第2話

ヒースロー空港の近くのホテルにチェックインした後、小一時間かかるが、地下鉄でロンドン市内へ向かう事にした。


ロンドンでの夕食は決まって中華料理かインド料理で、行きつけの店がある。仕事で疲れた時には、ホテルのレストランや、時にルームービスで済ますこともあるが、今日はそれほど疲れていない。


エキサイティングなロンドンの夜は、いつ訪れても楽しい。ワクワクする。ワクワクする。


僕はクラシック音楽が好きなので、時間に余裕があればロイヤルフェスティバルホールでのコンサートや、コペントガーデン付近のホールでのバレエやオペラを観る事もある。


ピカデリーサーカスまで地下鉄で向かい中華街へ。

ロンドンのオフィスのあるグリーンパークの次の駅で降りる。


「One person」


店に入り、カレービーフンとサテ、ジャスミンティーを注文。

焼き鳥に甘いピーナッツバターソースをかけるインドネシア風のサテは慣れればハマるが、やはり塩をかけて食べる方が好みだ。アムステルダムの行きつけの店ではいつも塩焼き鳥にしてもらっている。


食事を済ませ、ここから地下鉄エンバークメントまで二駅。


ロイヤルフェスティバルホールのクラシックコンサートのスケジュールを覗き見する。

次回のイギリス出張をラフマニノフの交響曲第二番の日に合わせられないか、やはり無理か、なんて都合の良し悪しを思い巡らせながら、テムズ川沿いの遊歩道を、近づいてくる美しいビックベンの夜景を見ながら散策していた。


「すいませーん!」


二人の日本語の女の子の黄色い声。夜のこの遊歩道は人通りはごく少なく、まして、この時間帯に日本人観光客と出会った事はない。


「写真を撮っていただけませんか?」


左後ろから、彼女たちはずいぶん軽いノリで、僕の顔を眺めながら話しかけてきた。

唐突である。


「いいですよ」


ビックベンとテムズ川の夜景を背景に数枚撮影してあげた。


「ここで何しているんですかー?」


彼女たちは興味ありげに問いかけてくる。


「仕事の帰りです」


「すごーい。海外でお仕事なんてエリートですね。年はいくつなんですか?」


彼女たちは僕の顔をまじまじと見つめながら問いかける。


「26です」


女の子たちは、なんだか二人でひそひそ話しながら、


「これから飲みにいきません?」


と誘いをかけてきた。


僕はホテルに戻り、ジントニックを飲んで眠りにつく予定にしている。

もうすぐ、夜10時。サマータイムのロンドンは9時頃まで明るく長いが、時間としてはもう深夜である。

女の子たちも、そろそろ街歩きをやめた方がいい時間帯だ。


「遠慮しときます」


僕も彼女たちのノリにちかい口調で答えた。


「えーっ。絶対。お願いしまーす」


彼女たちは引かない。なんだか深夜近くに、しかも海外で逆ナンパされるのは、あまりの不自然さを感じる。


「重ねて遠慮しときます。空港近くで宿をとっているので、もう戻らなきゃいけないんだ」


彼女たちはまた二人でひそひそ話しながら、


「ビール一杯だけ。ねっ」


どうしても引かない。


今日はストーンヘンジで、亀田麻友さんという女の子との出会いがあり、夜のロンドンでこの子たちの相手、しかもこれから深夜、飲みにいくなどさすがに疲れがたまるのは必至である。何より身も危険だ。


「この時間帯は、いくら市内が賑わっていても僕も君達も、Barなんかに入るのは安全じゃないよ」


彼女たちは寂しげに下を向いていたが、


「私たちのホテルのBarなら問題ないよねっ」と戦略を変えてきた。


「明日の朝、仕事をひとつ終わらせて、すぐにアムステルダムに帰らなきゃいけないんだ」


僕は優しい口調で言葉を返した。


彼女たちはまた二人でひそひそ話しながら、


「わかった」


残念そうだったが、彼女たちはようやく折れてくれた。


ただ、


「私の個人名刺にメアドがあるから、気が向いたらメール頂戴」


と1人の子が、僕にプリクラ顔写真を貼り付けた手製の名刺をくれた。橋本美咲さん。


ローヒールを履いている。ほぼそれで僕と同じくらいの背丈。

プリクラ名刺を渡すにしては、若いギャル風ではなく、僕よりやや年上にも感じた清潔な印象の女の子。


僕は名も名乗らず、住所やメアドも伝えずバイバイした。


ビックベンのあるウエストミンスター駅からグリンパークまで一駅、そしてヒースロー空港へのピカデリー線に乗り換える。

深夜の海外での地下鉄は、男であっても怖さを感じ身構える。日本のように、電車で居眠りなんてできっこない。


やっとホテルに帰り、ブルーチーズをつまみ、ジントニック二杯で一日の疲れを癒した。


そして、日課である、まだつきあい始めて間もない半分彼女のまきちゃんに、おやすみメールを送信した。


『まきちゃんと一緒にテムズ川沿いの遊歩道を歩き、美しいビックベンの夜景をみたいです。明日アムステルダムに戻ります』


『おやすみなさい』


雅彦


アムステルダムに戻った後、不思議な出来事が起こる。


一週間に1度くらいの頻度で、旅先から絵はがきが来るようになった亀田麻友さん。そしてまた住所もメアドも伝えていない橋本美咲さんからも、月に2-3通ホームステイ先に、同じく絵はがきが届くようになった……。

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