とはうまくやっているの?)


「Ja.」

(うん。)


「Your hard work will make you.」

(マサは一生懸命やっているからうまくいくでしょ)



「あのね、いまね、まさ君のこころが欲しいよ……」

彼女の言葉……。



Ruthはすかさず見抜く。


「Where love is great, the little doubts create fear.」

(想いが大きいと、ささいな悩みでも不安になるのよ。)



「あっ、所長。」


「やあ、かとちゃん。お疲れ様だったな」



「Ruth, I’ll have a beer en assort kaas Als.」

(ルース。ビール一つお願いね。あと、チーズのアソート。)


「珍しいですね、いつもワインなのに。しかも注文、英語もオランダ語もごちゃ混ぜです」


「さっきまで、浴びるほどワインを飲んできたんだ。娘の誕生日」


「いいんですか所長? 娘さんの誕生日にここに来て……」


「もう寝ちゃったから。母ちゃんも」

「かとちゃん、来週の湖水地方、よろしくね。美しいぞ、ピーターラビットのいるところだ」


所長は笑い、上機嫌。


「あの……、夏休みですが、イギリス出張の後に、水木金と3日間夏休みを頂きたいのですが……。日本に一時戻ります。」


「一泊三日で? 日本? そりゃダメだよ。いくらタフなかとちゃんでも却下」


「いいかい、彼女をどれだけ好きか分からないけど、女とは驚くべき存在だ。何も考えていないか、それとも別の事を考えているかどちらかだ。よく思案しなさい」


「最初に恋に落ちた時、女は恋人に恋をする。次からは、女は恋に恋するんだ」

「白馬の王子が一泊三日で帰ってきても喜ばんぞ。哀しさを重ねるだけだ」


相変わらず、所長の恋の持論で夜が更けていく。

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