第8話

「Goedenmorgen, Masa」

(まさ、おはよう)


大家さんが僕を起こしにきた。少し朝寝坊したらしい。

Jet lag(時差ボケ)は大丈夫。


さて、今日はアムス市内でのR&D先とのアポイントメント1件。特許関係の勉強会1件。


「Thank you, France.」


シャワーを浴びる。本当は夕方にでも湯船に湯を張り体を温めたいのだが、Franceから水道代がかかりすぎる事と、環境面からも好ましくないと釘をさされた事があった。

水を大切にするお国柄にもよるものだろう。

僕は主として、朝のシャワーのみ使用する事にした。時折、やはりお風呂を張る……。


オランダ人と水との関係は、今も昔も、常に特別なものだ。

オランダは、領土のほとんどが海抜以下であり、何世紀にも渡って水と闘ってきた。オランダには、水の移動、かんがい、排水に利用する多数の運河が張り巡らされている。

そう、日本も、オランダから治水・かんがい技術を学んだんだ。


「You got a postcard from your friend today.」

(絵はがきが届いてたよ)


亀田麻友さん。パリの凱旋門の絵はがき。



加藤さん、こんにちは。


ストーンヘンジで助けてくれてありがとう。あなたに興味もっちゃった!

探してもいなかったのにみつけた彼?みたい。

お仕事うまくいってますか?


今パリに来ています。コンコルド広場から凱旋門に至るシャンゼリゼ通りを目の前にすると、パリに来たということを実感しますね。ワクワクです。近くのカフェでコーヒーを飲んだのですが、値段が高い! 仕方ないですが……。


パリに3泊して、電車で南フランスを目指しまーす!

加藤さんの笑顔を道連れにして。

これは誰にも言わないでねっ。


麻友



凱旋門か、思い出す。ラウンドアバウト。ここは正確にはロータリーと言うのかな?

イギリスでは円形交差点に入る車両が優先されているが、欧州の大陸でのラウンドアバウトは円形交差点から出る車両が優先される。


僕は都市郊外ではイギリスも大陸もラウンドアバウトはスムースに出入りできるのだが、どの国でも、街の中心部はやはり難しい。


凱旋門のロータリーは全然そこから抜けられなくて、約6週くらいして、やっと、しかも目的の道ではない方向に向かってしまった。おかげで、近代的なGrande Arche、そう、新凱旋門を観光できたが……。


探してもいなかったのにみつけた……、か。

素敵な言葉。気持ちのいい文面。


「さて、出かけよう」


アムステルダムでのR&D先との事務レベルの打ち合わせが、気が一番楽である。

事実、僕はこのR&D業務を中心として研修のために欧州圏内を中心に仕事をさせて頂いている。

高度な内容の打ち合わせの際は、もちろん所長自らが出向く。


「You must be very important person.」

(君は重要な役割を持っているに違いない)


R&D先担当者Janとの打ち合わせで、たまに僕へ出てくる言葉。

確かに26歳にしては、そして研修と言う名目にしては重要な仕事を任されていると感じる。


しかし、僕はあくまで自然体で仕事と接する。

そして、気を楽に保つ様、毎日、その日その日が仕事始めであり仕事終わりである、引きずらない。

余暇を楽しむ。そういう心構えがヨーロッパでの仕事や仕事に関わる人たちに通じているんだと思う。


しかし、このJanの言葉は、随分後に、あまりに無情な意味を持っていたことが判明する。

他人の褒め言葉はクモの巣のように軽い。


「ただいま」


仕事を終え、オフィスに戻ってきたが所長は出張で不在。秘書も帰宅していた。


夕方5時過ぎ、サマータームの今は日本時間で夜12時。

夕食にもまだまだ早いし、そう、まきちゃんだ。


「もしもし、雅彦だよ」


「こんばんは」


「まさ君には、言葉にできない想いのままなの。付き合いの日なんて、ごーく浅いし」

「なんだか魔法の庭? にいる感じ」

「まさ君のどんな言葉も本当で、皆ウソにも聞こえる」


「まさ君、口数少ないし、メールも意外にくれないのは寂しいよ」

「恋の行方はきまぐれだからねー」

「いい男はどこにでもいるし」


「私の知らない街で背伸びして、変わっていかないでね」


僕は答えた、


「ひとつ、ひとつ、まきちゃんのことを知りたいけど……」

「ごめんね」

「離れてて、何か不思議な定めが僕をここに連れてきているんだ」

「そして、いまのその僕の定めは、まきちゃんで動いていることは確かだよ」


まきちゃんは、


「お言葉は相変わらずお上手ね」

「まさ君といつか、遠い明日で会えますように」


「おやすみなさい」


「おやすみ」


遠い明日……。僕はこの夏、帰国の用事はない。


電話の後、すぐにメールを送った。


『まきちゃん。この夏こっちへ来る事出来る?』

『航空券代と宿泊代はプレゼントします』

『あとはまきちゃんの心一つだよ』


雅彦


すぐに、メールの返信があった。


まさ君へ


『日本にいて、普通の生活してて、そんな言葉突然受けたらどう思う?』

『だから私、魔法の庭にいるのよ。わからない?』

『でも、嬉しい。前向きに考えておくわ』

『おやすみなさい』


真由美


『P.S. 後ろ向きにも考えてみまーす』

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