第3話
「We will start to descend soon, so please fasten your seat belts.」
(当機はまもなく降下態勢に入ります。みなさま、お座席のベルトをお締めくださいますよう、お願い申し上げます)
アムステルダム・スキポール空港着陸まで間もない。レンガ色に統一された屋根の家々が精緻に並べられている光景は、いつ見ても美しい。
オランダにはアムステルダムに出先オフィスがおかれており、僕を含め2人の日本人と、1人のオランダ人秘書がいる。
まずは、ホームステイ先に戻り、その後オフィスに行く事とした。
「I’m home.」
(ただいま)
「Hi Masa. How was your day?」
(まさ、お帰りなさい)
ホームステイ先は、定年をすぎた初老のおじさんが一人暮らしをしている。名前はFrance。
希望は大学留学生専門の物件であったが、企業研修の僕を快く受け入れてくれた。
朝食と夕食、おまけにワインやビール、そして、オランダの国民酒的スピリッツのジェネーバも飲み放題で、月6万円であるから、かなりお得な物件である。
僕はワインは白、シャブリが好きで、バーボンはラフロイグが好きだというと、常に常備してくれている優しい人だ。
ジェネーバは、ジンの発祥。オランダからイギリスにわたって世間一般で言われているジンになった。Old Schiedam というアルコール度 40%、結構キツイ度数だが、それを小さなショットグラスでほんの少しだけ、ロックで飲むのが僕の好みだ。
また彼は、6ヶ月の特別契約で、彼と親しい友人の自動車工場から、ルノーのコンパクトカーのレンタルを日本円にして格安の約40万円で手配してくれた。もちろん全ての保険代込みである。
朝食はパンとチーズ、スクランブルエッグとミルクで。
チーズは数種類あるので、朝食はここで済ます。
夕食は基本ジャガイモと人参の煮物、そして日替わりで数種類の豆の煮物である。肉類や魚類は週に2度くらい。
この質素?な夕食続きは僕にとっては辛く、1ヶ月もしないうちに、夕食はほとんど外で中華か日本食レストランで済ますこととなった。
「I’m back to work.」
(仕事に戻ります)
入れてくれたコーヒーを一杯飲んで、オフィスに向かった。
「どうだった?」
所長は、いつものにこやかで優しい笑顔で話しかけてきた。お酒が入ると説教ぐせがあるものの、やはり出先機関といっても海外オフィスをまかされている人格者である。
「女子にもてました」
所長は笑った。冗談も十分通じる人だ。
「我々の提出している案件は、今はまだ先方には完全受け入れは無理なようです。やはり、特許利益の配分について難があります」
「ただし、これまで通りこちらの案の検討を続けるとの事で、R&D agreement に従い、僕の考えでは、契約の自動継続をすべきと判断致しました」
「相手担当責任者の言葉や仕草から、特許配分についての着地点は、最終的にはwin-winとなるものと、ポジティブに考えて良さそうです。」
僕はいくつかの資料をみせ、口頭復命の後、オフィスのPCで定型の復命書を書き上げた。
午後8時。まだまだ外は明るい。
「じゃあ、女子の話も復命してもらおうか」
所長は笑って腰をあげ、机の上を整頓し、いつもの飲みに誘う仕草をみせた。
インディカライスのクロケットに、マスタードをつけて食べるのが大好きだ。いつものBarでそれとナッツ類、数種チーズをディナー代わりにして、大好きなシャブリを飲む。至上の楽しみだ。
「お疲れさま。かとちゃんはタフだから助かるよ。仕事して便宜を楽しみ、今回は女子まで口説いてきたなんて」
所長は僕の行動を見抜き見通しだ。というより、ロンドンのオフィスからの車の走行距離、行きつけの中華料理店、そのあとのテムズ川沿の散策などまで、おおよその行動範囲は把握されている。
「事故だけにはくれぐれも気をつけろよ。車も女子も」
「女子に逆ナンパされたんです。勘違いしないで下さい」
笑いながらシャブリの白で乾杯した。
週に2−3度このBarにくる。Uit de Stad(街の外)。常連である。Barの名前の通り、アムステルダム郊外の静かな場所にある。
僕は独身で構わないが、所長には妻と子供1人の家族がある。家族は大丈夫のかな?といつも思う。まあ、深夜12時には決まって家に帰る約束をしているらしいので、僕もつきあっていて安心だ。
「かとちゃんには不思議な能力があるよなー」
所長は独り言のようにつぶやいた。
「何ですか?」
「いや、人を引きつける能力がとても強い」
「ただし、良い人も、意地の悪い人も引きつけてしまう」
「言葉で言えば、素直に淡々と成果を積み上げていく模範青年、の一言で済むのだが、かとちゃんは俺が見てきた模範青年と呼ばれる子達とは少し違う」
「ただ、そこにいるだけで、かとちゃんに魔法をかけられたように引きつけられていくんだ、いろんな人が。」
所長は少し難しい顔をして、たばこに火をつけた。
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