第9話

アムステルダムの中心、ダム広場から南へカルファー通りを散策し、適当なBarに入りチーズだけおつまみに、ビールを少し飲む事にした。

ロンドンの様な大都市の賑わいとは違う、明るい夏の夜のアムスの賑やかさの雰囲気も心地よい。


ジャズの生演奏が流れているBarにした。黒人系の人も多いが、開放的で悪くない。


チーズはアムステルダムオールド、ビールはベルギーのクリークにした。

美しいルビー色。チェリービール。


「チェリー、バラ科サクラ属か……」


職業病かな? ひとりでに声が出る。


サクラ、ウメ、モモ、プラム、アーモンド等の果樹や花木と同じ属。


大学時代、趣味で植物同好会に顔を出していたので、一般の人より、いくらか植物には精通している。オランダは花の王国。

スキポール空港の近くに世界最大規模の花市場があり、僕は何度か訪れている。


サッカーグラウンドを125個ほど収容できるほどの巨大な花市場。

モナコ公国とほぼ同じ敷地面積らしい。圧巻である。

世界の花の約6割がここに集まり、そして世界に配送される。


「Nog een beer, Alsjeblieft」

(もう一つ同じビールを下さい)


「まきちゃん、来るかな?」


僕は、カウンターの花瓶の赤いガーベラを見つめて問いかけた。

ガーベラの花言葉は、”希望”そして”常に前進”。


しかし、遠い明日はいつ? と、また問われるとしたら辛い。


好き、だけでは今は何もできない。

彼女には分かって欲しい。


「Tot ziens. 」

(じゃあ、またね)


小一時間居たBar、そして深夜の深い眠りの中にいるだろう、まきちゃんにも挨拶。


遅い夕食は、久しぶりにアムステルダム郊外の日本食レストランにした。


「いらっしゃいませ」


店のオーナーが出迎えてくれた。何やら、新しく男性スタッフが入ったようだった。その代わりに、このレストランの女性スタッフと不倫していた男性が店をやめたらしい。所長から聞いた話ではあるが……。


少し興味は持ったが、他人の愛や恋の園には踏み込まない方が懸命である。自分の庭にも他人には踏み込んでほしくないのと同じ。

その女性スタッフは何気なく寂しげ。名前は渡辺さんとか言ったっけ……。


「加藤さん今日は何にします?」


「千寿の升酒で、お願いいたします」


「了解です」


おしぼりで手をふき、夜9時過ぎでも、まだまだ明るい外の景色をみていた。

おしぼりの歴史は、古事記や源氏物語の時代まで遡るらしい。この店のスタッフに聞いた事がある。こういう店ではやはり外国人対応のFQAマニュアルかなにかあるのだろう。

日本での日本人が知らないことを、ここで知ったりする。


店のオーナー直々に、受け皿に溢れるほどの升酒を持ってきてくれた。


「吟醸の上善は水のごとし、といいますが、この千寿もよく冷えてて美味しいですね、硬水みたい。」


「ありがとうございます」


「”上善水の如し”、は老子の言葉なんですよね。”上善”とは、最も理想的な生き方を指す」

「そういう生き方をしたいと願うなら水に学べ、ということですね」


僕は返した、


「”水と神とは同じ事、心の汚れを洗いきる”、という言葉も聞きますし」


オーナーは、


「存じませんでした。水を大切にするオランダ人にお話しするには格好の話題ですね」

「加藤さん若いのに博学ですね」


客をほめるのが上手な人だ。


「所長さんは?」


「一人で来ました。今日は、普通にカツ丼だけ食べて帰りますよ」


「かしこまりました」



ホームステイ先に帰ってきたら、ベッドの上に絵はがきが置いてあった。


はて? 橋本美咲さん?


ホント摩訶不思議。


僕の住所はおろか、名前さえ知らないはずなのに……。

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