#18
駅まで送るよ、と一緒に外へ出る時に鴫沢はカメラバッグを背負った。路地に並ぶ古い家のブロック塀から豪快にはみ出して生い茂っている緑の葉に、濃いピンクの花がたくさん咲いている。
「ちょっとここの前に立ってみて」
鴫沢はそう言って、カメラや三脚を準備しはじめた。とりあえず崇史が言われるがままに壁際に立つと、鴫沢は崇史のシャツの襟や髪を直す。ある程度予想はしていたことだけれども。小谷野以外の人にこういうことされるのには慣れてないから、どういう表情をしたらいいのかわからない。少し俯いたままでいると、シャッターを切られてしまった。
「笑わなくていいから。花と反対側に顔向けて、目線そのままで」
「どんな顔していいかわからないです……」
「じゃあねえ……恋人の浮気を疑って元恋人にこっそり会いに来た」
「恋人って……そういうのと違うし」
「冗談だよ。俺も、もうただの友達。未練ないから安心して」
鴫沢は苦笑いしながら、シャッターを押す手を止めた。
「……浩介のことは好きだったけど。あいつが一番好きなのはおそらく、『光』の頃の俺だね。あの頃の俺にとっては捨てきれない過去だったから、愛されてることはわかっていても苦しかった。お互いまだ若すぎて、上手くいかなかったな」
「『光』は、捨てたい過去ですか。あんなに凄い写真ばかりなのに……」
「だからこそだよ。当時の自分にはそれがどうしても許せなかった。あの時許さなかったことは後悔してないけど、今ならもう少し割り切れるかもしれないね。『光』を知っている人は皆、俺を見ていても『光』の面影を俺の中に必死で探してた。みんな幻だけを見て目の前にいる現実の俺を無視する。写真を撮った当の叔父さえも。このままでは、この世に存在していないのと一緒。だから『光』が嫌いだった」
鴫沢の話を聞いて、「光」になりたいなんて軽い気持ちではなかったにせよ、口にするべきではなかったと少し反省した。
「鴫沢さんは、どうしてモデルじゃなく写真家になろうと思ったんですか?」
そこにカメラがあったから、と冗談めかしく笑った後。
「それでもやっぱり、俺を撮ってくれたあの人に近づきたいって気持ちがあった。どういう気持ちで写真を撮っていたのか、写真を撮るというのがどういうことなのか、全部知りたかった。それが結果として色んな人から大事なものを奪ってしまったかもしれないんだけど。でも今はただ撮りたくて撮ってるよ」
被写体に対して慎重に歩み寄る小谷野とは違い、鴫沢はファインダーを覗いたまま会話を途切れさせず、無邪気にシャッターを押す。
小谷野に撮られる時のわくわくした感じではなく、ただ緊張する。小谷野の視線とは違う。他の人に写真を撮られるのは、なんか変な感じだ。少しだけ怖い。先生になら平気で身を任せられるのに。どんな角度からどんなポーズで撮られても構わないのに。感情が蔓になって身体に巻き付かれて動けなくなっていく。
今度反対向いて、いいよ、と鴫沢の指示通りに動かされている感じがする。何だろう、この違和感。先生に撮られてる時とは違う。この人のものになるのは、この人の思い通りに自分を動かされるのは嫌だっていう気持ちなのだろうか。その気分を振り払いたくて、なんだかもぞもぞと動いてしまう。
「この花、なんていう花ですかね」
「ブーゲンビリアだよ。南国の花だけど、都内でも夏に咲いてるの最近よく見るね」
「これが……。名前は知ってたけど、どういう花かは知りませんでした。どことなく、なんだか……色気があるっていうか」
「官能的?」
崇史は頷いた。
「花は生殖器そのものだからね」
そんなことを話してる内にもシャッターが切られていく。すっかり主導権を握られていて、手のひらで踊らされているよう。
「……あ、最近トルコに行きましたか?」
「やっぱり浮気疑ってるでしょ」
終わりの合図とともに、身体中が緩んで肺の中に新鮮な空気が入り込んだ。気持ちいい。
「なんか不機嫌そうな顔して、すみません」
「それがいいんだよ。思春期の子の世の中に対して居心地悪そうな感じが出たから」
物は言いようだなあ。そういえば「光」もにっこり笑ってる写真はなく、どこか不安げな佇まいのものも多かった。
「自分の中に激しい何かを持っているのに、それを表に出す術を持っていない。言いたいことはあるのに言葉が見つからない。そういうもどかしさを抱えてる。君の中の、その何かを表現してあげるのが、カメラマンとしてのやりがいだよ」
先生に似てる、と感じた。鴫沢の振る舞いの中に、どこか小谷野を思い出す。二人の雰囲気は違うのに、重なり合う部分を見つけて、少しだけ嫉妬する。
「鴫沢さんにとってはきっと、カメラマンは天職ですね」
崇史の言葉に、鴫沢はどうかなあと半笑いで返す。
「何か人生の目的を見つけたいって人は大勢いるんだろうけど、見つけてしまうことがいいかどうかはわからないね。それが今までの人生を全否定してしまうかもしれないし、それによって自身や周囲を不幸にする場合もあるし。運命って怖いよ」
運命は怖い。この人はその言葉に一番ふさわしい重さを与えられると思った。
「出来上がったら、送るね。良かったらまた撮らせてよ」
帰りに鴫沢から名刺を貰った。
「僕がヌード撮って欲しいって言ったらどうします?」
「おいおい、未成年への淫行で捕まっちゃうよ。もしかして浩介にもそれ言った?」
どうでしょうね、と崇史がはぐらかすと。
「まあ、俺も人のこと言えないことしてきたけどね」
そう言って穏やかに笑う顔は、昔を懐かしむような顔だった。
「先生に写真見せたらどう思いますかね」
崇史がニヤニヤと笑うと鴫沢も、どう思うかねえと顔をニヤつかせる。他の人に写真を撮らせたことを、嫉妬して欲しいなんて思ったり。
「君が浩介の、『光』の呪いを解いてあげて」
「呪いなんて言っていいんですか? 先生はきっとそう思ってないし、僕だってその言葉は違うと思います」
「そうだね。でも変えられるのは君しかいないよ。写真見て確信してる」
鴫沢は強い口調で言った。真っ直ぐなその言葉は、他の誰に言われるよりも信頼できる。
今も先生は心の奥で「光」を求めているだろう。でも、もっといい写真を撮らせるから。「光」のことなんか忘れるような。僕しか必要ないって思わせてやる。いつか失ってしまうものを全部抱えて飛び込むから、受け止めて欲しい。
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